幕間 005 ザックとヒュー
「こっちの剣は、手入れが終わってる。手が空いたら、片してもらえるか?」
「ああ、わかった」
イサナ王国、南西部隊の兵舎倉庫。
そこにはオシハカ山脈調査遠征で使われた剣や鎧の整備をする、ザックとヒューの姿があった。
「あっ……油がもう切れやがった。次のやつ、次のやつ……」
剣の手入れをしていたヒューが、立ち上がって仕上げ用の油を補充しようとする。
収納棚まで歩いていき、上の方にある油の小瓶に手を伸ばす。
「おぁっと!?」
背伸びしたヒューの膝から、カクンと力が抜ける。
そしてゆっくりと、転びそうに揺らめく。
「ヒューッ!!」
ザックは急いでヒューに駆け寄ったが、ヒューは自身でバランスを取って転ばずに済んだ。
そして急いで駆け寄ってきたザックに、ヘラヘラと笑いながら言う。
「そんなに心配しなくても、大丈夫だって。ちょっとバランスを崩しただけさ」
「またそんな事言って……必要なら、俺が取るから言えって」
棚から油の小瓶を取り、ザックはヒューに手渡す。
ヒューを気遣いつつも、彼に目を合わせることの出来ないザック。
「はいはい。ザック、ありがとな」
小瓶を受け取ると、ヒューは軽くお礼を言う。
そしてどこかぎこちない足取りで、作業場に戻る。
「…………」
「…………」
静かな倉庫に、装備を手入れする音だけが響く。
しばらくして口を開いたのは、ザックだった。
「ヒュー、今度の休み……どうするんだ?」
オシハカ山脈調査遠征に参加した兵士たちにも、長期休暇が与えられたのだ。
大勢の兵士が一斉に休むわけにはいかないので、三班に別れて順番に休むことに。
彼ら二人は明日から、休暇を取る予定になっていた。
「そういうザックは、何か予定あるのか?」
「いや、俺は別に……」
「何も決まってないのに、人に聞いてきたのかよ~」
「い、いいだろ別に!」
ザックはかなり緊張して声をかけたが、いつものように軽口で返すヒュー。
顔を赤くして言葉に詰まるザックに、ヒューは優しく笑いながら休みの予定を話し始めた。
「ま、俺は部屋の掃除でもしようと思ってるよ。だいぶ散らかってるからな」
「……休暇中、ずっとか?」
散らかっていると言うが、ヒューはそれほど持ち物が多い方では無い。
念入りに掃除をしたとしても、二日ほどで終わるだろうとザックは思い、更に問いかける。
掃除が終わったあとについて、ヒューは考えを巡らせながら話を続けた。
「そうだな……少し、髪を切りに行こうか。それから、新しい服も買いに行きたい」
「服を? めずらしいな」
普段ヒューは、ボロボロになるまで服を買い換えない。その基準で言えば、まだそんなタイミングでは無いようにザックは思った。
彼のそんな考えを知ってか、ヒューはヘラヘラ笑いながら伝える。
「実は休暇が終わったら、そのまま兵士を辞めるんだ」
「……それは、その足のせいなのか?」
突然の告白に、ザックの心がザワつく。
ヒューはオシハカ山脈への調査遠征に参加した際、足に後遺症の残る怪我を負っていた。
未知の凶悪な魔物に捕まったザックを助けようとして、ヒューは足を潰されたのである。
幸い、聖女ミスティアの癒しの力で、奇跡的な回復を果たすが……これまでのように、兵士を続けるのは難しかった。
「いや。事務方や会計方への移動の話もあったんだ。でも、新しいことを始めようかと思ってさ」
「新しいこと?」
兵士をやめて就く職は、それほど多くは無い。
足を怪我している以上、冒険者は無理だろう。
農家や大工も……だとしたら、立ち仕事の少ない工芸職人か……。
あれこれ考えるザックに、ヒューはサクッと答えた。
「ピコピコで働く」
「えっ……!?」
「もう店長に、話もつけてあるんだ」
あっけらかんとしているヒューに、ザックは戸惑う。
罪悪感を吹き飛ばすように、驚きと疑問が湧き出してくる。
「いや……なんでまた……」
「ははっ! なんでだろうな?」
面白そうに、ヒューは笑い飛ばす。
彼も未来のことは、何も分かっていなかった。
「ただ、ああいう生き方も良いなって、思ったんだよ。それだけだ」
「ヒュー……」
相棒の懸念に、答えを出したヒュー。
残りの仕事について、振り分けをする。
「あとは、消耗品の在庫確認と発注か……こっちは俺がやるから、ザックは外に干してる道具の片づけを頼むよ」
「ああ……わかった。無理はするな、何かあったら呼べよ?」
「わかってるって! ほら、行った行った!」
軽口を叩きながら、ヒューは手を振って外に行くように促す。
素っ気なく倉庫を追い出され、ザックは小声で愚痴る。
「なんだよ……こっちは心配してるのに……」
物干し場に向かうザック。
その途中の廊下で、上司のセディク兵士長とすれ違った。
「お疲れ様です! セディク兵士長!!」
「備品の点検ご苦労、ザック。少し話があるのだが、大丈夫かな?」
「はいっ!」
呼び止められたザックは、足を止める。
セディク兵士長は、柔らかい口調で話を始めた。
「先日のオシハカ山脈の調査遠征の件で、兵士への報奨が出ていてね」
「はぁ……」
休暇や報奨金については、すでに十分話を聞いている。
何か変更があるのだろうか?と、ザックはすこし怪訝そうな顔をした。
そんな感情が顔に出てるザックに苦笑しながら、兵士長は話を続ける。
「その一つに、騎士団への推薦もあるんだ」
「っ!?」
急な出世話に、ザックの顔色が一気に変わった。
心臓の鼓動が早まり、一気に汗が吹き出す。
「緋色の狐騎士団も、優秀な兵士を従騎士に欲しいと言っていてな――私は君を、ザックを推薦したいと考えている。もちろん、本人の希望を優先するつもりだ。どうだろうか? ザック」
突然降って湧いた話に、ザックの手足が震える。
同時に、胸の奥がズキズキと痛む。
「なんで……俺、なんですか……」
その報奨は、自分が受け取るべきなのだろうか?
ただ助けられただけの自分に、騎士になる資格があるのか、と。
そんな思いの渦巻くザックに、兵士長はたった一言――
「負けては、いられないだろう?」
ザックの目が、大きく見開いた。
誰に、など聞かなくても脳裏にはヒューの顔が浮かぶ。
相棒は選び取ったのだ、新しい道を。
「――やります! 俺、騎士になりますっ!!」
大きな声で、ザックは決意表明をする。
気の早い部下に、兵士長は笑いながら言った。
「ははっ、気が早いな。まずは従騎士だぞ」
「あっ、従騎士がんばります!!」
遠征から戻ってから、怪我を負ったヒューよりも塞ぎ込んでいたザック。
そんな部下がようやく吹っ切れて、兵士長の気持ちも軽くなる。
「詳細は追って連絡する。休暇明けには、緋色の狐騎士団の従騎士だ。がんばれよ、ザック」
「セディク兵士長……」
強い力で、ザックの肩を叩く兵士長。
肩にかかった振動が、ザックの心臓に強く響いた。
「ありがとうございますっ! お世話になりましたっ!!」
ずっと一緒だったザックとヒュー、それぞれの新しい人生が始まろうとしていた。




