幕間 004 冒険者ギルド酒場のヒュプノ2
夕暮れ時の、冒険者ギルド。
隣に併設された酒場には、仕事を終えた冒険者たちが酒や食事に興じる。
ニンニクのパンチのある香りと、バジルの爽やかな香りが漂っていた。
「なぁ、ヒュプノ」
「なんだ? グラトニー」
酒場のカウンター席で、瓶ビールを飲むグラトニー。
彼の前には、カプレーゼ、バジルのポテトサラダ、魚介のバジルマリネが並ぶ。
「確かに、料理は旨くなった。ピコピコと同じ味だ」
「ふふん。そうだろう?」
ピコピコの店長に料理を教えてもらった上に、レシピとバジルソースまで貰い受けたのである。
新しいメニューは、酒場でも好評だった。
気を良くしたヒュプノは、得意げに笑う。
「だからって、全部の料理にバジルソースを使ってたら、さすがに飽きるだろ?」
「なっ……!?」
突然のダメ出しに、ヒュプノは狼狽える。
グラトニーはさらに、畳みかけた。
「お前は昔っからそうだ。馬鹿の一つ覚えで、気に入ったことをずっと繰り返す」
「くっ……そんなことは……」
「ヒュプノ、またピコピコに行ってこい。今度はバジル以外の料理を教わりに、な?」
酒飲みのわがままに、沸々と怒りが湧いてくるヒュプノ。
「ぐぬぬ……なんで、わざわざ、お前のために、何度も出かけなきゃいけねぇん――」
「おーい、ヒュプノ―! 酒追加くれー!!」
元相棒の横暴に反論していると、テーブル席に座る他の客が酒を催促してきた。
話は終わっていないが、あまり待たせるわけにもいかない。
グラトニーを一睨みして、ヒュプノは酒を作って運ぶ。
「じゃ、お代は置いとくぜ。ごちそーさん」
「あ、おい! グラトニー!!」
ヒュプノがカウンターを離れた隙に、グラトニーは飄々と帰ってしまった。
■■■
「と、いうワケなんだ」
「なるほど……そうでしたか……」
グラトニーに発破をかけられた翌日。
定休日のピコピコに押しかけ、カウンターに座ったヒュプノが、店長に愚痴――事情を説明する。
店長は申し訳なさそうにしながら、ヒュプノに酒場のメニューを聞き始めた。
「酒場では普段、どんな料理を提供しているのですか?」
「つまみはナッツや豆の乾き物、焼いたソーセージとパン……あと、チーズも少し置いてるな」
「野菜や果物は、出していないのですか?」
「店長に教わった料理以外では、出してないな……」
「ふんふん……そうですねぇ……」
会話をしながら、店長の頭の中でいくつかの料理の候補が浮かんでいく。
バジルとは別の味で、簡単で美味しいおつまみ――
「じゃあ、今日は簡単に出来る野菜のおつまみを、一緒に作りましょう!」
「え? 今からか?」
「はい!」
ヒュプノを連れて、キッチンに入る店長。
冷蔵庫から次々と野菜を出して、調理台の上に並べる。
「最初に、カポナータ。トマトと野菜を炒め煮にしてから冷やす、甘酸っぱい料理です」
調理台の上に、店長は二人分の包丁とまな板を用意した。
そしてヒュプノの前に、野菜とボウルを置く。
「まず野菜を切りましょう。ナス、ズッキーニ、パプリカ、たまねぎを、一口大に切ってください」
「わかった」
言われた通りに、手早く野菜を切っていくヒュプノ。
隣では店長が、ソースにするトマトを切っていく。
二人の野菜が切り終わるころ、店長は深めのフライパンを出して火入れの準備を始める。
「トマトはこれを使いましょう。皮をむいて、角切りにしたものです。普段は缶詰のトマトでも、大丈夫ですよ」
「そうか。缶詰なら買い置きもできるし、助かる」
調理を開始しようとしたところで、店長は香りづけのニンニクを忘れていたことを思い出す。
冷蔵庫からニンニクを取り出し、急いでスライスした。
「そうそう、ニンニクもスライスして……最初にフライパンにオリーブオイルとニンニクを入れて、中火にかけます」
多めのオリーブオイルで、店長はニンニクの香り出しをする。
徐々にニンニクに焦げ色がつき、オリーブオイルがサラサラになっていく。
「香りが出てきたら、ヒュプノさんに切ってもらった野菜を入れていきますよ」
一口大に切られたナス、ズッキーニ、パプリカ、たまねぎをフライパンに入れる。
油を激しく鳴らす野菜たちを、ターナーで炒めていく。
「野菜がしんなりしてきたら、フライパンの端を開けてもらって……白ワインと砂糖を入れますね」
フライパンに作った隙間で、店長は砂糖を煮溶かし始めた。
予想外の調味料に、それまで黙っていたヒュプノが口を挟む。
「ワインと砂糖?」
「ええ。ワインの酸っぱさと砂糖の甘さで、冷やしたときに爽やかな甘酸っぱさになるんです」
説明をしながら、店長はワインのアルコールを飛ばす。
アルコールを飛ばし終えると、今度は塩と一緒にトマトを加える。
「一煮立ちしたら塩とトマトを入れて、数分煮てから冷やしたら完成ですよ」
フライパンをターナーで混ぜながら、野菜を煮込んでいく。
単調な作業の合間に、店長は補足の話をする。
「煮込むときに、好みでハーブを入れても味に変化が出ます。俺はオレガノやケッパーなんかが、好みですね」
「なるほど」
トマトの水分もかなり飛び、つややかな野菜が主張するようになっていく。
煮汁には程よいとろみがつき、旨味が詰まっている様子がうかがえる。
完成したカポナータを、店長は金属のバットに冷めやすいように広げて、冷蔵庫に入れた。
「ひとまずカポナータは冷やしておいて……次はこれ、キュウリで一品作りましょう」
カポナータと入れ替えで取り出したキュウリを洗い、ヒュプノの使っていたまな板に置く店長。
「キュウリを、細長い乱切りに切ってください」
「こうか?」
言われた通りに、ヒュプノはサクサクとキュウリを切っていく。
その間に店長は、新しいボウルを取り出す。
そして切り終えたキュウリを、ボウルに入れるように促す。
「この切ったキュウリに、軽く塩を振って置いておきます。待ってる間に、ドレッシングを作りますよ。酒場には、レモンって常備してますか?」
「ああ。酒に入れる用に、いくつか置いてる」
「じゃあ、生レモンを使うレシピを紹介しますね」
店長はドレッシング用の小さなボウルを出し、材料をどんどん入れていく。
「マヨネーズとレモンを絞った果汁、おろしニンニクと粉チーズを入れて混ぜ――自家製シーザードレッシングの完成! ちょっと、味見してみましょう」
味見用のスプーンの先に少しドレッシングをのせ、店長はヒュプノに手渡す。
渡されたスプーンを、ヒュプノは口に入れる。爽やかな香りと濃厚な旨みが、口の中に一気に広がっていく。
ありふれた材料を混ぜただけとは思えないほどの、高級感のある味。
「うおぉ……これだけでも、旨いじゃないか……」
「でしょ? しかもここに、ブルーチーズを細かく切って加えちゃいます!」
まるで悪戯でもするかのように、店長はドレッシングにブルーチーズを加えた。
砕いたブルーチーズは塊を残しつつも、程よくドレッシングに溶けていく。
それをキュウリの上からかけて、馴染ませるように混ぜ合わせる。
「ドレッシングとキュウリと一緒に入れて混ぜ合わせて、お皿に盛って上から黒胡椒をたっぷりかけたら、キュウリのブルーシーザーサラダの完成」
「おお……本当にあっという間だったな」
野菜を切って、ドレッシングを作って和えるだけ。みるみるうちに一品出来てしまったことに、ヒュプノは心底驚いた。
その様子に気を良くしながら、店長は次の料理の説明を始める。
「次も簡単ですよ。ソースは、オリーブオイル、おろしニンニク、レモン、ディル、塩を入れて混ぜるだけ」
「ふむふむ……」
「メインの具材は、このマッシュルーム! ヒュプノさん、スライスを手伝って下さい。こんな風に……」
店長は取り出したジャンボマッシュルームの石づきを取り除く。
そして手本として、かさの部分を包丁でスライスして見せる。ヒュプノも同じように、マッシュルームを切り始めた。
「こうか?」
「はい! さすがヒュプノさん。元冒険者だけあって、ナイフ捌きが素晴らしいです!」
「そ、そうかぁ?」
珍しく褒められたのが嬉しくて、ヒュプノの切るペースが速くなる。
それもあって瞬く間に、大量のマッシュルームスライスが積み上がった。
「スライスしてもらったマッシュルームを、円を描くように並べて、上からソースをかける」
皿の縁に沿って、店長は花びらのようにマッシュルームを並べていく。やがて大輪の花が開いたように、皿は埋め尽くされた。
さらに上からスプーンで、ディルのソースを網目状にふりかける
「そして好みのチーズを中央に散らして、上から黒胡椒をかけて完成です! 今日は、パルメザンチーズをかけますね」
冷蔵庫から、パルメザンチーズの塊を取り出す店長。
ピーラーを取り出すと、マッシュルームを並べた皿の上で豪快にチーズを削る。
大ぶりに削られたチーズが、皿の中央に盛り上がっていくのがなんとも贅沢。
最後にミルで黒胡椒を削りかけられるまで、ヒュプノは何も出来ずに見入ってしまっていた。
「これで、三品完成です! さ、一緒にお昼食べましょう」
「お、おう!」
ニコニコしながら店長は、冷やしていたカポナータを小皿に盛り付ける。
トースターでパンを温めながら、グラスにアイスティーを準備。
そして出来上がった料理をカウンター席に運び、二人は食事兼品評会を始めた。
「いただきます!」
「いただきます!」
ものの三十分程度で作ったとは思えないほど、煌びやかな料理。
何から食べようかとヒュプノは迷いながら、最初にキュウリのシーザーサラダを口にする。
「旨いっ!! キュウリって、こんなに旨くなるのか……」
「軽く塩を振ってあるので、味が締まるんですよ」
「それにこのブルーチーズ……旨味と辛味がほどよく溶けだしてきて、酒が欲しくなる!」
「でしょ? これ、俺の自信作なんです!」
細長く切られているキュウリは、口当たりも良くて食べやすい。
気が付くと、ヒュプノは小皿のキュウリを食べ切ってしまっていた。
続いて、カポナータの皿に手を伸ばす。
「おお……カポナータは、かなり甘いんだな。でもこの甘酸っぱさ、体が欲してる味だ」
「サラダ感覚で食べられるように、塩気を控えめにしてるんです。その分、パンやソーセージに合わせると、ちょうど良いですよ」
「なるほどな」
「作り置きもしておけるので、常備しておくのに良いかと思って。ヒュプノさん、酒場以外のお仕事もあるでしょう?」
「お、おう……」
忙しいヒュプノを気遣って、短時間で出来る料理や、作り置きのできる料理を選んで教えていたのだ。
そんな店長の気遣いに、ヒュプノは内心舌を巻く。
「最後は、マッシュルームだな」
薄くスライスされたマッシュルームとチーズを、数枚ずつフォークで刺す。
滴るオリーブオイルに気を付けながら、ヒュプノは口に運ぶ。
「なんだこれ……切っただけのキノコが、こんなに旨いだと……!?」
「キノコ、チーズ、オリーブオイル……旨味の宝庫ですからね」
淡白なマッシュルームに、チーズとオリーブオイルのコクが合わさる。
互いが互いを高め合い、旨味が複雑に重なっていく。
「ニンニクの香りと黒胡椒の辛みが、また良い仕事をしてやがる。こんな料理を出したら、酒場中の酒が無くなるぞ」
「おお! それはちょっと、見てみたいかも」
「おいおい、冗談じゃないからな!」
見た目の煌びやかさもさることながら、味はそれ以上なのである。
こんなものを大酒飲みの冒険者に食べさせたら、どんだけ酒がすすむことか。
そんなことをヒュプノが考えている横で、店長はスマホでレシピのプリントデータを送る。
プリンターの印刷が終わると、レシピをヒュプノに手渡した。
「それじゃ、これが今日のレシピです」
「今回もレシピをくれるのか。俺ばっかり、なんか悪いな……」
料理を教えてもらった上に、詳細なレシピまでもらうなんて。
恐縮するヒュプノに、店長がやんわりと答える。
「いえいえ。そんなことないです」
「えっ……?」
「実はヒュプノさんが作った料理を食べて、ピコピコに興味を持ってくれた人もいて。実際にこっちのお店に、食べに来てくれる人も居るんですよ」
「そ、そんなことが……」
意外な事実に、ヒュプノは心底驚いた。
自分で説明したわけではないが、酒場ではグラトニーが何かとピコピコの名をあげる。
それで他の冒険者も、この店の料理だとわかったのだろう。
店長は、更に言葉を続けた。
「きっとヒュプノさんが、丁寧に料理を作ってくれてるからですよ。だから俺も、嬉しいです! ありがとうございます!」
「て、店長……!!」
満面の笑みでお礼を言う店長に、あんたは天使か……と、思わず口に出そうになるヒュプノ。
すんでのところで言い留まり、別の言葉に替える。
「その……これからも、料理を教えてもらって、いいか?」
「もちろんですよ! 一緒にお勉強しましょう!」
屈託のない笑顔で、店長は了承する。
この付き合いが想像以上に長くなる事を、二人はまだ知る由も無かった。




