幕間 003 パテルテの魔導学園新学部創設
「パテルテよ。今回の件、説明してもらおうかの」
「はい、おじい様……」
魔導学園、学園長室――学園の本校舎を一望でき、壁一面の魔導書に囲まれたガルガンダの執務室。
執務机に座る、学園長のガルガンダ。
彼は先日の事件――オシハカ山脈での大魔法の行使について聞くため、孫娘のパテルテを呼び出していた。
部屋には、目付け役のトルトも同室している。
「オシハカ山脈に遠征中のマリカ様が、凶悪な未知の魔物と遭遇。ピコピコの店長の移動魔法により、マリカ様に加勢。大魔法を使用しました」
緊張した面持ちで、端的に説明するパテルテ。
隣に立つトルトも顔では平静を保っているが、気が気ではなかった。
「ふむ。この話、まことであるな? トルト教授」
「はい。相違ありません」
二人は嘘をつかず、正直に話す。
不都合な事柄は、伏せたままに。
ガルガンダは一呼吸すると、パテルテに向かって話し始めた。
「まずはマリカ王女をお救いしたこと、大儀であった」
「はいっ! じゃぁ……」
「だが――」
声と表情が一変、厳しい姿を見せるガルガンダ。
「非常に傲慢で無謀な行為、手放しに称賛することはできぬ」
「そんなっ! 」
「自分の資産である全マジカの大半を投げ打って、かの?」
「うっ……」
魔導学園の学園長であるガルガンダは、当然ながら王国から遠征中の交戦について報告を受けている。
報告はパテルテに対する称賛と謝礼であったが、ガルガンダは素直に彼女を褒めるわけにはいかなかった。
なぜなら彼女は自分の限界を超えて、大魔法を行使したから。
「だって、ピコピコの店長さんがあんなに頑張ってたのに……大魔法使いの私が何もしないなんて、貴族として……ワガマイ家の面目が立たないから……」
震える声で、パテルテは事情を話す。
いつもガルガンダに甘やかされている彼女は、祖父に対する言い訳も反論も慣れていない。
そのため緊張と恐怖で、内心押し潰されそうになっていた。
「この際、マジカの事は目を瞑ろう。しかし――」
今にも泣きだしそうなパテルテに、ガルガンダの気持ちが揺らぐ。
しかし彼は厳しい表情を崩すことなく、説教を続ける。
「もしマジカを使い切っても魔物を倒せず、お前や王女の身に危険が及んだら――そうは考えなかったのかの?」
「それは……」
いつものパテルテのように反論しそうになるが、すぐに口をつぐむ。
彼女もあの激闘が、死を伴う危険なものだと理解していたからだ。
「お前は店に――ピコピコにいたのだから、魔導学園や王城に応援を呼ぶこともできたであろう」
「はい……」
「他にもより安全で確実な方法が、あったかもしれん。様々な可能性を考える、思慮というものがお前には足りぬ」
「……はぃ……」
パテルテの声は、どんどん小さくなっていく。
ガルガンダは内心ヒリヒリしながら、彼女に処罰を伝えた。
「今回の件を反省するために、パテルテに課題を与える」
「えっ……」
激しく叱責されると思っていたのに、課題を提示されてパテルテは驚く。
更にその課題は、予想外のものであった。
「パテルテ! 魔導学園に新たな学部を創設せよ!」
「――ええぇぇっ!?」
思わず大きな声で叫ぶパテルテ。
学園長の孫娘である彼女も、いずれは学園を担っていくことになる。
新学部設立も、その通過儀礼なのだが……十六歳のパテルテは、まだまだ先の話だと思っていたのだ。
「おじい様。もし……もし課題が達成できなかったら……?」
「なに。時間がかかるのはわかっておる。期限は定めぬが――課題達成まで、お小遣いは無しじゃ!!」
「そ、そんなぁぁぁっ!!」
悲壮なパテルテの声が、執務室に響き渡る。
しかし隣に立つトルトは、寛大な措置に胸を撫でおろしていた。
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「そんなことがあったのか……大変だったな、パテルテ」
「大変なのはこれからよぉ……店長さぁぁん……」
ランチタイムを終え、昼休憩に入ったいたりあ食堂ピコピコ。客の居なくなったカウンター席に突っ伏して、パテルテは頭を悩ませていた。
オシハカ山脈で大魔法を使う作戦を提案した店長は、申し訳なく思いながら彼女の話を聞く。
「新学部か……どんな学部が、設立を認められるんだ?」
「やっぱり学問の幅が広がるものや、多くの人に役立つものがいいよね」
皿洗いと片付けを終えたトルトが、皿の洗い場から戻ってくる。
彼は一息つこうと、パテルテの隣の席に座った。
「僕が担当していた教養学部も、比較的新しい学部なんだよ。魔法を使えない人に向けたカリキュラムで、魔法を使う敵や魔物の対処法、魔法使いとの連携方法なんかを学ぶんだ」
「へぇ……より安全で、効率的に戦えるようになりそうだな」
「うん、実際にそういった評価を貰ってるね」
ウンウン唸りながらも、新学部の事など思いつかないパテルテ。
ただただ恨み節ばかりが、溢れ出す。
「しかも学部設立まで、お小遣い無しだなんて……」
申し訳なさそうに、店長はパテルテを見つめた。
勘違いしないようにと、トルトは小声で店長に付け加える。
「でもオシハカ山脈での報酬は貰ってるから、数年は生活できるお金あるんだ」
「そうか……じゃぁ大丈夫だ、な……?」
「大丈夫じゃなぁぁぁぁいっ!!」
立ち上がりそうな勢いで、パネルテは髪をかきあげて叫ぶ。
あたふたとしながら、店長は【あるもの】を仕込んでいたことを思い出す。
「こういう時は……体を動かして、甘い物を食べるに限る! パテルテ、手伝ってくれ」
「えっ……私、料理なんてできないわ……」
「大丈夫大丈夫! ほら、こっちこっち」
困惑するパテルテを、店長はキッチンの中へと手招きした。
パテルテは戸惑いながらも、いつもは立ち入れないキッチンの中へ入っていく。
手を洗って準備をするパテルテに、店長は軍手とゴム手袋を差し出した。
「この軍手を付けて、その上からこのゴム手袋をつけて。手が冷えちゃうかもしれないから」
「え? え? 料理するんじゃないの?」
二種類の手袋を渡され、呆然とするパテルテ。
店長はお構い無しに、準備を進めていく。
調理台の上に特大ボウルを出し、大量の塩の入った紙袋を置いた。そしてバケツいっぱいの氷を運んできて、特大ボウルの底に敷き詰める。
氷を敷くと、上から大量の塩を振りかけた。
「氷に、塩? そんなに塩をたくさん入れて、大丈夫なんでしょうね?」
「この氷は、冷やすためのもの。食べるのは、こっち」
そう言うと店長は、調理台の下の冷蔵庫から白い液体の入ったボウルを取り出す。そして氷の入ったボウルに、液体の入ったボウルを重ねる。
「これは……ミルク? ……あっ、でもちょっと甘い香りがするかも」
「香りはバニラだね。これは牛乳と生クリーム、何種類かの砂糖を混ぜて煮溶かし、冷やしたものだよ」
二つのボウルのすき間に、店長は氷を詰めていく。
詰めた氷に大量の塩を振りかけ、どんどんボウルのすき間を埋める。ついには白い液体の入ったボウルの周り一面を、氷で覆い尽くした。
「よし! これから俺はこれを混ぜるから、パテルテはボウルをこうやってグルグル回して」
「え……こう?」
ホイッパーを構えた店長が、液体の入ったボウルを時計回りに回転させる。
それが料理の作業なのかと疑問に思いながら、パテルテは見よう見まねでボウルを回した。
「もっともっと! ずっと回し続けて」
「もう……」
気だるげに、パテルテはボウルを回し続ける。
店長は回るボウルにホイッパーを入れ、かき混ぜ始めた。
混ぜ続けること、数分――ボウルの中は特に変化はなく、パシャパシャと液体が踊っている。
「まだ回すの?」
「もっともっと!」
早くもパテルテは、退屈と疲れにあきてきていた。
しかし止まる様子のない店長におされ、ボウルを回し続ける。
そしてさらに十数分後――
「ちょっと。いつまで回すのよ、これ!」
「まだまだ! 止めないで、パテルテ!」
若干、いら立ち始めるパテルテ。
だが目を輝かせながら混ぜ続ける店長を前に、手を止めることが出来ない。
さらにさらに十数分後――
「ねぇ! まだ終わらないの!?」
「ちょっと固まってきたな」
「えっ……?」
混ぜていた手を止め、店長がホイッパーからゴムベラに持ち替える。
ゴムベラをボウルに沿わせて、白い部分をこそいでいく。
すると氷とは異なる、滑らかなクリームがロール状に現れた。
「ここからが正念場だ! パテルテ、頼む」
「し、仕方ないわねっ!」
完成を目前にしてパテルテは、ボウルを回す手に気合が入る。
変化は一気に伝播するもの。
更にホイッパーで混ぜていくと、白い液体はみるみる固まっていく。
そしてついに、ねっとりとしたジェラートが出来上がった。
「よし、完成だ! ありがとう、パテルテ」
「え、えぇ。ふぅ……」
「あとは盛り付けるだけだから、カウンターに座って待ってて」
「わかったわ」
ボウルを回していただけとはいえ、なかなかの力仕事。
一仕事終えたパテルテは、満足げにカウンター席に戻った。
「おつかれさま! バニラミルクジェラートをどうぞ」
「本当よ、もう……いただくわ」
パテルテとトルトの前に、銀の器が並べられる。
小さなミントを添えられた、真っ白なジェラート。
文句を言いつつも、明るい笑顔を見せるパテルテ。
スプーンでジェラートをすくいあげ、口に含む。
「んっ! 美味しい!! なんて冷たい……なのに柔らかいクリームなの!?」
「本当だ。魔法も使ってないのに、どうやって?」
凝固点降下という現象を利用した調理法なのだが――
「氷に塩をたくさんかけると、冷やす力が増すんだ」
細かく説明する自信の無い店長は、サックリと要約するに留めた。
それでも魔法とは異なる力の利用に、パテルテとトルトの興味は尽きない。
甘く冷たいジェラートを食べながら、様々な疑問や質問が次々と飛び出す。
「しかもこんな柔らかい状態で固めるなんて、魔法じゃ難しいよね」
「言われてみれば……もっとカッチコッチになるもの」
「空気を混ぜながら固めるから、こんな風に柔らかく固まるんだよ」
「空気? 店長さん、風魔法を使っていたの?」
「まさか! このホイッパーで混ぜることで、空気を含ませてたんだ」
「その道具、一つで? ……お菓子作りって、不思議ね……」
パテルテがジェラートの、最後の一口を食べる。
魔法を使えない店長の、魔法のような奇跡の技術。
もしこの技術が、多くの人に使えたなら――
「決めたわ!!!!」
決意表明をして、立ち上がるパテルテ。
そんな彼女を、店長とトルトが目を丸くして見つめた。
「私、スイーツ学部を作る!!」
「えぇっ!?」
突拍子の無い提案に、店長は驚きの声をあげる。
魔導学園の新設学部が、スイーツ学部とは。
需要があるものなのかと、店長はトルトに尋ねた。
「それって、どうなんだ? トルト」
「うーん……あながち、悪くないかも」
少し考え込むも、トルトは好意的に受けとめている。
優秀な魔導士が結集する魔導学園において、周囲の人達よりも魔力が低いトルト。
彼にとっても――延いては同じ境遇の学生にとっても、スイーツ学部は新しい可能性であった。
「魔法の研究は、どうしても戦闘に向きがちだからね。魔力の低い学生や戦いを好まない学生に、新しい生き方を提案できるかもしれない」
「そうか……」
たまたま店長がジェラートを食べたくなって、仕込んでおいたミルクタネ。
それが新学部設立という、歴史的なイベントの発端になろうとは。
人生とはわからないものだと、店長は心の中でつぶやく。
「学部新設のヒントになったのなら、良かった。がんばってな、パテルテ」
「もちろん、特別講師は店長さんよ!」
「……えっ?」
問題解決と思ったところで、新たな問題が発生。
パテルテの新学部設立プランに、店長はしっかり組み込まれていたのだ。
「当然、授業料はちゃんとお支払いするわ! そうと決まれば、カリキュラムと生徒募集の知らせを……あと、稟議書も書かなくちゃ」
メモ帳を取り出したパテルテは、これからの行動を次々に書き出していく。
その勢いに圧倒され、店長はトルトに助けを求めた。
「どうにかしてくれ、トルト――」
「学園内出版社で教本とレシピ本を出版すれば、長期的な安定財源に……あと、貴族向けと一般向けもそれぞれ作って……これはすごい儲けのタネかも……!?」
「あの~、トルトセンセ~?」
トルトもまた、この計画に乗り気である。
プロジェクトリーダーのパテルテに足りない部分を補うように、トルトも計画を書き出していく。
そこにも、店長という文字が――
「あの……ほどほどに、な?」
店長は現実から目を背けるように、ジェラート作りに使った道具を洗いに行った。




