幕間 001 冒険者ギルド酒場のヒュプノ
「今日は祝杯だ! ヒュプノ、一番良い酒持ってこい!」
「あいよ、グラトニー」
イサナ王国、冒険者ギルド。
荒くれ者の集まるこの場所には、依頼の受付の隣に酒場も併設されていた。
そして受付兼酒場のマスターを任されているのが、ヒュプノという男である。
「ずいぶん羽振りが良いじゃないか」
カツカツと義足を鳴らしながら、酒の準備をするヒュプノ。
彼もかつては冒険者であったが、魔物に足を食いちぎられ引退。
今は酒場のマスターをしつつ、ギルドの一切の雑務をこなしている。
「まぁ、な。お偉いさんの助太刀に入ったからよ」
「へぇ~」
酒場のカウンターの横には、氷水で満たされた大きな樽。
氷の下には、キンキンに冷やされた瓶ビールが沈んでいる。
ヒュプノはグラトニー用に冷やしてある、高級ビールの瓶を樽から取り上げた。
そして瓶の栓を開け、カウンターに座るグラトニーに差し出す。
「はい、おつかれさん」
「――くあぁぁっ! うめぇっ!!」
グラトニーは、一気に瓶の半分ほどのビールを飲み干す。
次に瓶ビールと一緒に出された、つまみのナッツを口にする。
「ふう……これはこれで悪くないんだが……」
カリカリとナッツを嚙みながら、グラトニーがぼやく。
「もっとこう……ちゃんとした物が食いてぇな」
「なんだぁ? そんなに腹が減ってるのか? じゃあ、パンとソーセージも焼くぞ」
「いや、そうじゃなくってよ。うーん……」
ビールを飲みながら、何と言おうか悩むグラトニー。
酒場で用意しているパンやソーセージも、それなりに旨い。
だが最近足しげく通う店に比べ、多彩さや家庭味に欠けていて――つまるところ、飽きてしまったのである。
ほどなくして、グラトニーは言葉で説明することを諦めた。
「ヒュプノ、お前……ピコピコって店、知ってるか?」
「ああ。西通りに出来た店だろ? ちょっと前に、魔導学園の学生が行列作ってた」
「そうそう」
話が通じて良かったと、グラトニーはナッツをつまみ続ける。
そして軽いノリで、ヒュプノに言い放つ。
「お前、ピコピコに行って料理を教えてもらって来いよ」
「はあ?」
突飛な提案に、ヒュプノは脱力する。
今までだってグラトニーは、無茶な要求をヒュプノにけしかけてきた。
それにしても、今回は他人を――ピコピコの店主も巻き込むことになる。
いくらなんでも冗談が過ぎると、ヒュプノはグラトニーを諭す。
「料理を教えてもらうって……レシピは料理人にとって、財産――命みてぇなもんだろ?」
「なぁに。あそこの店主なら、事情を話せばホイホイ教えてくれるだろうよ」
「そいつ、お人よし過ぎじゃないか?」
「いいから。お前、明日ピコピコに行ってこい。俺の紹介だって言えば、大丈夫だ!」
「えぇ……」
半信半疑のまま、ヒュプノは逆に言い包められてしまう。
かつて冒険者であったヒュプノにとって、元相棒のグラトニーの提案を無下にはできない。
彼は面倒だと思いながら、同じく巻き込まれたピコピコの店長に思いを馳せるのであった。
■■■
「いたりあ食堂ピコピコ……この店か」
翌日、ヒュプノは早速ピコピコへと向かった。
透き通るようなガラス窓に、テント生地のようだが品のある日よけ。
若者や学生が好きそうな店だと、ヒュプノは内心しり込みする。
入り口のガラス窓から店内を覗き、他の客がいないのを確認した。
「確か、二時頃から休憩って話だったな」
とりあえず挨拶をして、事情だけ話そうと、扉をノックするヒュプノ。
すぐに扉が開き、店内からピコピコの店長が顔を出す。
「すみません、お昼の営業は終了してしまって――」
店長はヒュプノの顔を見て、思わず驚いてしまう。
ギルドの受付も担当するヒュプノは、店長にとって思い出深いキャラクターであったからだ。
そんな事情は、知るはずもないヒュプノ。
キョトンとした店長の顔を見て、場違いな場所に来てしまったと後悔する。
「俺は冒険者ギルドのヒュプノ。実はグラトニーの紹介で……」
「グラトニーさんの?」
「その……ここの店――ピコピコで、料理を教わって来いって……」
「えぇっ!?」
今度は別の意味で、大きく驚く店長。
こんな流行りの店に来たのは間違いだったと、ヒュプノは弁解を始める。
「すまない! やっぱり迷惑だよな。料理人がよその店に料理を教えるなんて――」
「あ。大丈夫です! ちょっと驚いただけで……あははっ! グラトニーさんらしいや」
事情を理解した店長は、快くヒュプノを迎え入れた。
「俺は店長の天地洋です。これから昼食なんですけど、よかったら一緒にまかないを食べませんか?」
「いいのか?」
「はい。実は店員の子が急に出かけちゃって、俺一人じゃ食べきれなくて困ってたところなんです」
「なるほど。ではありがたく、いただこう」
店長に案内され、ヒュプノは店内に入る。
中に入ると、ニンニクとハーブの食欲をそそる香りが漂ってきた。
「今日はバジルづくしなんですよ。あ、こちらの席に座ってください」
案内されたテーブルには、彩り豊かな数種類の料理が並べられている。
サラダやマリネ、チキンのグリルにパスタ、厚切りのトースト。
まかないだというのにあまりに豪華で、ヒュプノはとても驚いた。
そしてこんな料理が自分に作れるようになるのだろうかと、不安になっていく。
「さあ、いただきましょう!」
「ああ。ごちそうになる」
テーブルの脇には、緑色のソースが入った瓶詰がスプーンがささった状態で置かれていた。
「バジル……この緑色のソースか?」
「はい、そうです!」
ヒュプノはバジルソースを取り皿に少し垂らし、味見をする。
部屋に漂っていたものとは比べ物にならない鮮烈な香りに、旨味とコク。
「ハーブのバジルに、にんにく……油はオリーブオイルか? それでこんなコクが出るものなのか……」
思わず頭をフル回転させ、材料を分析するヒュプノ。
その様子を面白そうに見ながら、店長が答え合わせをする。
「油分に、ナッツとチーズも加えてますね。今回は松の実とパルメザンチーズを加えてますが、くるみやアーモンドで作っても風味が変わって面白いですよ」
「へぇ……」
妙に親しげな店長の様子に、次第にヒュプノの緊張もほぐれていく。
二人は料理を食べながら、レシピの話題で盛り上がる。
「定番はこれ、カプレーゼですね」
それはスライスしたトマトとモッツァレラチーズに、バジルソースをかけただけのシンプルな料理。
材料さえ揃えれば自分でも作れそうだと思いながら、ヒュプノはカプレーゼを口に運ぶ。
「酸味とコクが心地良いな。確かに、酒に合いそうだ」
「あはは。やっぱりグラトニーさん、お酒と料理を一緒に楽しみたかったんですね。うち、お酒を取り扱ってないから」
「そうなのか、勿体ない」
こんな旨い料理が次々出てくるなら、酒を飲みたくなる客も多いだろう。
グラトニーもその一人で、元相棒に無茶ぶりをしたのだとヒュプノは合点した。
「こっちはタコとブロッコリーのバジルマリネ。バジルソースに、レモン果汁を加えて和えてます」
次の料理は、一口サイズにカットされたタコとブロッコリーが可愛らしい。
オニオンスライスとパプリカも入っていて、彩りも鮮やか。
ヒュプノはタコと野菜をフォークで刺し、口に入れた。
「むん……これはこれで、アッサリして旨いな」
「魚介類や野菜を変えれば、季節ごとに色んな料理が作れますよ」
「なるほど」
前菜に程よい量と味で、バリエーションも増やしやすい。
貝や魚と合わせたらと、ヒュプノの頭の中で色んなアレンジが広がって行く。
「バジルソース、イモ類にも合うんです。ポテトサラダにバジルソースを混ぜるのも、美味しいですよ」
店長の前には、山盛りのポテトサラダが置かれている。
そんなに食べるのかと圧倒されながら、ヒュプノはバジルポテサラを食べた。
「ウマッ……芋ってこんなに旨かったのか」
最初の前菜二つとは違う、圧倒的な食べ応え。
口の中で溶けていく旨味に、ヒュプノも大量のポテトサラダを食べ進める。
「他にもパスタやトースト、グリルした肉や野菜にも合いますね。ただ熱で香りが落ちるので、仕上げに加えるぐらいがいいですよ」
「わかった」
二人は他の料理を食べながら、細かい料理の作り方や注意点などを話す。
はじめはピコピコの料理を、まるで貴族の食事だと思っていたヒュプノ。
しかし店長の気さくな説明で、かなりヤル気になっていた。
「まずはバジルソースの材料を買ってこないとな……」
「そうだ! 良かったら、少しお譲りしますよ」
「え……そこまでしてもらって、いいのか?」
「実は結構余ってて、勿体ないから……あ、それから――」
店長はスマホを取り出し、ダンジョンアプリ【いたピコ】でレシピを検索。
そしてプリンターにデータを送信して、レシピをプリントアウトした。
バジルソースの瓶とレシピを揃え、ヒュプノに渡す。
「これ、さっき食べてた料理のレシピです」
「は!? こんなものまで、貰っていいのか!?」
「え? だって酒場で作るなら、レシピがあった方が便利ですよね」
「それはそうなんだが……ああ、もう!」
あまりに無防備なお人よしに、ヒュプノはどうしていいかわからなくなった。
迷った挙句、彼は冒険者としての義理を通すことに。
「借りばかり作るのは性に合わない。店長は何か欲しい物や困ってることとか無いのか?」
「俺ですか? うーん……」
料理のこと以外、これと言って望みの無い店長。
悩んだ末に思い浮かんだのは、ラディルのことであった。
「あっ! うちの店で働いてる、ラディルって男の子がいるんですけど」
「お、おう……」
「今度、騎士になる事が決まってて」
「そいつぁ、めでたいな。それで?」
いまいち話の意図がつかめないヒュプノ。
なぜなら店長の要望が、彼には予想外のものであったから。
「今後彼が困ることがあったら、協力してあげて欲しいんです」
「冒険者ギルドが、騎士様を助けるだぁ?」
イサナ王国において、騎士団は最高峰の軍事力。
グラトニーのような一部を除き、ほとんどの冒険者はその足元にも及ばない。
そんな自分たちが、そのラディルという少年を助ける日などくるのだろうか?
困惑するヒュプノに、店長は事情を説明する。
「なんせ田舎出身の平民の子で、世間知らずなもんだから……」
「あぁ……なるほどな」
確かに、平民の騎士となれば何かと苦労も多いだろう。
それでも関わる事があるかといえば、あまり無さそうな気もするが。
ヒュプノはそう思いながらも、店長のお人よしの気質を受け、これを了承した。
「わかった。そんな日が来るかはわからんが、必ず協力すると約束しよう」
「ありがとうございます! ヒュプノさん!」
食事を終えると、ヒュプノは店長に礼を言って店を出る。
そして振り向きざまに、目に飛び込んできたテント看板の店名。
「いたりあ食堂ピコピコか……俺も負けてられないな」
料理を教えてもらい、年甲斐もなくワクワクしながら、冒険者ギルドの――ヒュプノの酒場へ帰って行った。




