表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

第6話


「え?」


「もちろん、努力はするけどね。相手がいないなら全力で迫るし、言葉を尽くして説得する。贈り物もするし、懇願するし、愛も囁く。思いつく限りのことをする」


 ――けれど。


「それでも駄目なら相手の意志を尊重する。少なくとも、竜人は」

「……それでいいのですか?」

「よくはないけど、仕方ない。その代わり、たまに近況をのぞきに来てもいいか聞くよ。番だからね」


 あくまでも相手の意志が大事なのだと告げられて、シェーラは目を丸くした。


「少し……意外です」

「竜の愛は重いからね。重くて大きくてうざったい。だから、欲望のままに相手に詰め寄ることはしない。それだと相手を潰してしまう」


 相手が望む事を、望むように。

 それをするのが竜の愛だと彼は言った。


「……では、もし、わたくしがあの方と番のままで、あなたがそれを知ったとしたら、あなたはどうしていたのでしょうか」

「それは難しい質問だけど……そうだな、もしも、この城で、この国で、君が笑顔のままだったら」

 そう前置きし、金色の目を細める。


「そのままにしていただろうね。きっと」

「――――……」

「君の笑う顔を見て、喜ぶ声を聞いて、花束でも送るよ。無記名でね」


 何か言いかけ、シェーラは唇を噛みしめた。

 一度目をつぶり、「……怖いのです」と口にする。


「あなたはわたくしを番と言った。けれど十三歳の時、アイゼル様もそうおっしゃった。永遠の愛を誓い、国へ来てくれと誘ってくださった。わたくしはそれを受け入れて、この国へ来た」

「……そうだね」

「六年も一緒にいたけれど、結局あの方はわたくしを捨てた」


 どれだけの時間を重ねても、たったひとつの出来事で壊れてしまう。

 番というものの存在を、シェーラは信じられなくなっている。

 新しい番というならなおさらだ。アイゼルが駄目ならこっちなんて、そんな事があるはずもない。


「わたくしは……番などではなく」

「うん」

「あの方のことが……好きだった……」

「うん」

「あの方は、やさしくて、子供で、少しだけ怒りっぽくて……」

「うん」

「……わたくしには、誰よりもやさしかった……っ」


 きっかけは番でも、それだけではなかった。

 だから、この涙はただの失恋の涙だ。


 ぽろぽろと涙がこぼれるたびに、残っていた最後の感情が消える。涙と一緒に、未練と悲しみまで消えていく。

 この涙を流し終わった時、アイゼルへの恋情も消え去っているのだろう。

 どこか冷静な頭でそう思っている事に気がついた。


「君がいいと言うまで、いくらでも待つよ。彼と同じ時間が必要なら、最低でも六年。もっとずっと待つこともできる」

「……それでは、おばあちゃんになってしまいます」

「おばあちゃんになった君も可愛いだろうな。会いに行っていい?」

「それは構いませんけれど……」

 本当にそれでいいのかと聞くと、彼は笑って頷いた。


「言っただろう。竜の愛は重いんだ。それくらいなんでもない」

「わたくしが番ではなくなったら?」

「それでもいいよ。君が大切なことには変わりない」

「番ではないのに?」

「一度でもそう思っただけで、竜にとっては特別だ。それに、君はとてもやさしくて、思いやりがあって、愛情深い。そういう人は好ましい」


 濁りのない笑みは、それが本心だと告げている。まっすぐぶつけられる感情は、そのままシェーラの胸を揺らした。


「……あの方のように、心変わりをするかもしれません」

「そんなことにはならないと思うけど、心配なら何をしてもいいよ。君が不安にならないように、できる限りのことをする」

「あなたではなく、わたくしも」

「そうなる前に、たくさんの思い出を作っておこう。死ぬまでずっと笑えるように」

 手放さないよとジェイドは言った。


「君が番なのは本当だけど、それだけじゃない。僕は君を好きになる」

「…………」

「予感があるよ。番とは関係なく、君に惹かれていくだろうって」

「ですが……」

「すぐにじゃなくていい。ゆっくりと、時間をかけて、僕のことを考えてほしい。今はそれで十分だ」

 じわじわと説得されかかっているのを知り、シェーラはなおも逃げ腰になった。


「考えた結果、嫌だと言ったら?」

「全力で迫るけど、それでも駄目なら身を引くよ。元々、見つからなかったはずの番なんだ」

「他の方と結婚すると言ったら?」

「泣くよ。ものすごく泣く。それから、君を幸せにしろって相手の男に説教する。あと年一回は会いに行く。それくらいは許してほしい」


「……それだけ……?」

「そう。それだけ」


 生真面目に頷き、胸を叩く。

 ――だから、大丈夫。


「……わたくし、あなたのことをよく知りません」

「これから知ってくれると嬉しい。父君にもご挨拶に行く」

「知っても好きになれないかもしれません」

「さっきも言った通り、全力でかかる。君に好かれるように死力を尽くすよ」

「言葉の使い方、お間違えではないですか?」

「間違ってない。愛する者のために全力を尽くすのが竜の習性だ。そして、番のために命を懸けるのも竜の本能だ」


 ああでもそうなると、やっぱり一緒にいる方が都合がいいかな。

 いたずらっぽくそう言うと、ジェイドは手を差し伸べた。


「僕の国に来てくれと言ったけど、訂正する。君が行きたいところへ連れて行く。だから、一緒に行こう」

「……ええ」


 差し出された手を取ると、遠い記憶がよみがえる。

 十三歳のあの日、アイゼルもこうして手を差し伸べてくれた。

 君は私の番だと言って、包み込むような目で笑ってくれた。

 残っていた最後のかけらが胸を刺し、止まったはずの涙がこぼれ落ちる。


「……ふ、っ……」

「うわ、どうした? 大丈夫? 痛かった?」

「いいえ……いいえ。そうではなく……」


 なんでもないのだと言うと、ジェイドはほっとした顔をした。

 涙を拭いている最中、彼が妙な顔をしているのに気づく。


「どう……なさいました?」

「いや、慰めようと思ったんだけど……」

 そこで彼は決まり悪そうな顔になった。


「名前を呼ぼうとして、聞くのを忘れてたことに気がついた。……今更だけど、名前、教えてくれる?」

「まぁ……」


 シェーラは目を丸くした。

 そして、こぼれるように笑った。





    ***





 その日、アイゼルの城からひとりの娘が消えた。


 痩せたみすぼらしい娘で、番を偽っていた罪人だ。アイゼルは手を尽くして探したが、娘はとうとう見つからなかった。

 心配からではない。まだ使い足りないとねだるエバナのためだった。


 ひとつ言い添えると、エバナはシェーラと同じ人間である。

 エバナの実家は貿易商であり、異国から珍しい品物をたくさん仕入れていた。その中に、獣人によく効く香水が混じっていたらしい。


 その薬は効き目が強いが、慣れるのも早い。

 そして薬が効かなくなった時、相手の体臭を不快に感じるという。


 その日、アイゼルはいつにも増して不機嫌だった。

 このところずっと、頭痛が消えない。


 用事を言いつけるシェーラがいなくなったからだろうか。

 彼女の汲んでくる水は美味だった。飲むと頭がスッキリした。それだけでなく、用意される食事も服も心地よかった。

 番もどきの分際でそばにいる事は不快だったが、しょうがない。それをエバナが望んでいたのだ。


 エバナは最愛の番だ。

 シェーラのような偽物ではない、本物の番だ。ようやく手に入れた宝物を、誰にも渡すつもりはない。


 ――だが、ずっと、何かが頭に引っかかる。


(おかしい)

 何かがおかしい。


「アイゼル様、どうしたんですか?」

「いいや、なんでもない」

 エバナの声に、アイゼルはすぐに相好を崩した。


「今日は何をして過ごしていた? 何か困ったことはないか」

「何もないわ。いつも通り、お茶を飲んだり、お菓子を食べたり。楽しかったわよ」


 そうかと頷き、アイゼルはエバナを抱き寄せた。最愛の番は、今日もいい匂いがする。


「それよりも、まだ見つからないの? あの奴隷は」

「すまない。手を尽くしてはいるんだが」

「まぁいいけど。早くしてね」


 エバナと関係を持ったのは出会ってすぐだ。出入りの商人の娘の匂いに惹かれ、声をかけたのが始まりだった。

 彼女の体は柔らかく、ほのかに花のような香りがした。


 肌を重ねた翌朝、目覚めたエバナに衝撃を受けた。

 どうして昨日のうちに気づかなかったのだろう。彼女はこんなにも強い香りをまとっていたのに。くらくらするほどの芳香に、番特有の酩酊感。


 シェーラが野の花なら、彼女は大輪の薔薇だ。

 彼女こそが本物の番だと確信した。


 彼女の匂いに包まれると、シェーラの匂いがいとわしくなった。

 正確に言えば、気配だろうか。香りというか気配というか、うまく言葉では説明できない。

 エバナと出会った事で、シェーラはまがい物だったと知った。

 知った瞬間、強い怒りが込み上げてきた。


 シェーラと過ごしたすべての時間は無駄だった。一緒になって笑い合った事が呪わしい。番でなければ何の意味もない時間だった。思い出など、本物の番の前では塵芥に等しい。

 愚かしく、くだらない、たくさんの日々。


(……だが、本当にそうだったか?)


 考えても答えは出ない。

 自分の番はエバナだ。他の誰も代わりはしない。


 けれど、どうした事だろう。

 エバナを抱いても欲求はおさまらない。それどころか、指先まで渇き切ったように物足りない。(かすみ)で腹が膨れぬように、どれだけかき抱いても空しくなる。


(頭が……痛い)


 シェーラがいなくなってから、頭痛が消えない。

 常に頭が重く、手足がだるい。体が冷えて、吐き気さえある。エバナがそばにいるというのに。


 そういえば、異国には番もどきを作り出す薬があると聞いた。そうだ、シェーラはそれを使っていたのだ。なんと愚かで醜い女。

 だが、本当にそうだっただろうか?



(――アイゼル様。最近、お体の調子がすぐれないのではないですか?)



 耳の奥に、やさしい声がよみがえる。



(――お顔の色が悪く見えます。夜もよく眠れていないのではないですか)



 気遣いあふれる声は、最初に会った時から変わらない。



(――わたくしがあなたをお慕いしていたのは、あなたが番だからではありません)



 そう、彼女はそう言っていた。

 あなたがあなただったから、アイゼルのそばにいたのだと。



(――それをあなたが望んでくださったから、わたくしもおそばにいたのです)



 ほんの一瞬、何かが胸をかすめた。

 捨ててしまったはずの何か。それが疼く。じくじくと、深い場所で。

 理由も分からず胸を押さえ、アイゼルは首をかしげた。


「……どうでもいい、か」


 自分の番はエバナで、エバナは最愛の香りをまとう。

 その時ふと、アイゼルは違和感を覚えた。


 むせ返るように甘い香りの中、ほんのひとすじ、奇妙な臭いがした。


 後ろを振り向き、不思議そうに聞く。

「エバナ、香水を変えたか?」






    ***

    ***






 ―――――――――――――

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ