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第2話


    ***



「なんだ、まだ残っていたのか。このまがい物め」


 先ほどの出来事は何だったのだろうと考えていたシェーラの前に、ふたたびアイゼルが現れた。

 驚くシェーラを見据え、忌々しげに吐き捨てる。

 黒曜石の瞳は冷ややかで、憎しみさえ感じられた。


「出て行けとおっしゃられましたので、自室で控えておりました。……あの、アイゼル様。先ほどのお話は一体……?」

「気安く私の名を呼ぶな。その名を呼んでいいのは、愛しい私の番だけだ」


 汚らわしそうにシェーラを見る瞳には、ひとかけらの愛情も宿っていない。

 何が起こったのか分からずに、シェーラは目の前に立つ人物を見つめた。


「出て行けと言っただろう。この城から、即刻立ち去れ」

「お待ちください、どういうことですか? わたくしはあなたの番ではないのでしょうか」

「ふざけたことを言うなよ、この偽物が」


 その瞬間、アイゼルの体から怒気が立ちのぼった。


「お前はまがい物でしかない。その薄汚れた口で、私の番について二度と語るな。彼女こそが私の至宝、私の番だ」

「『彼女』?」

 その時、アイゼルの背後にもうひとりの人物がいる事に気がついた。


「身の程をわきまえない愚か者に教えてやろう。彼女こそが私の半身、本物の番だ」

「こんにちはぁ、初めまして」


 甘ったるい声とともに進み出たのは、ふわふわした亜麻色の髪の少女だった。


「私、三日前にアイゼル様にお会いしたんですけど、その時にびっくりしたんです。よく分からないけど、『この人だ』って思って。そうしたら、アイゼル様も私のことを同じ目で見つめているんだもの。驚いちゃって」

「まさに雷に打たれたような衝撃だった。エバナ……彼女が私の番だと分かった」


 アイゼルが愛おしそうに少女の肩を抱き寄せる。エバナと呼ばれた少女はくすぐったそうにそれを受けた。


「こんな運命の出会いってないでしょう? それで、私はアイゼル様の番になったんです」

「そんな……」


 見つめ合う二人の目は互いしか映していない。

 特にアイゼルの顔はとろけ、完全に心を奪われている。エバナを心から愛しているようだ。

 頬への口づけを受けた後、エバナはちらりとシェーラを見た。


「それで……そう考えると、おかしなことになっちゃいますよねぇ?」

「おかしなこと?」

「私がアイゼル様の番なら、今いる『番』って何なのかなって。だって、おかしいでしょ? 番が二人いるなんて」

「!!」


 番は一対のものであり、例外はない。

 ひとりの獣人に二人の番がいるはずはない。いたとすれば、どちらかが偽物なのだ。


「私、前に聞いたことがあるんです。特殊な薬や香水を使うと、番を間違える場合があるって。シェーラ様、心当たりってないですか?」

「わたくしは、何も……」

「ほんとに? ほんとにないですか?」


 エバナは執拗に問い詰める。まるで何かあると確信しているように。

「それなら室内を調べてもいいですよね。本当にやましいことがないなら」

「室内を?」


 反射的に問い返してしまったのは、エバナという少女がどう見ても平民の少女だったからだ。

 シェーラは公爵家の姫であり、彼女とは身分が違う。

 いくらなんでも無礼な言動だと思ったが、それを聞いたアイゼルが許可を出した。


「構わない。好きなだけ調べろ」

「アイゼル様……!」

「黙れ。耳が腐る」

 シェーラの抗議を封じ込み、アイゼルは冷たく言い捨てた。


「荷造りの手間が省けていいだろう。どうせこの部屋はエバナのものになる。お前がいたせいで、私はエバナと出会えなかったのだ。この責任はどう取るつもりだ」

「そう言われましても、わたくしは……」


 この国に行きたいと告げたのはシェーラだが、先に望んでくれたのはアイゼルだ。

 どうか私の元へ来てほしいと、情熱的にかきくどいてくれた。


 差し出された手は温かく、シェーラの戸惑いごと包み込んでくれた。

 アイゼルはシェーラを番だと言ったし、シェーラもそう思っている。

 あの時感じた気持ちは嘘ではない――はずだ。


 それなのに、なぜ。


「……わたくしを番だとおっしゃったのは、あなたです」


「だから、それが間違いだったのだ。思えばあの時、私はエバナに出会った時ほどの衝撃を感じなかった。確かに胸の奥が満たされるような気持ちになったが、それだけだ。エバナを一目見た時のような、突き動かされるほどの感情はなかった」


「わたくしもあなたにお会いした時、心が満たされました。あれは間違いではありません」

「それもお前の思い込みだ。いや、策略か」

 舌打ち交じりに言われ、「策略?」とシェーラが問う。


「私を手に入れるために、お前が仕組んだことだろう。まったく、姑息な真似をする」

「わたくしはそのようなことしておりません。あなたと出会った時に感じた思いは真実です」

「まだ言うか、偽物が」


 アイゼルの目に宿る(さげす)みは、憎しみに形を変えていた。

 彼にそんな目で見られる事も初めてなら、そんな言葉を向けられるのも初めてだった。

 どうしていいか分からなくなりかけた時、「あった!」という声がした。


「シェーラ様、これはなんですか?」

 高く掲げたエバナの手にあったのは、見覚えのない小瓶だった。


「これは番の気配をごまかすための香水です。どうしてこれがシェーラ様の部屋に?」

「わたくしは、何も……」

「これを使って、アイゼル様をだましていたんですね。ひどい方。こんなまやかしの匂いで、私とアイゼル様の仲を引き裂こうだなんて」


 エバナが開けていた引き出しは、普段何も入れていない。

 それゆえ、いつもは開けてみる事もない。

 どうしてそんなものが見つかるのか分からなかったが、エバナは胸を張ってこちらを見ていた。


 そういえば、彼女はすぐに部屋の奥を目指していた。物陰になる位置でかがみ込み、何かの作業をしていたようだ。彼女が立ち上がったのはそのすぐ後だった。


 エバナの服装は布をたっぷり使ったもので、小瓶ひとつくらい容易に隠せる。

 いや、それとも侍女を買収していたのか。今となっては分からない。


「わたくしは知りません。それはわたくしのものではありません」

 首を振ったシェーラに、アイゼルは不快気に眉を寄せた。


「見苦しいぞ、シェーラ。いい加減に認めろ」

「いいえ、できません。真実でないことを認めるわけにはいきません」

「強情な……」

 アイゼルが苛立った顔を見せたが、「もういいですよ、アイゼル様」という声に口を閉ざした。


「こうやって証拠が出た以上、何を言っても同じですって。どうせシェーラ様は認めないでしょうけど、どうします?」

「結婚は白紙、公爵家には厳重な抗議をする。エバナの見つけた証拠も一緒にだ」

「あーでも、そうなると大事になっちゃいますよねぇ。私、アイゼル様との結婚前にごたごたするのはちょっとイヤかも」

「だが、このままにはできないだろう」


 アイゼルの言葉に、エバナはぷらぷらと小瓶を振った。

「そうだ」と彼女が指を鳴らしたのはその直後だった。


「ねえシェーラ様、これ、シェーラ様個人で考えたことですか?」

「え……?」

「それとも公爵家の方々もグルなんですか。答えてください」


 エバナの瞳は意地の悪い光を浮かべていた。


「……わたくしには、なんのことだか分かりかねます」

「じゃあ公爵家の人々もグルってことでいいですか? その場合、大変なことになっちゃいますけど」

「父も何も知りません。言った通り、そんなものに覚えはありません」


 平民のエバナが言葉を崩し、公爵令嬢であるシェーラが丁寧な言葉遣いをしている事に違和感があったが、アイゼルはそれを咎めなかった。


「うーん、それじゃあ困るんですよねぇ。ちゃんとご自分の罪を認めてくれないと」

「おっしゃる意味が分かりません。わたくしは何も知りません」

「強情な方ですね。私はこう言ってるんですよ」

 そこで彼女はシェーラの元に駆け寄ると、ひっそりした声で囁いた。



「……あんたの実家が巻き込まれてもいいかって聞いてんの」


「……!!」



 はっと目を見張ったシェーラに唇を吊り上げ、エバナは「ふふっ」と可愛らしく笑った。


「今ならシェーラ様の暴走ってことで、大事にはしないであげますよ。おとなしく罪を認めてくれるなら。そうすれば、公爵家は安泰です」

「待て、エバナ。そういうわけにはいかない。番を偽るのは重罪だ。せめて賠償を……」

「いいじゃないですか、アイゼル様。シェーラ様は失恋して、番の地位も失ったんです。それくらいは許してあげなくちゃ」


 アイゼルの首にしがみつき、エバナが甘えるように言う。

 それだけでアイゼルの顔がとろけ、愛おしそうに彼女を抱き寄せた。


「なんとやさしいのだ、私の番は」

「あっでも、罰は必要ですよね。うーん、そうですね……。あっ、こういうのはどうですか?」


 そこでエバナがアイゼルに耳打ちする。

 アイゼルはわずかに眉を寄せたが、エバナが笑顔を見せると途端に顔をほころばせた。


「仕方ない、エバナの言う通りにしよう。だが、本当にいいのか?」

「だって、面白いじゃないですか。結婚までの暇つぶしですよ」

 それに、とエバナが含み笑う。


「偽物の番が本物の前でどんな顔をするのか、とっても興味があるんです。……だからね、シェーラ様。ううん、ただのシェーラ。私のお願いを聞いてください」


 歌うように軽やかに、エバナが言う。


「奴隷になってほしいんです。結婚式までの間、ずっと」

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