5 団長の仕事
アイリスが買った服は後日、騎士団女性宿舎の自宅に届けられることとなり、手ぶらで騎士団本部に帰ってきた。
本部に入るとすぐにウォーレンが声をかけて来た。
流石に団長、副団長共々外出はあまりよろしくないと思ったウォーレンはアイリスが帰ってくるのを待っていた。
「アイリス、俺はジルコーを連れて見回りに出る。後のことは頼む」
「わかりました。団長」
いつものように蕩け切った笑顔を向けたアイリス。
アイリスの許可を取り、嫌そうな顔で狸寝入りを決めていたジルコーを叩き起こし無理やり外に引き摺出す。
「なんで俺まで! 誰でもいいじゃないですか!」
と叫んでいたが、誰もそのジルコーの姿を目に入れようとはしない。
なぜならば、見た瞬間、巻き添えが確定するからである。
「誰でもいいならお前でいいじゃないか」
屁理屈は正論の前に立つことさえ許されない。
もう逃げられないとわかったのかジルコーは大人しく立ち上がり団長の隣を肩を落としながら歩く。
「たまには外も見るのも楽しぞ」
「ええ、それはわかってますよ」
騎士団本部は王都東地区に位置する。東地区は王都への入り口とも称され普段から観光客が多い地区として有名だ。
まだお昼には早い時間帯。街中は昼飯を探す客より雑貨屋に入る観光客の方が多い。
飲食店は今まさに仕込みの真っ最中なのか煙突から白煙が上がる店が見えた。多分パン屋辺りだと思われる。
お昼には中途半端な時間帯と言えど出店は観光客で賑わう。特に少し小腹が空いてくるこの時間は串焼きの店や新鮮な果物を置いている店に客が列をなす。
1番人の多いところを抜けると少しだけ人が少なくなる。それでも地面が多少見えるようになったぐらいだ。
2人がそこを歩いてるとバギッという何かが割れたような音が聞こえ、2人も含めた視線が集まる。
顔面を真っ赤に染め唾を飛ばしながら70代ぐらいの女性に怒鳴り散らす中年男性が今朝採れと思われる野菜を乗せた台車の脚を怒りに身を任せ蹴って折ったところだった。
台車の影に隠れていた10歳ぐらいの女の子がおばぁちゃんの後ろに身を隠す。
脚が折られた台車は傾き。載せてあった野菜がゴロゴロと崩れ落ち、割れたり裂けたり潰れたり、見るも無惨な姿となる。
その男は落ちて運良く割れなかったトマトを踏み潰し、さらに呂律の回らない怒鳴り声で叫ぶ。
「うっさいんだよーー!!早くよこせって!言ってるだろ!!このクソバァぁ!!」
ジルコーに指示を出しすぐさま走り出した2人。
「ジルコー、お前はあの子を守れ」
「わかりました」
ジルコーは頷き、男に悟られないように素早くおばあちゃんと女の子を守れる位置に着いた。
「おい、そこら辺にしろ」
「なんだと!! このクソやろう! 俺に触るな!!」
誰かに声をかけられた中年男は逆ギレし肩に置かれた手を払いのける。
「うっわ、酒臭っさ、朝っぱらから飲み過ぎだ」
その男の呼気がもろにかかったウォーレンは思わず鼻を摘み、二歩ほど後ろに下がる。
「テッメーー!!ぶっ殺してやる!」
酔ってふらふらの拳でウォーレンに殴りかかろうとするが相手は騎士団長ウォーレン・ブラッドだ。そこら辺の酔っ払い中年おっさんが勝てる相手ではない。
千鳥足で相当頭に酒が回った男は自分が最強だと思い込む。
殴る拳全てが相手に当たってように見え浮かれているその鼻っ面にボクサーのように構えていたウォーレンのテイクバックがほぼない視認不可の右ストレートが直撃。
加減一つないストレートは男の顔面を潰して3mほど殴り飛ばされ、地面に背中を強打しピクピクと震えると気絶したのか動かなくなった。
「ふん、相手の判断すら付かなくなるまで飲んで何が面白いのやら……」
ウォーレンは絶対に酒は飲まない。
騎士団は飲酒禁止ではないがウォーレン曰くどんな時でも動ける状態を維持しておかないといけないとの事、だから騎士団員達は皆ウォーレンを見習い、特別な日以外酒は飲まないことにしている。
ウォーレンはこれ以上この酔っ払いと付き合う暇はないという感じで視線を切ると戻ってきたジルコーに声をかけた。
「ジルコー、あとは頼む」
「了解」
気絶した男の後処理を任せウォーレンは2人に近づくと子供と目を合わせるために膝立ちになる。
「もう大丈夫だ。安心しろ」
その女の子の頭を撫でると女の子は人目を憚らず涙を流す。
「よく頑張ったな」
女の子をおばあちゃんに預けウォーレンは折れた台車の脚を触って確かめる。
「うん、このぐらいなら治せる、おばあちゃん、時間ある?」
「ええ、ありますけど」
何が起きるのかわからない様子のおばあちゃんは流れで頷く。
「この台車を騎士団本部に持って行ってそこで脚直します、着いてきて下さい」
ウォーレンは2人の返事を待たないで落ちなかった野菜を落とさないように台車を引きために歩き出す。
「ジルコー! そいつはどうだ?」
「完全に伸びてますね、意識はありませんが大丈夫そうです」
地面に倒れた男の腹をそこら辺に落ちていた枝で突いたが反応はない。
「じゃあそいつ引っ張て来い、少しお灸を据える必要がある」
「ばぁちゃん落ちた野菜はどうする?」
「もう売り物にはならないわね」
「そうか、もったいねぇが仕方ねぇ」
首を横に張ったばぁちゃん。
ウォーレンはそれを見てからゆっくりと台車を引き始めた。その後ろを台車が倒れないようにおばあちゃん達が支えている。落ちそうな野菜があると女の子が走って乗せ直す。
♢ ♢ ♢ ♢
男を騎士団本部の奥にある牢屋にジルコーが投げ捨てた。ここまで足にロープをくくりつけ引き摺りながら運んできたせいか背中は血だらけだがまだ意識は戻らず、鍵を閉めたあと冷水をぶっかけられ溺れかけの人間のように起き上がる。
「……ここは?」
「牢屋だ。自分でやった事、わかってねぇようだな」
「俺は無実だ! 冤罪だ!」
起き上がった男は牢屋の鉄格子まで走りジルコーの胸ぐらを掴もうとするがジルコーは一歩下がり、それを避けた。
「あのクソ野郎はどこだ!! 全部あいつのせいだ!」
あのクソ野郎、つまり、ウォーレンの事だろうか。
団長を貶されたジルコーの目がハイライトを失う。
ポケットに入れてあった鍵を取り出して牢屋の扉を開ける。
「お! わかってくれるのか!」
その男は扉を潜り出てこようとするがジルコーに押し戻された。
「うちの団長を貶すな……」
「な、なんて言った……」
「うちの団長を貶すなって言ったんだ!!!」
固められた拳が男の顔面を捉えると前歯が2、3本宙を舞った。
「うっわ、派手にやってるな……」
ジルコーの怒りに満ちた叫び声と男の可哀想と思えるような悲鳴が外で台車の脚を直しているウォーレンの下にまで聞こえてきた。
トンカチを持ち出し本部内にあった適当な材木を合わせ、釘で打ちつけた。
簡易だがこれである程度は持つだろう。
「このぐらいでいいだろ」
額から落ちてきた汗を拭い立ち上がり、奥で休んでいたおばあちゃん達を呼んだ。
「一応直しておいた。これで元通り使えるから安心してくれ」
「ありがとうございます」
「どうって事ない、騎士団は街の住民のために存在してるからな。こう言う事も俺たちの仕事ですよ」
そう言うとウォーレンは女の子の目を見た。
「君も、よく頑張ったな、これをやろう」
ウォーレンはテーブルの上に置かれたピカピカのバッチを女の子に手渡した。
「名誉騎士団員の証だ。これを持っていれば……うん、そう言えば名前を聞いてないな、教えてくれる?」
「フィーネ」
フィーネはボソッと答える。
「フィーネか、いい名前だ。フィーネ、君を名誉騎士団員として認める。いついかなる時もおばあちゃんと家族を守れ、出来るか?」
「うん! 出来る!」
向日葵のような大きな笑みを見えたフィーネの頭をゴシゴシと乱雑に撫で、ウォーレンは「じゃあな」と言い奥に行こうとすると「ありがとうおじさん!」と言うなんとも返答に困る返事が返ってきた。それを見ずにウォーレンはゆっくりと手を振った。
室内に戻ると何故かアイリスが怒っていた。
「団長はおじさんではありません」
「子供から見れば俺はおっさんだ」