27アイリス・ニクマール 4
フローネはつい先程まで泣いていたのか、目元が赤く腫れ上がり、ロバート同様一日中、アイリスを探していたようで、疲れた表情を浮かべていたがミシェルの後に続いてアイリスの姿が見えた瞬間、疲れていた表情が消え去り、安心したような表情に変化した。
「アイリス………」
フローネは立ち上がりアイリスに近づくがアイリスはすぐにミシェルの後ろに隠れてしまった。
「フローネ」
中途半端に立ち上がり動くことも座ることもできなくなり、その場で立ち竦んだフローネの背中をロバートが優しく包み込み、椅子に座らせた。
「座って下さい」
ロバートに言われてからミシェルも座り2人の間に守るようにアイリスを挟み込ませた。
目の前にいるフローネは気まずそうにアイリスに視線を向けるがアイリスは母親の事を見ようともせずテーブルの模様をずっと見ている。
それからしばらく誰も喋らない時間が続く。
向こう側に座る2人は共にやつれた顔でアイリスを見ているが、当のアイリスは視線を合わせようともしない。
ジェイムズもワシが話すことはないと言いたいのか出されたお茶をちびちび飲んでいるが、いい加減飲むお茶も底をつき、仕方なく口を開く。
「ーーーフローネ、アイリスから概ね話は聞いた」
ジェイムズの一言に少し立ち直りかけていたフローネの表情が沈む。
置かれることなく持ったままのコップを器用にクルクル回転させ、どう話すべきか考えゆっくりと言葉を選びながら口を開く。
「何があったのか……余計なことはワシは聞かない。それはお前達3人で解決するべきことだ。だからワシはワシが思った事を言う」
飲み終わったコップをテーブルに置くと、ジェイムズは誰の為ではなく自分の心のけじめを付けるために言った。
「アイリスの人生だ。アイリスに決めさせてやれ。フローネも色々と後悔していることがあるんだろうな。だからアイリスには自分と同じような後悔をさせたくないから先に潰しておきたくなる。それが親心だ」
ワシらもそうだった。怪我する前に止めようとしたが子供は親の言うことなんて素直に聞かないものだ、いつしかワシら止めることはなくなった。
そのせいか日々身体中に傷が増えたが楽しそうだった。子供は手がかかるが楽しそうに笑っていると何故かワシ達も嬉しくなるもんだ。
「ワシらもお前を育ててた時、同じ事をしようとした、だかいつしかやめた。失敗を糧にすることも人生だ、失敗する事を恐れお前達が全てを潰してたらアイリスはいつまで経っても成長できん」
そこで言葉を切ったジェイムズはずっと下を向いているアイリスを見てから対面する2人の目をじっと見つめた。
「時に見守ることも必要だ。お前達の立場上一度の失敗すら許されないのかもしれない、どうしても厳くなってしまうのは仕方ない。だがアイリスはお前達のおもちゃではない。まだ子供だか1人の人間だ。アイリスのやりたい事をやらせてあげるべきだとワシは思う」
ジェイムズは自分が言いたいことは言ったぞと言う視線をミシェルに送り『このむず痒い空気をなんとかしてくれ』と目だけで伝えた。
「私は言うことはありませんよ」
ミシェルは両者に向けてピシャリと言い放つ。
「最後に決めるのはフローネでもなくロバートでもなくジェイムズでもなく、もちろん私でもなくアイリスですから。アイリスがどうしたいか、正解なんてないしずっと後悔するかもしれない、でも自分で選ばないといけない」
ミシェルは俯いてずっと涙を堪えているアイリスの背中を優しく撫でると「辛い時こそ顔を上げなさい」とそっと言葉をかける。
アイリスの昨日からずっと履いているお気に入りの黄色いスカートはすでに涙で濡れ色が濃くなっているが誰もその涙を拭こうとはしない。
それは見捨てたのではなく、拭く必要がないからだ。ミシェルもジェイムズも泣きたい時は涙が枯れるまでとことん泣け派である。無理に涙を止めることはしない。
ミシェルは涙を拭く代わりに安心させるように背中を丁寧に撫でると無理やり涙を抑え込もうと僅かに漏らしていた嗚咽と同時に涙は止まらなくなる。
♢ ♢ ♢
その後アイリス本人の希望もあり一時的ではあるがミシェル達の家で生活を送ることとなった。
「アイリス、1人で生きるには『力』がいる」
というジェイムズの教えのもとアイリスは30年以上昔の話になるが元騎士団1番隊隊長として自身が培った技術を孫娘に徹底的に教え込んだ。
まずは基本から、
踏み込み。
「例えばいつも右足ばかりで踏み込んでいたら、咄嗟に左足を使わなければならなくなった時、反応が僅かに遅れる。その僅かが命取りとなる、できる限りバランスよく使え」
剣を振る際の体のブレの矯正。
「人により差はあれど剣は重い物だ。身体のバランスがズレれば骨格や筋肉にも影響を与え動きづらくなることもある、一瞬の身体の痛みが生死を分けることもある。常にストレッチを怠らずいつでも動けるようにしておけ」
敵と対峙した時の心構え
「自分が目の前の敵を殺すのを躊躇したら仲間が5人死ぬと思え、自分が敵を1人殺したならば5人の仲間の命が救われると思え、敵に情けは不要だ。一瞬でも躊躇えば自分が死ぬと思え」
魔物と人間の行動の違い
「魔物は基本1番最初に見た奴を襲う。人間は倒しやすい奴から殺すか1番殺しにくそうな相手から殺すかの2択だ。稀に殺人を快楽と思い込んだ奴も居るがそういう奴らはまず真っ先に殺せ」
時に逃亡も立派な作戦
「勝てない相手に出くわした時、隙を見て逃げることも立派な作戦だ。勝てない相手に無闇に突っ込み殺されることなど馬鹿の極みだ。
だがそれは1人の時のみだ、後ろに守るべき仲間や人が居るなら死んでも立ち上がれ、自分が倒れたら大切な人たちは皆、殺される」
自分より強い相手と手合わせする事となったら
「全力で挑め、練習だ真剣は使わない。真剣なら殺されて終わりだが木刀ならば死ぬことはない。立てなくなるまで食らいつけ、それは痛みを伴う物ではあるが必ずお前自身の糧となる
吸収できるものは全て吸収しろ。相手の動き、呼吸、剣の構え方、踏み込み、動作仕草、瞬きのタイミング、全て役に立つ、奴に立たないものもなど一つもない」
殺せる時に確実に殺せ
「殺せる時に殺さなければいつか必ず復讐されるだろう、もし敵が3人居て2人を殺した、残りの1人は殺さないとなったらそいつは永遠におまえを恨むだろう、なら今ここで全員殺して恨みを持たせるな」
身体は命
「走り込みは必須だ。1番過酷だが日々のトレーニングが実戦での運命を分ける。もし剣が割れ逃亡する他なければどう逃げる? 走ってだ。日々本気で走れば不足の事態も乗り越えることができるかもしれない。命が助かる可能性がが1パーセントでも上がるならやっておいて損はない」
礼を欠くな
「お前は教えを乞う立場だ。丁寧な言葉遣いをするように、だが訓練の時は別だ本気でやれ。
わからないこと不安なことがあればすぐに聞きに来い、できる限りの事は教えてやることはできる」
アイリスは祖父ジェイムズの指導の下、騎士団で培った技術を18歳になるまで徹底的に教え込まれ祖父の指導を受けて四年が経つころには全盛期のジェイムズに迫るほどの実力を付けた。
18歳になりアイリスは「今の自分の実力を知って来い」とジェイムズ言われ『騎士団、軍合同入団試験』を受けることとなった。
荷物をまとめ入団試験の会場へ向かった翌日ジェイムズは天に召される。
『ワシの役目は終えた。アイリスなら、大丈夫だ、なんせ、わしらの、孫だからな』
すでに目も見えない中、固く握られた手のひらの持ち主ミシェルにそう呟くと静かに呼吸が止まる。
「そうですね、アイリスも無事旅立ちましたからね。突然、居なくなるのは寂しいものですね」
もう、その耳には聞こえていないと分かりながらも最後を看取ったミシェルは長年連れ去った夫に「お疲れ様でした、私もすぐにお呼ばれされるかもしれませんね」と声をかけサイドテーブルの上に置かれた4枚の封筒に目線を送る。
封筒にはそれぞれに『ミシェルへ』『フローネへ』『ロバートへ』『アイリスへ』とジェイムズの字で書かれ、そのうちの自分へ宛てられた封筒を開封した。
内容を読み進めると自然と涙が溢れ出し手紙の上にポタポタとこぼれ落ち文字が滲む。




