23 少女の初仕事
柔らかい何かに体を覆われている。
大きく暖かい何かが自分の手を優しく包み込んでいる。
『あったかい』
寝言と本音の中間のような声が出た。
少女は生まれて初めての人肌と言う暖かさを感じた。
その手を離さないように少女は力を込めた。
いつもは固く冷たい地面の上にゴミ置き場で拾ってきた汚れ切った毛布の上で隙間風の音を聞きながら目を覚ます。
だが今日は違う。
今までの人生で一度も感じた事がない暖かさと柔らかさに身を包まれ、隙間風に起こされる事なく誰かの優しい声音が耳を刺激した。
ゆっくりと小さな瞳が開かれ
「ーーー起きたみたいね」
ゆっくりと視界が開けると目の前で自分の手を握る赤い髪の女性がいた。
その女性は優しい笑みを浮かべ「おはよう」と言いながら少女の頬を陶器のツボを触るように丁寧に撫でる。
初めて他人に頬を撫でられた少女は飛び上がりその女性から距離を取ろうと後ろに下がる。
だがそこには冷たく固い地面ははなく倒れそうになるがその女性が少女の手を掴みベットから落ちるのを阻止した。
「ごめんなさい。驚かせちゃたね」
少女を引き上げた女性は手を離し素直に謝る。
「まずは自己紹介よね、私の名前はアイリス。騎士団の副団長をしているわ。年齢は24 好きな食べ物は甘いものね」
突然の告白に少女は何この人? と言う目でアイリスを見た。アイリスはそんなこと気にせず話を振る。
「君の名前は?」
「……サクラ」
ボソッとした小さな声でハッキリと自ら『サクラ』と名乗った。
「サクラ、いい名前ね、誰が付けてくれたの?」
「わからない。でもそう呼ばれてた」
「そう。呼ばれてた、と言うことは誰かと一緒に生活してたの?」
少女はアイリスの質問に首を縦に振りすぐに横に振った。
「……死んだ、一月ぐらい前に」
「その人が名前をつけてくれたのかな?」
その問いに再度首を横にする。
「わからない。ずっとサクラって呼ばれてた」
「優しい人だった?」
「うん……優しかった」
少女は笑みを押し込めながら呟くように言う。
「私、売られるの?」
少女は突然そう口にした。
その一言にアイリスは目を丸くしたがサクラがそう言うことを口にする理由がなんとなく理解できた。
「大丈夫。ここは騎士団の本部。奴隷商じゃない」
アイリスはサクラを安心させるように優しい声音で言うとサクラはあまり信用していないのか視線を背けた。
この国には上流階級を中心にいまだに奴隷制度というものが残っている。
奴隷になる者の多くは犯罪者や親のいない孤児、誘拐された見た目麗しい少女である。
20代以下の若い女性ほど高値で売られ、おもちゃとされる。
奴隷の多くは炭鉱や船での危険な作業や食事もほとんどでない劣悪な環境な仕事に務かされ、3割が二月待たずで死に絶えることもあったがーー
現在では奴隷制度の改革により誘拐奴隷は禁止され発覚した場合は貴族位の剥奪など厳しい処分が課される。
奴隷が劣悪な環境に置かれること自体は少なくなり待遇改善などがされたが、いまだにこの国には奴隷制度自体は残っている。
だが炭鉱などでの危険作業自体がなくなったわけではなくそう言う作業は死んでも問題ない『両小指』を失った犯罪者に回されるケースがほとんどだ。そこに送り込まれた新人奴隷の一年後の死亡率は5割を超え慢性的な人員不足に陥っている。
またまれに金のためか死に場所探しのためか、望んで来る奴らも居る。
「さて、私の仕事はこのぐらいね、後は団長に任せるとしましょうか」
アイリスは立ち上がると扉を内側からノックをした。
そうすると扉が開き、あの時のサクラが金を奪おうとした男が入ってきた。
サクラは急いでナイフを取り出そうとするがどこにもナイフが入ってない。
武器がない。どうしようと悩んだ末に窓が視界にちらつく。
地面は見えない。ここがどのぐらいの高さがあるのかも一切わからない。
だか逃げる方法はそれ以外ない。サクラは走り出そうとしたがふかふかなベットに足を取られ転倒する。
「逃げるな。別に焼くつもりも煮るつもりもない」
「それ逆に脅迫してるようものですよ」
「そうか?」
ウォーレンは肩をすくめた。
ただ単に安心させようと言ったみたいだ。
アイリスが先に窓の前に立ち飛び降りは防ぐ。
ウォーレンは先ほどまでアイリスが座っていた椅子に腰をかけたがミシミシ言い出し「大丈夫か? この椅子」と言いながらも体を預ける。
「探しもんはこれか」
大げさなほど包帯でぐるぐる巻きにされた手とは反対側の手でサクラのナイフを取り出すとベットの上に置く。
サクラはそれを素早く回収して刃を立てた。
その気持ちはよくわかる。だから何も言わずにじっと見守る。
「さぁ、さっき振りだな。俺はウォーレンだ。アイリスから聞いてると思うが騎士団長をやってる」
ウォーレンは左手を出し握手を止めるような姿勢になるがサクラは手を出さず、顔にはてなを浮かべてた。
「まさか、アイリス言ってないのか?」
「私が言うのは野暮かと」
一つため息をついたウォーレンは改めて名乗る。
「もう一回言うぞ、俺はウォーレン・ブラッド。騎士団長をしている。コイツはアイリス・ニクマール俺の部下で俺の右腕と言っても過言じゃない。たまにこうやって人を弄ぶ嫌な奴だが実力は十分。副団長をしている」
「褒められた」
「褒めてない」
「で、君の名前は?」
「さーー「お前が言うな」
口を挟んだアイリスを叱りつけ静かにさせるとサクラはもう一度名前を名乗る。
「サクラ。それだけ」
「サクラか、綺麗な名前だ」
ウォーレンはその人懐っこい笑みを浮かべながらサクラの名前を復唱した。
「両親は?」
「いない」
ボソッと答えたサクラ。
「今まで1人で?」
その質問にサクラはまた首を振る。そして哀しそうな目で答えた。
「違う。ワンズっていう人と一緒に生活してた」
「その人は?」
「死んだ。私にご飯持ってきてくれた時に倒れた」
「そうか、残念だったな」
「なぁサクラ。うちに来ないか?」
ウォーレンはもう一度手を差し出すがその手はずっと宙に浮いたまま。
サクラにはその言葉の意味がわからずずっと固まっている。
否。どう反応すればいいのかわからないのだ。
初めて、初めて優しい事を人から言わたからだ。
サクラにはこういう経験はない、だがどうすればいいのかわからない。
「まぁ、今すぐにとは言わない。気持ちの整理がついてからでもいい。だが帰る家もおかえりって言ってくれる奴ももう居ないんだろ、ならここは今からお前の家だ。俺がおかえりって言ってやる、うちに来いサクラ」
ウォーレンはニヤリと恥ずかしそうに笑みを浮かべ立ち上がる。窓から外に眺めていたアイリスに「後は頼む」といい部屋の外に出た。
ウォーレンなりの配慮なのだろう。
♢ ♢ ♢
翌日団長が眠い目をこすりながら起き食堂に降りるとサクラが真新しい団服を着て宿直していた団員達と朝ごはんを食べていた。
その隣には大きなクマが出来たアイリスがうとうと船を漕ぎ団長を視界に入れた瞬間、眠気が吹っ飛んだのか飛び起きた。
「徹夜か?」
「ええ徹夜なんて久しぶりですよ」
恨めしそうに言っているがその目は笑っていた。
「さて、サクラ。昨日の続きだ。うちに来るか?」
ウォーレンはそう言い諦めずにまた手を差しのべると今度は小さな手が伸びてきた。
ウォーレンはその手をガッチリと掴み
「サクラ、これでお前もうちの正式な団員だ。よろしく頼む」
「わかった」
ボソッと感情が乗った声でサクラは答える。
「私は少し寝てきます」
大きな欠伸をかきアイリスは仮眠室に向かったがその前に力尽き倒れる。
「最初の仕事だ、あれを運ぶぞ」




