21 苦しみと安らぎ
無音の時間が過ぎ去りようやくウォーレンは口を開いた。この間もカミーユは笑みを崩さずウォーレンの次の言葉を優しい目つきで見守っていた。
「そう、ですね……聞いて、くれますか?」
「えぇ、愚痴なら歓迎よ」
カミーユはようやく口を開いたウォーレンに優しく微笑む。
その笑顔を見ると心の雲が晴れていくような感覚を覚え、ウォーレンは秘密保持上、言えないことはうまく言葉を変えながら、ゆっくりと話し出した。
♢ ♢ ♢
外出禁止令が発令された時、何があったのか、
ジルコーをどうするべきなのか、
自分はどう責任を取るべきなのか、
あまり言ってはいけないことまでさまざまな事をカミーユに話した。
一方的な、話とも呼べない話にカミーユは相槌などはせず、ずっと耳を傾けてていた。
ウォーレンが言葉に詰まり気まずそうに目を逸らしてもカミーユは先を促すことも言葉をかけることもせずじっと次の言葉を待っていた。
「そう、同僚さんがそんな大怪我を……」
ウォーレンはジルコーの名前は出さずに同僚と少し言葉を変えながら説明した。
「それはアイリスのこと?」
「いや。ジルコーのことだ。アイリスはピンピンしてる」
そう問われ仕方なくジルコーの名前を出した。
「今も、あれこれ文句言いながらデスク仕事してるところだな。あいつは文句言いながらもちゃんとやる奴だ。ここだけの話、安心して任せられる」
ウォーレンに少しだけ笑み浮かぶ。
少し調子が戻ってきたのを見てカミーユはホッとしたような表情を見せる。
そして優しい声音で聞いた。
「それ、本人に言ってあげれば? きっと喜ぶと思うわ」
「そんなの言えるわけない」
恥ずかしそうにニヤけながら自らの顔の前で手をバタバタを振ったウォーレンは言えない理由をさらに言い訳のように付け加えた。
「面と向かって褒めるなんて恥ずかしいし、褒めたら絶対につけ上がる奴だ」
否定する言葉しか出てこないウォーレンに『少し頑固ね』と思ったが口には出さず言葉で伝えようと時間を稼ぐようにコーヒーに口を付け考えるそぶりを見せた。
少し間が空きコツンとカップを置く。
「いいじゃないの、褒めてあげるのも上司の仕事のうちよ。うちにも若い子がいるから面と向かって褒めづらいのよくわかる、褒めるってなんか恥ずかしいからね。そわそわする? って言うのかな?」
疑問形でウォーレンに問われても今のウォーレンはそれに答えられるだけの言葉は思いつかなかった。
カミーユはウォーレンの顔を覗き込み様子を伺う。
答える気配がないと判断するとカミーユが話を続けた。
「でも、ずっと仏頂面でいるだけじゃ逆に不安になって来るものよ、間違ってないだろうか? もしかしたら怒らせてのでは? ってね。こっちはそう思っていなくても若い子達はどうしてもそう思っちゃう物だから。ジルコーさんにもそうだけど、ちゃんと伝えてあげるべきだと思うわ、言葉でしか伝わらないこともあるし言葉だけじゃ伝わらないこともある。勘違いされるのを恐れてたら、伝わるものも伝わらなくなるわ」
まるで子供に言い聞かせるような優しい声音で説教をされたウォーレンはカミーユの言葉を噛み締めるように目を閉じ己の心と何か会話をしている。
言葉じゃないと伝えられないこともある。
勘違いされるのを恐れてたら伝わるものも伝わらなくなる。
ウォーレンの心をその2文がぐるぐると離れては近づき離れては近づきを繰り返しているうちに文字はバラバラになった。
バラバラになった文字は心の雲を突き破り、雲がゆっくりと晴れた。
入り口のドアにつけられた鈴がカランカランと音を立てた。
「あれ? もう店やってるの?」
年季の入った声に釣られカミーユが入り口を見ると常連のおばちゃんがドアを開け中を覗き込んでいた。時計を見ると時刻は9時30分開店までまだ30分ほどあった。
「ごめんなさいね、まだ準備が終わってないの」
とカミーユは申し訳なさそうに謝る。
「そうなの? じゃあ後でくるわ」
お客のおばちゃんは少し残念そうに呟くと店を後にし、その背中にカミーユが「すみません」と腰を折り丁寧に頭を下げた。
自分が営業の邪魔をしたと思ったのかウォーレンは立ち上がりカミーユに声をかけた。
「カミーユさんありがとうございました。俺はそろそろ行きます、お代はテーブルに置いておきました」
色々と話をして心の雲が完全に晴れ晴天になったウォーレンにカミーユは「いってらっしゃい」と店から出て歩き出したその背中に優しく呟いた。
だが騎士団本部とは逆方向に歩いて行った。
「無理やり連れ込んだんだからお代なんていらないのに律儀な人ね、でもそれがあの人の良いところかしら」
花代を含めてもお釣りが出る程度のお代を受け取ったカミーユはもう一度時計を見てから立ち上がる。
「さて、私もそろそろ準備しないとね」
誰もいない店内に向けて呟くと両頬をペチンと叩き厨房に足を踏み入れた。
♢ ♢ ♢
店から出たウォーレンだがまだ決心がつかず騎士団本部には帰らなかった。
やはり中年おっさんには部下を面と褒めるのは恥ずかしい。
例えとして間違っているが例えるなら禁酒を宣言されると同じくらい厳しい事なのだろうか。
そんなことはさておきウォーレンは心の準備の為と言い訳に言い訳を重ね、本部の方に向かったり、路地を曲がり別方向へ歩いたり二歩進んで二歩戻る的なことを繰り返していると騎士団本部とは真逆である貧民街の方にまで来ていた。
貧民街 『街』と名が付いているもののそこは想像するような華やかな街とはかけ離れた所である。
ここは戦争で負傷を負い、わずかな補填金を渡され除隊となり食い扶持を失った元兵士や産まれながらに親に捨てられた孤児、稼ぎ頭の父親が犯罪に手を染め蒸発した母子。薬物に溺れた若者、働き先が倒産した者など様々な理由で経済的貧困に陥った困窮者たちが集まる街。
ここは王都の華やかさとは真逆の街なのだ。
たまにウォーレンが見回りで歩くぐらいで、見回りの時も貧民街の住民以外を見たことはない。
そもそも、好き好んで貧民街に足を踏み入れる者など居ない。
もしこの街に足を踏み入れるものがあるとすればそれは薬物の売人であったり違法な武器の売買、ヤクザ関連などどこか腹にイチモツを抱える奴らだろう。
この街も数十年ほど前までは王都で5本の指に入ると言われるほど栄えた街であったが、戦争でこの街の住民も徴兵され運悪く最も激戦を繰り広げていた地へ送られその半数が命を落とし生き残ったうちの3割がどこかしらに怪我を負った。
それ以降である。この街が貧民街と呼ばれ人々の記憶からも消え始めたのは。
王政はこの街の存在を地図から消し去り、徴兵の事実すら口に出すことを禁じ、皆、自らの意思で志願して戦場に向かったと言う事実を作った。
何故そこまでしなくてはならなかったかと言う理由はすでに死去した当時の国王か、もしかしたら生きているかもしれない当時の一部の大臣達しかわからないだろう。
事実上、闇に葬り去られたと言っても過言ではない、
ウォーレンはその昔、新人騎士として騎士団に入隊したばかりの頃。当時の団長からこの街の存在や成り立ち、衰退の経緯を少しだけ聞いていたが若かったせいもあり右から左に流していた事を今更ながらちゃんと聞いておけばよかったと後悔している。
この街は王政には触れられたくないブラックボックスだ。だがこそあり得ないほどの情報統制をしている。
これはウォーレンの推測ににしか過ぎないが。もしその知られてはいけない事実が街に広まれば王政がひっくり返る、とでも懸念しているのかもしれない。
王政の尻拭いのためにこの街は地図から消された。
ウォーレンはそう推測している。




