19 『腕を失った意味』
真っ暗だった視界が徐々に晴れ、真っ白い天井が瞳に映る。
首を僅かに傾けると窓があるのか透明なガラスの窓の先に浮かぶ雲が左へゆっくり流れている。外の様子は視界に入ったが未だ、ここが現実の世界なのか、あの世なのか区別は依然つかない。
指先に力を込めるとゆっくりと動いた。
「ここは、どこだ……」
掠れた声が出た。
「ジリアスさん目が覚めましたか?」
優しく全てを包み込むような柔らかい女性の声が聞こえた。
ジリアスと呼ばれ、一瞬『誰だそれ』と思ったが自分の名前であると思い出す。
首を窓とは反対側に向けると真っ白い服を着た比較的若い看護師と思われる女性が点滴の管を弄っている。
その管の行き着く先を見ると左腕に繋がっていた。
女性だけを見ると頭に輪っかのある天使で自分は死んだのだと錯覚するが看護師の後ろにウォーレンやアイリス、ウィリアムの姿が見えここは天国ではないと、ようやく気づいた。
「団長……」
「寝てろ」
無理に体を起こそうとしたジルコーの体を僅かな力で押し倒す。ジルコーは右手で受け身を取ろうと腕を伸ばすがそこにあるはずのものがなくベットに倒れる。
「う、腕が……」
押し倒されたがまた起き上がったジルコーは自分の右手の肘から先がないことにようやく気づく。
左手でなくなった右腕の先に触れると脳はそこに腕があると勘違いしたのか腕を動かそうと信号出すが腕は何一つ反応を示さない。
「すいません、少し離れてもらっても」
ウォーレンは誰に向けて呟いた訳でもないが看護師の女性は『わかりました』といい台車を転がし部屋の外に出た。
ベットの脇に腕が入れられた筒のような物が置かれている。ジルコーは恐る恐るその中身を見ると四十年以上連れ添った自分の右腕であった。
接着剤か何かで貼り付ければ元通りになるのではないかと錯覚するほど腕の状態は綺麗に保存されている。
右手を伸ばしそれを取ろうとするが、掴むはずの指がないことに気づき手を引っ込める。そして何にもない白い壁を見つめて全身から力が抜けた。
「王女さんは?」
譫言のように呟かれた一言。
その言葉が耳に入るとウィリアムとアイリスは視線を逸らしウォーレンだけがジルコーの瞳を複雑な感情が入り混じった目でずっと見つめた。
ウォーレンは後ろの2人に視線を送ると2人は小さく頷く。
「俺は、仲間に嘘をつくことが1番嫌いだ……だから俺は本当のことを言う。それが最善だと思うからだ」
「はい? なんの話ですか……」
ジルコーの心に最悪の可能性『王女の死』が浮かび上がるが、ウォーレンが語った言葉は最悪を超える一言だった。
「乗っていたのは影武者だった」
「……はぁ?」
それは声というよりも吐息が漏れたような音に近く、感情が抜けていた。
ジルコーは後ろの2人を見た。
2人はずっと目を逸らしたまま苦しそうな表情で床を見つめていた。
「俺たちも騙されてた、いやこの言葉はあってない。知らされてなかったと、言った方がいい」
そこで話を切ったウォーレンは事の顛末について出来る限り正確にそのままの様子を言葉を選びながら話し出す。
「反体制派に襲われたあと、お前は出血多量で死の淵を彷徨った、その後医務班によって手当のためにここに連れられ、5日も昏睡状態だった」
ジルコーは思わず壁にかけられたカレンダーを見た。カレンダーの日付にはご丁寧にばつ印が付けられあの日から5日経過していた。
「王都外周に着いて軍との交代エリアに入った俺たちはレイ軍団長から聞いたんだ。『もう王女なら到着した』と。すぐにピートを問い詰めた、そうしたら『姫様を守るためならなんでもする』と答えた。それで俺たちは確信した。あの3台の馬車のどれ一つにもマリアは乗ってなかった。
言われてみればそうだ。俺たちはマリアが馬車に乗ったところを見てない。全て幕で覆われてたからな。乗ったはずと勘違いしていた。確認しなかった俺の落ち度だすまない」
ウォーレンの告白と謝罪にジルコーは言葉を失う。
その視線は無くした腕に向かいそっと左手であったはずの右手を撫でるがそこに腕はないためではわかっているだが脳はまだそこに腕があると認識している。
脳には腕を触っている感覚があるのだ。
「俺は……俺は、この腕を誰のためにーー」
ーー失った……。
この腕を誰のため捧げたのか理解できなかったジルコーは項垂れ、視点がどこにも合わなくなる。
壁を見たまま硬直し感情のない何かのようになる。
もう2度と弓を引くことはできない。
その事実だけがジルコーの心は強く支配する。
ジルコーを納得させられる答えを持っていないウォーレンは話を続ける。
「うちの死者が10名。近衛隊が4名、軍からは12名。負傷者25名が発生した。18名の街の住人の尊い命も失われた。お前は幸運だった。幸運だったからここにいる」
ジルコーの耳にはその言葉は一切通らない。
脳はその言葉の意味を理解しようと必死に働いているが耳がその言葉をシャットアウトした。
「幸、運」
「そうだ。幸運だったから死なずに今ここにいる。 もう2度と弓を引けないかもしれない、
もう2度と前線に立たないかもしれない
もう2度と復帰することはできないかもしれない
俺には今のお前の気持ちは一切わからない。
俺にはそう言う経験がないからな」
ジルコーは答えない。
どう答えればいいのかわからない。
誰かが答えを与えてくれるのを待っているが、団長もアイリスもウィリアムも固く固く口を結び誰も答えを教えてくれる様子はない。
「アイリス、ウィリアム。少し席を外してくれるか? 2人で話したい」
ウィリアムが先に頷き、首を横に振り嫌だとアピールし動かないアイリスの肩掴み連れ出す。
ドアが閉まり2人の足音が聞こえなくなる。
風が窓を叩きカタカタと音を立てる。
窓の外の大木に止まった鳥たちが何か会話をしているのかピーチクパーチク鳴いている。
この部屋には2人いるはずなのにどちらも口を開こうとはせず窓の外を眺めている。
雲は集合の分裂を繰り返し様々な形を作り出している。
まさしく自然の絶景だ。
同じ雲の形は2度と見られない。昔から言われていることの意味が少し理解できた。
普段まじまじと眺めることのない雲をじっと見つめる。
そうしていると入団したばかりの頃に訓練が嫌になりサボって時。河原で寝っ転がり見ていた光景に似ている。そしていつも、探しにきたウォーレンに怒鳴られ、その後何故かウォーレンも隣で横になり、探しに来た教官に2人共。怒鳴られていた。
昔の思い出が心をギュッと締め付けた。
「団長、後進育成の件だが断っておいてくれ、片腕のない教官に怒鳴られても誰も真面目に話を聞いてくれないと思うから」
ジルコーは全く心の整理がついていない中でそう呟いた。
自分ならどうせ油断してたんだろうとか言いその教官の話を聞くことはないからだ。だからジルコーは後進育成の打診を断る決断した。
「残念だな」
「えぇ、すみません」
「なんのことだ?」
「はい? 俺は教官にはなれないと言う話では?」
「ちょうどよかったじゃないか、やめ時を失った隊長が実戦で怪我して教官になる。よくある話だ。これで後進育成の話は片付いた」
歯車が噛み合わない会話にジルコーはそれを理解しようと必死だ。
「はい?」
「だからお前は教官に転職するんだ。ついでに言っておくぞ、騎士団を辞めることも許さない。辞表を持ってきてもビリビリに破ってやる。破れないなら燃やしてやる、燃えないなら食ってやる! 今日付でお前は正式に騎士団教官への転属を命ずる、拒否も否定も許さない、やってくれるか? 俺に引退の引導を渡してくれ、俺もやめ時を見失ってな、困ってるんだ。お前にしか頼めない、やってくれ。これは命令じゃない、お願いとでも受け取ってくれるとありがたい」
ウォーレンは左手をジルコーに差し出すと堪えていた涙が一気に堰を切ったかのように溢れ出し、弱々しい力でウォーレンの手を握る。
「わかりました……わかり、ました。わかり…まし、た」
ウォーレンはそのままジルコーを胸に抱え落ち着くまでそばを離れなかった。




