旅立ち
ご覧いただきましてありがとうございます。書いたりするのは初めてですが、誰かに楽しんで頂けたらうれしいです。
数時間後、リジェネは街を出ていた。もう日の傾く時間帯だが、そんな事は彼にとって些事だった。今すぐ街を出たいという衝動が胸の中に渦巻いて、じっとしていられなかったのだ。その結果宿屋を解約し、旅の道具を簡単に揃え、人によっては『信じられない』と言うような速さで彼の旅は始まった。
予め調べた道をてくてく歩いていると、日が完全に沈んだ。この世界には街の外の道を照らす明かりは無く、今夜はどういうわけか月が見えないため周囲は完全なる闇に包まれた。きっと新月か、それともまだ月が登っていないかの二択だが、暗いことには変わりない。
にも関わらず、リジェネは足を止めなかった。きっと彼の瞳孔は凄まじく広がっていることだろう。
そんな状態で長時間歩き続け、日が昇る頃に次の村へと辿り着く。
朝早くに到着した彼を村人はもてなした。
この世界の農村は、旅人の来訪に慣れている。表立って宿屋を営業してはいないが、交渉して相応の対価を払えば泊めてもらえるし、食事も出してもらえる。
リジェネもまたそんな普通の農家に宿泊した。
その日から暫くはそんな事の繰り返しだった。食事や休息を取ってまた歩く。休憩できる場所を見つけては休憩し、腹が減れば食事をする。野宿をした日もあった。節約するために何か野生動物や魔物を見かければそれを狩り、次の村や街で売る。路銀をある程度稼ぎつつ、一週間程度歩いて『街』と言える場所に辿り着いた。
そこで所持品の整理や装備の整備、補給を済ませ、ギルドに入って似たような依頼が無いか確かめる。まあそんな都合の良い依頼など無く、2日程度で街を出た。
そして今までと同様に次の村へ立ち寄る。
何も変わらない。ただ珍しく同業者というか、ご同輩というか、旅をしていて同じ様にその村へ一宿一飯を求めた人が居たのだ。
時間帯は昼前。朝と言うには遅く、昼と言うには早い、そんな曖昧な時間にその人は村に入ってきた。
「ごめんくださ〜い!」
一般的には快活あるいは元気そうな、しかし夜通し歩いた頭が作り出したフィルターを通せばやかましいと感じる声だった。女性特有のやや高い声。
その時はすぐに睡魔に襲われて眠ってしまった。彼女と関わることになったのはその後のことだった。
午後。昼食を人によってはこれから摂る、というような頃合いにリジェネは起きた。
起きてすぐに身支度を整えて、屋根裏部屋から出る。井戸で顔を洗っていると、そのご同輩がやってきた。
「あれ、あなたも旅の人?」
顔を拭って振り向くと、金髪のお姉さんがそこに居た。やや背が高く、スラッとした美人だ。
「ええ、はい。」
2、3歳は年上だろう、と思って敬語で返す。
「そうなの。随分と早いのね?」
「何がです?」
「宿に入るのが、よ。私もかなり早目に入ったけど…」
彼女の視線で自分が井戸の前に立っていて邪魔なことを思い出し、場所を開けた。
「すみません。」
「ありがとう。で、私も早かったけどあなたもでしょ?もしかして同じ行き先かな、って思ってね。」
彼女は気にした様子もなく水を汲み、言葉を繋いだ。
「俺は西の大都市、ファルモステルに行くところです。」
言外に行き先を聞かれている気がしたので答えると、彼女はにこりと笑って提案する。
「なら、一緒にどう?」
リジェネが黙っていると、女は再び口を開いた。
「あなた、冒険者でしょう?他に誰も居ないし…。なら、どんなタイプにせよ、パーティーを組んだ方が良いと思うの。」
そんな彼女の言葉を聞いて尚リジェネが黙っていた理由は他でもない。
驚いていたのだ。
女性の一人旅が危ないのは言うまでもないが、それにしても初対面で、しかも出会って30秒もしないうちに旅のお供に誘うとは。
しかし、美人局的な罠がこんな辺鄙な村にあるとも思えない。もっと直接的な闇討ち目的なら、そもそも近付く必要が無い。
色々と考えて警戒してみたが、断る理由が見つからなかった。
しかし一緒にいる理由もない。
そうしてこういったニュートラルな見解に落ち着いた場合、リジェネが取る行動というのは決まっていた。
「もし俺の事を心配しているなら…間に合っていますよ。」
彼はすんでのところでお節介という単語を飲み込んだ。努めて角の立たないように言葉を選ぶ。
そしてその結果、彼女は残念そうに目を伏せる。
「…そう。」
「お姉さんが戦闘力の無いタイプの後衛で、止むに止まれぬ事情で前衛を探している…のであればお供しますが、そういった事情でもないですよね?」
「ええ、うん。悪かったわね、余計なこと言って。」
「いえ。では、これで。」
戦闘力の無い後衛ならば、まず一人旅をしないだろう。事情は分からないが、切羽詰まっている状況でもないのだ。ならば、一緒にいる必要は無い。
そう結論づけて、その場を立ち去った。
借りている屋根裏部屋に戻ろうと歩いていると、遠くから誰かを呼ぶ声がした。
「おぉ~い!」
その声のする方向へ行ってみると、宿と食事を提供してくれた家主が居た。皺のある顔で朗らかに笑うおじいさんで、年齢を感じさせないほど溌剌とした声を出す。とても元気な人だ。
「どうかしましたか?」
そう聞くと、おじいさんは抑揚のある言葉遣いでこう言った。
「手伝っとくれぇ!」
足元を見れば、土の入った大きな木製のバケツが置かれていた。恐らく堆肥か何かなのだろう。
「了解です。」
そう答えてバケツを持ち上げる。
一緒に運ぼうとするおじいさんを運ぶ場所さえ教えてくれれば一人でやりますよ、と言うと、嬉しそうに礼を言って帰っていった。
全部バケツを畑へと運んでから宿へ戻ると家主と先程のお姉さんがお茶を飲んでいた。
予想しなかった人物に驚いて目を向けると、あちらもこちらの存在を認識して目があってしまった。
気まずいので目を逸らし、おじいさんに話しかける。
「バケツは全部運んでおきましたよ。」
「ありがとう。」
おじいさんは大きな声で、特徴的なイントネーションのお礼を言う。
「他、何か手伝うことはありますか?」
「おー…ないのう。十分じゃ。ありがとうな。」
「では、俺はこれで。」
そう言って少し頭を下げ、借りている屋根裏部屋に帰ろうとすると、おじいさんに呼び止められた。
「茶ぁでも飲まんかあ。」
「…頂きます。」
そう言って空いている席に座った。上座(?)に座るおじいさんが手元にあったやかんだかポットだかを持ち上げて、陶杯にお茶を入れてくれる。
リジェネはそれを眺めながら、心底どうでもいい事を考えていた。
思えばこの家の構造は、個人営業の狭い民宿を想起させる。一階に食卓があり、二階以上は倉庫や寝室、という構造だ。玄関を開ければすぐにリビングが見えるので、普通の民家とは構造が少し違うのだ。
出されたお茶を飲んで一息ついていると、向かいに居たお姉さんが口を開いた。
「君は何をしにファルモステルに行くの?」
「依頼です。手紙を届けに。」
「ふ~ん?」
そんななんとも言えない反応をして、お姉さんは黙ってしまった。
リジェネは微妙な空気感を打開したくてつい、言わなくても良いことを言ってしまう。
「お姉さんは何をしに行くんですか?」
「私は…実家に帰るのよ。」
「…ご結婚でもされたんですか。」
適当に想像して聞き返すとお姉さんはどっと笑い、否定する。
「違うわ。パーティーで休暇を取ることになったから、ちょっとだけ帰省することにしたの。」
「そうですか。」
とはいえ、だからどうということもない。気がつけばお茶は無くなっていた。
「ご馳走様でした。」
お礼を言うと、おじいさんは『はっはっは』と笑う。
そしてリジェネは今度こそ屋根裏部屋へと帰るのだった。
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