プロローグ
「貴女たち、全員クビよ。今日からこのパーティは、私とウィリアの二人だけにするわ」
パーティのリーダーである女賢者のアレサが、冷酷にそう言った。
「あっははー。もおーう、アレサちゃんったら前置き無さすぎー。みんな驚いちゃってるじゃーん」
アレサの背後から抱きしめるように腕を回して、彼女の赤髪に自分の顔をうずめているのは、女勇者のウィリア。彼女は、じゃれるようにアレサの頬を指でツンツンとつついている。
ここは、辺境の街ラムルディーア。
ある日突然、この世界を脅かす最強最悪な魔王が出現し、この街近くの山奥に本拠地を構えてから十数年。それをきっかけとして集まってきたモンスターたちに支配され、「地獄に一番近い街」なんていう汚名をかぶってきたここも、今は少しずつ復興の兆しが見え始めている。数日前に到着した勇者パーティによって街を支配していた中ボスモンスターが討伐され、それまで奴隷のようにこき使われていた人間たちが解放されたからだ。
その街の、モンスター支配時代からしぶとく営業を続けていた唯一の酒場「灰色の魔法使い亭」の一番奥のテーブルを、住民たちにとっての救世主とでもいうべき勇者パーティの五人が囲んでいた。
彼女たちは中ボス戦クリアの祝杯と、これから向かうことになる魔王戦に向けての決起集会をしていた……というわけではなかった。
バァンッ!
「な、なんだとっ⁉ もう一度言ってみろ!」
クビを宣告された三人のうちの一人、上等なシルバーの鎧に身を包んだ女戦士が、席から立ち上がって、テーブルを乱暴に叩く。
「ウ、ウ、ウソ……で、ですよね?」
地味な黒いローブの女付与術師が、今にも泣き出しそうな表情で震えている。
「え……えー、と? それ、マジの話?」
女吟遊詩人は、ギターのような楽器を弾いていた手を止めて、口角をヒクつかせている。
「ふっ」
そんな彼女たちを、小馬鹿にするように鼻で笑うアレサ。
「せっかく私が気を遣って遠回しに言ってあげてるのに、その優しさが伝わらないのかしら? 仕方ないから、ハッキリと説明してあげる。貴女たちみたいな役立たずのザコにはもう用がないから、とっとと消えて欲しいって言ってるのよ」
「そ、そんな……」
「きゃははー! 辛辣ぅー!」
ショックを受けている付与術師を、勇者ウィリアが指を差して笑っている。
怒り心頭という様子の戦士は、テーブルを挟んだ向かい側のアレサに掴みかかろうかと言うほど、前のめりになる。
「バ、バカな! これからようやく魔王討伐の本番というところまできておいて、五人パーティのうち三人もメンバーを解雇するだとっ⁉ そんなことが、本当に許されると思ってるのかっ⁉」
「ええ、もちろんよ」
興奮している女戦士に対して、賢者アレサは――退屈すぎてウンザリとさえ思えるほどに――完全に落ち着いていた。
「パーティ編成は、リーダーの私の特権ですもの。私が必要ないと思えば、いつでも誰でも自由にクビにできる。そんなこと、この世界だったら冒険者一年生のド新人が、チュートリアルで習うことよ? そんなことも分からないくらいに無能揃いだなんて……私の決定が正しかったってことが、さっそく証明されてしまっているじゃないの」
それから彼女は、元パーティメンバーたちを冷たい視線で見下しながら、順番にクビの理由のようなものを言っていった。
「まず、戦士……。魔法もロクに使えない脳筋のアタッカーなんて、ラスボスの魔王戦に通用するわけないでしょ? 貴女なんか、完全上位クラスの勇者のウィリアがいてくれれば必要ない。むしろ、足手まといなのよ」
「……くっ!」
「それから、付与術師……。攻撃、防御、回復の全ての魔法を使える賢者の私がいるのに、補助魔法の付与術しか使えない貴女の出番が、あると思う? 当然、私だって付与術は使えるしね」
「そ、それは……」
「最後に、吟遊詩人……って、いやいやいや! 逆に、戦闘力皆無の貴女は、よくここまでついてこれたわねっ⁉ 貴女に関しては、魔王戦に連れて行くほうが可哀想でしょっ⁉」
「あー……やっぱ、そーなっちゃうー?」
「と、とにかく……」
軽く咳払いして、もちまえのツッコミ気質が崩してしまった緊張感を取り戻す。そして、アレサはまた冷酷な表情を作った。
「これはもう、決定事項だからね? クビになった後の所持アイテム分与とか失業保険給付とかの詳しい話は、この街の冒険者ギルドで聞いてちょうだい。私としてはこの話はとっくに終わってることだから、これ以上、貴女たちと関わるつもりはないの。……っていうかもう目障りだから、さっさとどこかに消えてくれるかしら?」
「じゃーねー。バイバイみんなー」
「……っ!」
まだまだ納得のいっていない様子の元メンバーの三人だったが……それでも、リーダーのアレサに従うしかないというのは事実だ。
結局最後には、三人ともその酒場を出ていくことになった。
それから。
「ようやく、二人きりになれたわね……ウィリア」
「だねー」
元仲間たちが完全に出ていって邪魔者がいなくなると、アレサは今までの冷たい表情を捨て、うっとりと恋する少女の表情になった。
「今日からは、ずっと二人きり……。私たちだけ……なのよね」
「うん……」
ウィリアも、そんなアレサに可愛らしい微笑みを向けている。
テーブルの席から立つアレサ。後ろから抱きついていたウィリアの方に向き直り、正面から彼女を見つめる。二人は両手と両手を合わせ、体と体を寄せ合う。アレサの真紅の髪と、ウィリアの輝くような金髪が、色が混ざり合うように重なっていく。
騒がしい酒場の一角で、彼女たちの周囲だけが別の世界になってしまったかのようだ。
「ああ……ウィリア……」
「アレサ、ちゃん……」
アレサはピンク色に染まる自分の顔を、ウィリアの方へと近づけていく。自分の想い人の可愛らしい顔に……みずみずしいプルプルの唇に……自分の唇を近づけていく。
やがてその二人の心理的、物理的な距離が限りなくゼロに近づき、気持ちの通じ合った恋人たちが、お互いの唇を合わせる……その直前で。
「……はーい! 今は、ここまでー!」
そう言ってウィリアが自分の人差し指をアレサの唇の前において、その接触を止めてしまった。
「そ、そんなっ⁉」
アレサは「おあずけ」を食らった形だ。しかしまだ諦めきれないらしく、口をキスの形にすぼめた間抜けな顔のまま、未練がましくウィリアに迫る。
「で、でもっ! せっかくこうして二人きりになれたのだから、ちょっとくらいなら……せ、せめて、先っちょだけ……先っちょだけでもっ!」
「だーめっ」
ウィリアはそんなアレサから体を離して、数歩歩く。それから、くるっとターンをするように振り返って、可愛らしく、アレサに言い聞かせた。
「もおー、いつも言ってるでしょー? 私はみんなの憧れの勇者様で、そのうえ、由緒正しいゴールバーグ王国の王女様なんだよー? そんな私が、結婚前に誰かとキスするとか、ありえないんだってばー。勇者様で王女様の私は、応援してくれるみんなの期待を背負ってるの。だから、そんなみんなの夢を守るためにも私は健全でおしとやかな、貞節を守る淑女じゃなくちゃいけないのー」
「そ、それは、そうだけど……で、でもっ!」
「……アレサちゃん、」
それでも食い下がろうとするアレサに、そこでウィリアがイタズラっ子のような小悪魔的な表情を向けて……、
「だからそういうのは全部、私たちが結婚してからのお楽しみ……でしょっ?」
と言った。
「は、はうぅぅっ!」
その完璧過ぎる笑顔に、完全にハートを撃ち抜かれてしまったようだ。アレサは喘ぎ声をあげながら膝から崩れ落ち、しばらくの間、恍惚の表情を浮かべて体を震わせていた。
しかしやがて……何事も無かったかのように立ち上がると、真剣な面持ちで、ウィリアの柔らかな手に自分の手を重ねる。彼女はどうやら、思い出したようだ。さっきの行動の意味……どうして自分がさっき、これまで一緒に戦ってきた仲間をあっさりとクビにしたのか。
それは……。
ウィリアの手を取ったアレサは、「夜の星々に自分たちの将来を約束し合う恋人たち」のように空を見上げて――実際にそのときの彼女たちの視線の先にあったのは、ボロくさい酒場のボロくさい天井だけだが――、高らかに宣言した。
「勇者で王女様のウィリアと、ただの一般人の私。そんな私たちが身分の差を超えて結ばれるには、誰も私たちに文句が言えないほどの圧倒的な功績が、必要不可欠っ! だから私たちは、他の誰にも頼らずに二人きりで、世界征服を企む最強最悪の魔王を倒す! 魔王を倒して世界を救えば、誰も私たちには逆らえないはずよね⁉ だって身分や家柄なんて、世界を救ったという偉大な功績の前では、誤差みたいなものなのだからっ! そして、世界中の誰からも反対されず、むしろ世界中の誰もが祝福してくれる状況で結婚した私たちは……そこで晴れて、誰に遠慮することもなくさっきの続きを……キスや……も、もちろんそれ以上のアレやコレも! 本能のままに、ヤッて、ヤッて、ヤり尽くしてやるのよーっ!」
「わー、アレサちゃんのお下品ー」
……と、そんなわけで。
ウィリアのことが大好きで、彼女のことを考えると知能が激減してどんなとんでもないことでも出来てしまう残念賢者のアレサ。そして、そんなアレサにもヒイたりせず、他人事っぽいリアクションを返しているだけの適当な性格の勇者ウィリア。
二人は、世界の平和をおびやかす魔王を討伐して、その恩赦としての「幸せな結婚」を目指していたのだった。