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First Love (6)


スタジオが静まり返る。息を呑むような時間が数秒過ぎる。そして最初の音が鳴った。ハープのような音だった。高く、澄んで、柔らく、歌うような音。だが、楽器から鳴った音という感じではなく、もっと自由な、あらゆる束縛から解放された音だった。冒頭のたった数小節で伝わる。光り輝く朝露、そこに映る眩い朝日、木々の緑、街の風景。世界の全てがその一滴の雫に映り込んでいる。そしてその雫が、風に揺れ、宝石のように輝いて、滴り落ちる。それはこの音が、この朝露の雫のような小さな音が、世界の全てを表現できること、この世の最も美しいものを表現できることを意味していた。その意味に気付き、それを意識した瞬間、文彦は自分の胸が熱くなるのを感じた。


(これが音楽なんだ… それを伝えようとしているんだ。この曲で。この演奏で… )


世界が朝露に映り込むように、真がその思いをこの曲に込めて演奏しているのを感じる。共感を超えた心の動きだった。まるで真の心の動きに沿って自分の心が動くような、そんな感覚。目に見えない心でさえも、音楽はこれほどまでに完璧に伝えられる。それすらも真はこの曲に込めて表現しようとしていた。


たった数分の演奏だった。その中で文彦は、これまでどの音楽を聴いても感じたことのないような感覚を感じていた。音楽に対する価値観が今までと全く変わってしまった。世界がひっくり返ったような気分だった。呆然として立ち尽くす文彦を見て、茉莉花は嬉しそうに、してやったりという表情を浮かべる。そんな茉莉花を見て、文彦は我にかえり、少し気恥ずかしさを覚えた。ヘッドホンから崇と真の会話が聞こえてきた。


「どう、調子は?」

「… うん。悪くない」

「このまま行けそう?」

「うん」

「よし。じゃあ次、RTO 試してみよう」


(RTO って何だろう?… )


何か表示されているかもしれないと思い、文彦は辺りの AR のコンソールを見渡す。そのうちの一つに、こう表示されていた。


Real-Time Orchestration Mode


リアルタイムオーケストレーションの略だったようだ。ブレイバーにより、同時に複数の楽器の音色を使ってリアルタイムで演奏する技術だ。まだ課題があり実現していないと聞く。これからそのテストをするんだろうか。コンソールにはブレイブが表示されていた。ブレイブとは、ブレイバーのデバイスが検出した脳波を可視化した画像のことだ。コンピュータへの入力シグナルごとに脳波が色分けされて表示される。色の凡例を見ると、11種類もの入力シグナルが使われていた。


(11種類!? 初めて見る。こんなに多いの… )


脳波の解像度が高いフルフェイス型のデバイスでも、制御できる入力シグナルは多くて7種類と言われる。それさえも普通の人では使いこなせない。同時に7つのことを考えながら操作するようなものだからだ。専用デバイスだからできるんだろうか。それとも真の特殊な能力なのだろうか。さっきは音楽に気を取られていたけれど、今度はブレイバーにも注目してみようと文彦は思った。


「準備できたよ。いつでも始めていいよ」


崇が言う。すると、いくつかの種類の音が同じ高さで鳴り出した。まるでオーケストラのチューニングのようだった。コンソールのブレイブを見ると、入力シグナルが一つずつ反応している。一つのシグナルで複数の音色を制御しているようだ。単純に一対一という訳ではないらしい。アルペジオのような複雑な音も聞こえる。音が止み、再び静かになった。数秒の間を置いて、演奏が始まる。


(!? これは… )


音楽というよりは、いくつもの音の重なりだった。ほんの出だしの数音。それが重なり、一つの情景となる。暗く冷たい、夜の情景。そこに月の光が差す。光の中には少女が佇んでいた。そこにまた別の音が重なる。それは小さな手だった。夜空に向かって差し伸べられた、少女の小さな手。その色、その形、指の動きまでが伝わるような音だった。天高く、微かに煌めく音がする。夜空に瞬く星々だった。その光をつかもうとするように、少女は手を伸ばす。届くはずもないその光に。


この夜に溶ければ、届くのだろうか

星に、月の光に、真実に…


真の想いが心の中に響く。文彦は自分の頬を熱いものが伝うのを感じた。隣で茉莉花も泣いている。どうして自分たちが泣いているのか、すぐに分かった。真が泣いている。その心の動きに沿って、自分たちも泣いているのだ。音が消えていく。天に昇りながら、溶けて霧散してゆく。そこで演奏は終わった。


この世のものとは思えない美しい音楽だった。いや、これは音楽なんだろうか。先程の曲とも違う。明確なメロディーやハーモニーは感じられない。ただ、音からは、はっきりと情景が伝わってくる。こんなことが可能なのだろうか。たった今体験したばかりなのに、にわかには信じられなかった。まるで奇跡を目の当たりにしたかのように、文彦は再び呆然と立ち尽くした。


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