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First Love (5)


「そうだ、ラボ見学しに来ない?」


お昼を食べ終わる頃、茉莉花が言った。文彦が聞き返す。


「ラボって Soundscape の?」

「うん。そこで真のお父さんがブレイバーの開発をしてるの。あと、私のお母さんと、誠司のお父さんも」


親同士が会社の同僚で、それで3人は幼なじみなのかと、納得しながら文彦は返す。


「そうなんだ。ここから近いの?」

「バスで10分ぐらい。明日の放課後、空いてる? 帰りは遅いと夜9時くらいになるけど、大丈夫?」

「うん。明日は用事ないから大丈夫。帰りも親に言っておけば大丈夫だと思う。晩ごはんは?」

「1階に社食があって、いつもラボのみんなで、そこで一緒に食べてる」

「そうなんだ」

「それじゃ、私たちから真のお父さんにお願いしてみるね」

「ありがとう。よろしく」

「こちらこそ! … そうだ、私たち日直だから、そろそろ戻らないと」


そう言って、茉莉花と誠司は席を立った。今日が日直ということは、クラスAの出席番号1番と2番は茉莉花と誠司ということになる。やはり学年トップスリーはこの3人だったようだ。まさか入学二日目でこんな出会いがあるとは思ってもみなかった。



翌日の放課後、文彦は自分の教室で茉莉花と誠司の授業が終わるのを待っていた。真は一足先にラボに向かっていた。確かに仕事の手伝いをするなら、授業が早く終わるクラスBのほうが都合がいい。でも、それでいいんだろうか? あれだけ優秀な真だ。クラスAにいれば、どんな大学にでも行けるだろう。その可能性を自分で閉ざしているように思えた。それ以上の何かが、この仕事の手伝いにあるんだろうか? 今日ラボに行けば、それが分かるんだろうか? そんなことを考えているうちに、茉莉花と誠司が教室に入ってきた。


「お待たせ。さっそくだけど、これに一筆書いてくれる?」


茉莉花から差し出されたのは、秘密保持に関する誓約書だった。


「ラボの入館のときに必要になるの。今どきアナログよね」


文彦は条文にざっと目を通し、署名する。


「これでいい?」

「うん。それじゃ、行こっか」


バスの時刻まで間がないらしく、3人はすぐに教室を出て、校門前のバス停に向かった。到着すると、間もなくバスがやってきた。


行き先は工業団地のはずれで、少し奥まったところにある静かな場所だった。茉莉花からは「詳しいことは着いてから話す」と言われていて、車中では会話はなかった。文彦は先程の続きを考えながら、窓の外を流れる景色を眺めていた。次第に建物がまばらになり、道の脇には木々が続くようになる。工業団地を抜けてさらに奥に進む手前で、T字路を右に曲がり、間もなくして目的地が見えた。これまでの景色からは想像もつかない、大きなコンサートホールのような建物だった。


「これが Soundscape 社のラボ。どう? 驚いた?」


バスを降りながら茉莉花が文彦に訊ねる。その笑顔はどこか自慢げだった。


「こんな場所にあるんだね。なんていうか、静かっていうか、何もないっていうか… 」

「振動対策なんだって。そのための特別な区画らしいよ。それでわざわざこんなところに建てたみたい」


バスを降りた3人は、ラボの建屋に入った。ガラス張りのエントランスは吹き抜けで広く、内装は黒で統一されていた。受付で先程の誓約書を提出して入館証を借り、ゲートを通る。ゲートのすぐそばはカフェテリアで、そこからパンケーキのいい香りがしてきた。


「ここの名物なの。この時間限定だから、今度来たときゆっくり食べましょ」


茉莉花が言う。そのまま茉莉花の案内で1階の通路を奥に進む。左手に中庭を見ながら廊下を通り過ぎる。綺麗に手入れされた庭で、春先の可憐な花がたくさん咲いていた。ラボと言うから堅苦しいところを想像していたが、だいぶイメージと違っていた。


「綺麗でしょ。私もたまに手入れを手伝うの。レコーディングに来るアーティストも多いから、心が和むようにって」


自慢げに茉莉花が言う。明るく振る舞う茉莉花とは対照的に、誠司はずっと黙ったままだった。心なしか表情が暗いのが気になった。


その庭の先にあるのが、ブレイバー開発のための専用スタジオだった。茉莉花が扉に手を掛ける。文彦は少し緊張した。扉が開き中に入ると、そこは薄暗いコントロールルームだった。音楽スタジオというよりは、何かの実験施設のような雰囲気だった。コンソールはほとんどが AR で、専用のブレイバーで操作するタイプのようだ。文彦からはテーブルと椅子だけが並んでいるように見える。そこで数名のスタッフが作業をしていた。


奥の大きな窓越しにブースが見える。そこには全身を包み込むような卵形の装置が2台あった。黒い椅子型の筐体に半透明の濃い紫のカバーが付いている。おそらくフルフェイス型のブレイバーの専用チェアだろう。そのうちの一台に、真が制服のブレザーを脱いでスタンバイしていた。


「遅くなってすみません。文彦くん、連れてきました」


茉莉花が声を掛けると、奥の男性がこちらを振り向いて軽く右手を上げた。体格の良い朗らかな中年男性で、口髭と白衣がよく似合っている。いかにも慣れた感じでグラス型のブレイバーを着け、首にはモニター用のヘッドホンを掛けていた。


「やあ、ちょうどよかった。今から始めるところだよ。君が文彦くんだね。初めまして。佐伯崇と言います。真の父です。真がお世話になってます」

「伊藤文彦です。今日は見学させて頂いて、ありがとうございます」

「いや、こちらこそ。興味持ってくれてありがとう。今からテストするから見ていって。そっちのブレイバーとヘッドホンを使って。そう、それ」


挨拶もそこそこに、崇は専用チェアで待機する真に向かって指示を出す。


「それじゃ、いつものから行こうか」


ヘッドホンを掛けようとしていた茉莉花に、文彦が聞く。


「いつものって?」

「アリア。バッハのゴルトベルク変奏曲の最初の曲。ベンチマーク用にいつもこの曲から演奏するの」

「そうなんだ」

「聴いたら驚くわよ」


いたずらっぽい笑みを浮かべる茉莉花を横目に、文彦もモニター用のブレイバーとヘッドホンを着ける。ブレイバー越しに AR で表示された多数のコンソールが目に入った。ヘッドホンからは崇の声が聞こえる。


「OK 。いつでも始めていいよ」


スタジオの緊張感が一気に高まった。皆、固唾を飲んでブースを見守っている。それにつられて文彦も胸が高鳴った。


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