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気持ち落ち着く

 夕暮れの柔らかな日差しの中、木刀の風切る音が庭に響く。

 西日を背に剣を持つのは師範の娘である美人女子大生。ビジュアル的には颯爽として見惚れるが、やっていることは体罰教師も真っ青な木刀での滅多打ち。 


「ちょっ! 智恵さん! ストップ!」


 一方的な打ち込みに翔太は待ったをかけるが、智慧に聞く耳など一切持なく「問答無用!」と木刀を振る手が緩むことはない。


「ほら、ほら! 考え事なんかしていたら打たれ放題だよ!」


 マシンガンもかくやという矢継ぎ早な連打の嵐。躱すのが精いっぱいで反撃に転じるなんて、とてもとても。


「考え事なんかしている余裕なんかないって!」


「だったらもっと精進しなさい!」


 言うやさらに手数が増えていく。

 体格差から力では翔太が圧倒しているが、女性特有のしなりや軽さもあってか、剣を繰り出すスピードは智恵が一歩抜きんでている。ゆえにこうした打ち合いでは、分は智恵のほうにあることが常。


「一心不乱に剣を振れ!」


「打たれるの間違いでしょう!」


 しこたま打ち据えられた十数分。

 一見すると稽古の名を借りたイジメか、あるいは理不尽の塊にも思える一方的な打ち込みであるにも関わらず、不思議と打たれるたびに滓の様なモノが静かに消えてく。

 悲壮にも熱くもならず、心の中にあったもやもやがゆっくりと晴れていく。智恵が「どう?」と訊く頃には、青空が映る湖のように心穏やかになっているのが感じられたのであった。

 

「今日はこれくらいにしましょう」


 縁側に戻った智恵が面を外すと、頭に巻いた手拭いから湯気が湧きたつほど。

 如何な木刀とはいえ竹刀に比べれば重量はそれなり、それを十数分に渡ってひたすら打ち込んでいたら相応の汗もかくだろう。


「どう。スッキリした?」


 上気して桜色になったうなじから滴る汗が色っぽい。手拭いで髪を纏めているので、翔太の角度からだと細い首筋と鎖骨の付け根が丸見え。思春期の少年にはいささか目の毒な光景に、翔太は視線を逸らして「はい」と答える。

 が、お姉さんにはお見通し。


「ムリしないで、もっとガン見したら良いのに」


 からかうようにケラケラ笑うと、道着から着替えるために浴室に消えていく。

 おかげさまで〝余分なこと〟を考える余裕がなくなり、八重樫のことでウジウジ悩むことは無くなっていた。

 そして時間が経つこと半時間。

 普段着に着替えた2人が、お茶のペットボトル片手に縁側に腰かける。


「まだ高校生なんだから悩むときはいっぱい悩んでも良いけど、ここで稽古を受けている時は稽古に集中しなさい。学校で授業を受けている時に集中するのと同じよ」


「智恵さんも講義の時は集中しているんですか?」


「そりゃ机の下でLI〇Eのチャットをコッソリと……って、私のことは良いの!」


 自分のことを棚に上げる智恵をジト目で睨みながら翔太は「でも物騒な事実には変わりない」と忘れた訳でないと主張すると「当然よ」と背中を叩かれる。


「気にならないなんて言ったら、それはそれで翔太クンには気遣いが無いの? って逆に心配になるわ」


 要はメリハリを持てという事。

 心配することも大事だが、学ぶべき時・鍛えるべき時にまで考え込んでいたら、本来しなければならないことが疎かになる。


「父は口下手だから、それが言えないのよね」


 アハハと智恵が笑うが、翔太にしたら「いや、貴女も木刀で叩きつけているのだから同じですよ」と声を大にして言いたい。度胸がないから言わないけど。


「でも物騒なご時世になったのは間違いないわ。翔太クンも例の〝彼女さん〟の安全にはよく留意してね」


「だ、誰ですか? 彼女さんて?」


「あら、恍けるのね?」


「恍けるも何も、南条とはただのクラスメイトだし!」


 厳密には一緒にルームシェア(というより、住まわせてもらっているようなモノだが)もしている上に料理で餌付けまでしているのだが、余計な誤解を生むだけなので言わない方が賢明。

 力を込めて「違う!」と否定しているのだが、お節介な姉弟子ときたら「また、またぁ」と信じる気が一切ない。


「ムリして秘密主義にしなくても良いのね」


 からかうように「そー言うことにしておいてあげるわ」と言って背中をバンバンと叩く。これが思いのほか痛く背中が腫れているんじゃないかと思うほど。

 美人で運動神経も抜群で繊細な気遣いもできるのに、行動がガサツでオッサンさながらだからモテないんだよと喉元まで出そうになる。


「そー言うことにしておいてください」


 反論するのも疲れて、手を振ってこの話はお終いの意を示す。

 そんなことも有ってか、いつの間にかモヤモヤが消えていたのは、結局のところ翔太も脳筋だからだろうか?


「疲れたから帰ります。いちおう師匠にも挨拶しておきたいのだけど……」


 これも当人は自覚していないが精神的にはキッパリ体育会系。浮ついて稽古に臨んだ詫びも含めて挨拶したいと訊くが、問われた智恵も「さあ?」と困った様子。


「声をかけたんだけど返事が無いのよね。タバコでも買いに行ったのか、いつも黙って出て行っちゃうから困るのよ」


 勝手な親よねと愚痴を吐きながら「父が帰ってくるのを待っていたら、何時になるやら分からないから遅くなっちゃうわ」と翔太の帰宅を勧める。


「そういうことでしたら」


 一礼して道場を辞すると、既に日は落ちてずいぶん経つようで、どっぷりと暗くなった路地を街灯の灯りが煌々と照らしていた。

 時計を見ればもうすぐ夜の8時。

 そりゃ外も暗くなるわと一人納得すると、人間とは単純かつ現金なモノで、時間と日暮れを認識した途端「ぐ~」と腹の虫が鳴る。それも結構大きな音で鳴ったため、玄関先にいた智恵に聴かれるというオマケ付き。

 もちろん、しっかり「ぷぷぷ」と笑われた。


「あー、お腹は育ちざかりみたいね」


 思いやりで少し遠回しなセリフが逆に恥ずかしい。

 俯きながら「そこは触れないでください」と懇願するが、傍若無人な姉弟子が傷口に触れぬなどあり得ない。


「いやいや。お腹が空いたらグーって鳴くのは『空腹期収縮』といって健康な証拠よ。五体満足を自慢しなさい」


 科学的根拠で懇切丁寧に解説しながら、傷口にこれでもか塩を塗りたくる。見栄を意識しだした思春期の少年には、例え誰が聞いていなくとも拷問にも等しい所業だ。


「なんだったら回れ右をして、晩ごはん食べていく?」


 おいでとばかりに親指をグッと立てると、おいでとばかりに家のほうをクイっと指す。

 胃袋が同意しろとばかりに激しくグーグー鳴くが、ここで食べると玲香が「わたしに断食でもしろと?」となるのは確実。


「いえ、けっこうです」


 やせ我慢すると、何か気付いたように「ああ」と手を叩く。


「例の彼女さんに、晩ごはんを作ってあげないといけないんだ」


「なんで知っているんですか!」


 アンタはエスパーか?

 訊いても「ナイショ」とはぐらかされ、あげく「そりゃ、愛しい彼女を待たせちゃ悪いわね」と翔太は埼玉邸から追い出されてしまったのであった。

読んでいただきありがとうございます。


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