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暗雲の前兆


 ナの国の北方、大山脈を挟んだ場所にオウの国が存在する。

 大陸のおよそ4割を占める広大な領地に1000万に届こうかという人口、更には豊富な資源をバックとした工業が盛んで質量ともに他国を圧倒しており、正真正銘この大陸最大の覇権国家と言えよう。

 ただ残念ながら大陸の北方に位置する地理的条件から、面積の割りに農業に適した土地が少なく、食料自給率が芳しくない問題を常に抱えていた。

 他方、ナの国をはじめとする大陸の南方に位置する小国家群は、肥沃な大地に恵まれと事と相まって農業の盛んな国が大多数を占めていた。

 そういう地政学的な問題から、北方のオウの国と南方の小国家群の間では古くより相互依存関係ができており、主に食糧などの農産品を小国家群が工業製品や加工品をオウの国が輸出する体制が構築されていた。

 〝南方の小国家群はオウの国の食糧庫。故においそれと手を出すようなことはない〟

 その認識が一種の安全保障になっており、それを証明するかのように覇権的大国でありながら、オウの国が武力による外征を行うことはなかった。




「お館さま。オウの国より大使が来訪され、お館さまにお目通りを願い出ておりますが?」


 ある日の午後。

 宰相ゲープハルトが国王パーセルに来客の旨を告げた。


「オウの国の使者が儂に謁見の申し出? 今日、そのような約束があったか?」


 記憶にないと首を捻るパーセルに、ゲープハルトも「いいえ」と首を横に振って肯定。


「オウの国の大使とは、そのような約束はしておりませぬ」


 オウの国からアポも取らずにやって来たのだと強調。礼儀を無視したいきなりの来訪に些かの侮蔑を含みながら「断りますか?」と訊いてくる。

 確かに先触れもなしに訪れるなど、不敬で非常識の極みではある。いかに他国の大使であろうが、ふつうなら門前払いをしても礼儀作法として誹りを受けるようなことはない。

 しかしそれは相手が格下~同格の場合は、で、ある。


「さすがに、そうもいくまい」


 相手がオウの国ともなれば話は別。それは悪手だとパーセルは断じる。

 ナの国は小国としては豊かな部類に入るが、オウの国と比べれば大人と子供の差どころではない国力の優劣が存在する。無用なトラブルを起こすリスクは是が非でも避けたい。


「では、接見ということで」


「是非もないが、使者殿の……オウの国の目的が何であろうか?」


 先触れも出さずの謁見の申し入れ。そこに隠れる真意は何か? 

 パーセルはゲープハルトに意見を求めた。


「……推測に過ぎませぬが、先の長雨による大禍が何かしらあるのではございませぬか?」


「あの長雨か?」


 訊き返すパーセルにゲープハルトが「御意」と首を縦に振る。


「先の長雨は我が領ののネトの大河のみならず、オウの国のラーインの河も氾濫したと聞き及びます」


「元をたどれば同じ沢。山の峰で分かち合っただけだからな」


 当然だろうとパーセルは答える。

 ネトとラーインの両河川の源流は大山脈の頂付近にある沢である。いくつかの沢が集まり小さな池ができたところに分水嶺があり、南に流れる沢がネトの河となり北に流れる沢がラーインの河となるのだ。ゆえに両河川は鏡の裏面が如きもの、氾濫も等しく訪れるのである。


「出入りの商人から聞きかじった話ではありますが、ラーインの氾濫規模はネトの河以上であるとか? 記録的な大洪水でオウの国の小麦は壊滅的だともっぱらの噂です」


 声を潜めるゲープハルトにパーセルは「ううむ」と唸る。


「噂半分としても、相当な被害であるな」


 国家元首の嗜みとしてパーセルも他領の概要は通り一遍熟知している。

 前述の通りオウの国は国土こそ広大だが、農耕適地はさして広くなく穀物の自給率は6割前後といったところ。そして耕作地の多くはラーイン河の流域に集中している。したがってラーイン川が氾濫すれば、食においてオウの国はたちどころに窮地に立たされるのだ。


「加えて蔵なども水没に遭い、備蓄の麦がダメになったなどという話しも聞き届いております」


「となると、麦の価格が高騰か!」


「気に聡い商人が既に動いているとか?」


「それは芳しくないな」


 寝食足りてではないが、糧となる食糧価格が高騰すれば民衆の不満が一気に増大する。ことと次第によっては大国であっても崩壊することだってあり得るのだ。よって麦の適正価格の維持は、統治者にとって重要な仕事となる。


「ゆえに平時なら商人任せの麦の買い付けを、大使自らが要請に来たのやも知れませぬ」


 ゲープハルトは食糧問題の解決に大使自らが動いたのでは? と具申する。

 ひとしきり推測を述べたゲープハルトに、パーセルは「あり得ぬ話ではない」と一定の評価を下だす。

 しかしこれらはすべて推測の域に過ぎない。


「何にせよ、会って話をしてみなければ何も分からぬな」


 結局のところはそこに落ち着き、ゲープハルトも「御意」と同意する。

 あれこれ考えても詮がない。パーセルは大使を謁見の間に通すように命じたのだった。




 オウの国の大使との接見がなされたその日の夜。

 レーアはパーセルから直々に呼び出しを受けた。


「お父さまがこのような小部屋に、わざわざわたしを呼ぶなんて……何があったのですか?」


 開口一番。

 呼び出した理由を尋ねる。

 ふつうの用向けであれば謁見の間で行えばよく、プライベートな内容であれば食堂などで言えば良いだけの話、わざわざ密会で使うような小部屋に呼びつける必要などない。しかも宰相ゲープハルトまでもが同席しているとなると、いよいよ秘匿性の高い要件であるとしか言えず、さしものレーアも背筋を伸ばさざる得ない。

 ところが。

 自分から呼び出したにもかかわらず、当のパーセルの反応は鈍い。テーブルで両手を組んだまま「うむ」とか「ああ」とか言いながら、なかなか話を切り出そうとしない。遂にはゲープハルトから「お館さま」と促され、ようやく「実はな」と重い口を開いたのであった。


「レーア。オウの国からオマエに婚約の打診が来ている」


「婚約? わたしに?」


 唐突な婚約話に、レーアの声が1オクターブはね上がる。

 驚くのも無理はない。

 レーアはパーセルの一人娘。母親である王妃が既に他界している現在、側室を持っていないパーセルにとってレーアは唯一の王位継承者となる。

 当然のことながらレーアの結婚は他国への輿入れではなく、他国からの婿取りだと当の本人も含めて誰もがそう考えていた。


「相手はオウの国の第3王子。彼の妃に請いたいと、オウの国の使者が親書を携えてきたのだ」


「第3王子の妃……ですか?」


 微妙に言い回しをするレーアにパーセルが「そうだ」と答える。

 が、当のパーセル自身も「婿であるなら、またとない良縁であるが」と困惑を隠せずにいた。


「オウの国と縁を結べるのは良いことだけど、相手が第3王子でしかも輿入れだと、あまり意味がない様な……」


「左様。オマエの言う通りだ」


 第3王子が婿にきてレーアが王女としてナの国を統治するのであれば、オウの国と強固な絆ができて政略結婚として最上の出来である。

 しかし輿入れだと結果は真逆。王位継承者であるレーアがオウの国に取り込まれ、極言すれば属国も同然となる。


「我がナの国を軽んじているとしか思えぬ差配だな」


 パーセルが毒づくのも無理はない。しかし相手はオウの国。


「相手が相手です。軽々しく断ることも厳しいでしょう」


 困惑した表情のもままゲープハルトがひと言付け加える。

 否応なしにレーアは国の岐路を決定づける場に引きずりだされたのであった。

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