姉弟子暴走
「服の軍資金なら心配しなくても良いわよ」
言うや知恵がバッグから財布を取り出すと、お札がぎっしり詰まった中身を見せつけながらほくそ笑む。
その金額たるや、軽く見積もっても30万は下らないのでは無かろうか。
「スゴっ……」
金額の多さに翔太が声を漏らすと「ああ、これは」と出所の所以を知恵が明かす。
「翔太クンの月謝を資産運用したら、笑っちゃうくらいの運用益が出たのよね」
「あの月謝で!」
「その月謝でよ」
大卒正社員の月収と同じ額を、大したことはないとばかりに軽い口調で返答してきた。
マジかよ。
俺の趣味のついでだし、ちゃんと受け取ると経理が面倒くさいと周作が主張した理由から、翔太は月謝を寸志程度しか渡していない。年額でせいぜい1万あるかないかだろう。
「もちろん元金は私の貯金も含めて運用したけど、運用益の割合からしたら、翔太クンの月謝分だけでこれくらいはあるわよ」
事なげに言ってのけるが、軽く見ても元金の5倍はあるだろう。相場師どころか山師もかくやというべきギャンブラーぶりである。
おそらくというより確実だが、知恵がファンドマネージャーに就任したら、凄腕を超えカリスママネージャーとして幹部登用されるのは間違いない。
だとすれば……
「もしかして、知恵さんにオレの貯金を預けたら……」
「ん? 2年預かったら、最低でも桁を1つ持ち上げてあげるわよ」
迷うことなくキッパリと言い切った。恐るべし。
ひょっとしたら埼玉家の家計のやりくりは知恵の資産運用で賄っているのかも知れない。マジでそう思わせるだけの剛腕振りだ。
「そんな訳だから利益還元ということで、お姉さんに任せてみなさい」
胸をドンと叩いたかと思うと、両手をワサワサと動かして品定めを初める。
見れば口元から涎を垂らし、目が妖しく光っている。
「お、お、お手柔らかに」
一歩二歩後退りながらも豹変する姉弟子に、翔太は首を縦に振るしかなかった。
「いんや。キッチリばっちりコーディネートしてあげるから覚悟しなさい」
言うや翔太の腕を掴むと、知恵が売り場奥へとグイグイと引っ張っていく。
その後の行為ついては、男の着替えなど描写してもつまらないので割愛する。
ただ……
「翔太クンて、見た目よりも細マッチョていうか、存外筋肉質だったのね」
知恵には裸をしっかり見られたのであった。
若干のアクシデントと少々恥ずかしい目には遭ったが、任せろと言っただけあり知恵のファッションセンスは中々のもの。ワークショップの服飾品を巧くセレクトしながら、普段使いでちょっとおしゃれな上に着回しができる品物をピックアップしてくれた。
「でも本当に貰っちゃって良いの? 奢ってもらうにしても気が引ける額なんだけど」
「最初に言ったでしょう「軍資金は任せなさい」と? それに足は出ていないからちゃんと奢るわよ」
何ともお大尽なセリフ。しかも「荷物が多くなったんだから、帰りはタクシーだよね」と帰りの車まで手配してくれるという至れり尽くせりぶり。
「大丈夫ですか? 明日雨降らないですよね?」
「翔太クン。私を一体何だと思っているの?」
「享楽に命をかける女」
翔太が口にした途端、後頭部に「ゴン」と鈍い痛みがさく裂した。
教訓。雉も鳴かずば撃たれまい。
「ひと言多いのよ。まったく」
口をへの字に曲げ、プンスカ文句を言いながら知恵がタクシーの後部座席に乗り込む。
って、えーっ!
あまりに自然な流れに思考が追い付いてこなかったが、これだと翔太と知恵が同じタクシーに乗って帰宅するということになる。
それはマズイ。絶対にマズイ! そんなことをすれば玲香の存在を知られることになり、あることないこと根掘り葉掘り追及を受けることなってしまう!
「オレと知恵さんとでは、帰る方向が真反対だと思うのですが?」
だからタクシーに同乗は不経済でしょう? と口にしたところ、知恵の背中から得体の知れないどす黒くモヤモヤしたものが湧いてきた。
「ふ~ん。翔太クンはか弱いレディーな私に「歩いて帰れ」と言うのね?」
「そうじゃなくて。方向が別々」
だから一緒に乗り合わせるのはムリがある。と、皆まで言い切ることはできなかった。
「翔太クンはか弱い女に夜道をひとり遊びさせても平気なんだ」
「どこがか弱いんですか! 竹刀持ったらオレよりはるかに強いし、全国大会に王手をかけるほどの剣豪なのに」
「今は丸腰よ」
「合気道も有段者じゃないですか!」
ぶりっ子もかくやという知恵の言い分に、翔太は「ウソ付け」とばかりにクレームを唱える。
見た目はキレイなお姉さんだが、中身はバトルジャンキーのやべえヤツ。下品なナンパをしてきたチンピラをのしたとか、痴漢相手の大立ち回りなどの乱暴狼藉……否、武勇伝には事欠かない。
ひとりで帰ったからって、何の不安があることか。身の危険に怯えるのはむしろ加害者のほうではないのか?
至って真っ当な論理だが、この姉弟子に向かって口に出すほど愚かではない。
あくまでも心の中だけに留めるのだが、しかし。
「翔太ク~ン。表情が黒いけど、良からぬことを考えてない?」
なぜか完全に見透かされている!
エスパーもかくやという知恵の読心力に翔太は戦慄を覚える。
「いえ、何も考えていません!」
嵐を避けるには、身を低くして通り過ぎるのを待つしかない。
ゆえに翔太は直立不動で即答して、知恵の暴風から身を護ることにしたのだが、嵐というヤツはなかなか予測通りには進んでくれない。
「そ。だったら分かるわよね?」
傍若無人が荒れ狂い「スポンサーは私」の強権が発動されると、翔太に選択の余地など一欠片も有りやしない。
「お金の流れから見たら、タクシーに同乗しているのは、私ではなくむしろ翔太クンのほう。言いかたを変えたから、問題ないと納得するわよね?」
優しい口調で問うてくるが、意訳すれば「おどら、判ってるやろな! あん?」とヤンキーが凄んでいるのと同義。
まるでテレビの同時通訳のように知恵の罵声が翔太の耳に入ってくる。
こんな状況で返す言葉は一択「どうぞ、乗ってください」である。
「分かればよろしい」
鷹揚に知恵が頷きタクシーが発車すると、翔太は頭をフル回転させて〝どうすれば玲香と住むマンションがバレずに済むか?〟を必死に考えた。
残念ながら〝これがベスト〟という画期的なアイデアは出なかったが、頑張ったおかげで消極的な対案はいくつか思い付くことができた。
しかし……
「うーん。却下」
「なら、これは?」
「ダメ。認めない」
「ならば」
「却下」
「いや。まだ何も言ってないし」
出した対案がことごとく知恵によって弾かれてしまう。
曰く「詰めが甘くて面白くない」というダメだし。
「翔太クンが私に新居を見せたくない感がアリアリなんだもの。巧妙に隠せば良いのに、言い訳がヘタ過ぎて興ざめするわ。いっそ開き直って「来るな」のほうがまだマシよ」
との辛辣な添削。大学生と高校生のポテンシャルの違いをまざまざと見せつけられた格好だ。
もうマンションを知られるのは仕方なし。
半ば諦めたところ、何故か知恵が「これ以上からかうと、翔太クンから本当に嫌われるわね」と急にしおらしい態度をとる。
話の急変に付いていけず「どういうこと?」と訊き返すと「これからもずっと、からかいたいもの」煙に巻いたような回答。意訳すると「今後もからかい続けるから、今日はこのくらいにしておいてアゲル」ということのようだ。
「なんて後輩想いなんでしょう! 感謝して欲しいわね」
「それ、自分で言います?」
「誰も言わなきゃ、自分でアピールするしかないでしょう」
ぎゃあぎゃあ言いながら「確かに送ったわよ」と翔太をタクシーから追い出し、知恵が「アバヨ」と敬礼のポーズをとって去っていった。
「どこまでも騒々しいヒトだよな」
走り去るタクシーを見送り、急に静かになったことに翔太は何とも言えない脱力感を感じる。
良くも悪くもお節介で面倒見の良い姉弟子である。表面上からかい倒しているが、その実めいっぱい気遣われていることが痛いほどわかる。
だからこそ邪険には出来ないのだが、疲れることには間違いない。
そして、翔太にとって面倒臭い女は知恵だけではないのだ。
「遅い!」
建屋のエントランス前にまで出てきて仁王立ちする女、南条玲香。
同居人でもあり大家でもあり、餌付けした相手でもある。
「今日は稽古で遅くなるかも? と連絡したはずだけど」
夕食は適当に外食して欲しいと告げたのに「そんな怠慢は許さない」と斬り捨てられる。
やれやれ、今日は女難の相かね? と肩を竦めながら「はいはい」と適当にあしらう。
言っても無駄なことにエネルギーを割いてもしかたがない、冷蔵庫の余りもので何が作れるかを考えるほうが建設的だろう。
そんなやり取りを遠くから眺める女がいた。
「やっと見つけました。〝姫さま〟……」
その瞳は敬うような懐かしむような色を滲ませ、期せずして涙があふれていた。
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