第72話『成績不調のヒロト』
ヒロトは、いつも通りに地下ジムへと向かっていた。
その姿はどこか、不機嫌そうにも見える。
「(このままだと、ラビットに負けられないだの言ってられねぇな…)」
彼の言うことは、至極全うであった。
魔力コントロールもろくにできないこの現状では、ヒロトとラビットは同じ天秤の上には乗れそうにない。
今の10組全体の実力は、どうやら下の上らしい。
「このままじゃあ下下下の下じゃねえかよ…」
なぜ人は、自嘲のときに限ってギャグセンスが上がるのだろうか。
座布団などいらないからハンカチがほしいなぁなどと思いながら、ヒロトはついに地下ジムのドア前に到着し、そのドアを開けるのだった。
「このギャグでラビットも風邪引いて打倒できるか…──んぁ?」
ヒロトがドアを開けると、いつもは出迎えてくれる生徒会が来なかった。
そして、中はすっかり閑静としていた。
「すげえな…俺のギャグは生徒会にも通用するのか…」
ヒロトはとりあえず、中に入って生徒会を待つことにした。
いつもは放課後にはしっかり待ち合わせてくれるが、きっとまあ予定も食い違うことはあるだろうと思ったのだが…──
「大丈夫だった?ラビットさん」
「ええ…昨晩はいろいろありましたが…」
どこからか聞こえる2人の声。
ラビットとカリンである。
「なんだいるじゃねえか」
会いに行こうと、ヒロトは声のする方へと向かう。
だが、ドアを開けると、そこは更衣室。
2人が脱いだと思われる制服は、そこに整頓されて置かれていた。
「──とはいえラビットちゃん、相当打ちのめされてる風じゃないですか…背中は私が洗いますからね」
「──あ…ありがとうございます…」
どうやら2人は一緒にシャワーを浴びているらしい。
ここにいるとまたラビットに難癖をつけられそうだ。
さらに、彼女の声にはあまり活力がない。彼女を不機嫌にさせるわけにはいかない。
ヒロトは更衣室を出ようとした、その時である。
「──えいっ!」
「──ひゃあっ!」
カリンの声に続いて、ラビットの高い声が響いた。
ヒロトは驚いて立ち止まる。
「──ちょっ!どこ触ってるんですか!」
「──ラビットさん、前より大きくなったかもね」
「──ホッ…ホントですか!──…っていや、そんなことよりやめてくださいっ!」
「ッ!?」
ヒロトの脳内に、妄想が鮮明に現れ始める。
健全というよりかは少し変態寄りの思考回路の彼は、この奥での2人を勝手に想像できてしまったのだ。
「(大きくなったって…いや…あのペッタン子もトレーニングで成長するものなのか…)」
カリンの発言に何やら妄想が捗ってしまう。
彼女が手を止めたのか、ラビットは落ち着く。
そして、カリンは語り始める。
「──かと言って、大きすぎるのも困りものなのよね…」
「──え?」
「──実は私、I以上はあるの」
「「──!?」」
一斉に驚くヒロトとラビット。
ヒロトは衝撃の事実に声が出そうになるのを押し殺していた。
「(あ…Iカップだと!?想像もつかねぇ!)」
ヒロトは巨乳に目がない男であった。
この世に存在しないものと思っていたが、こんな近くに楽園があったとは…。
「──ここまで来ると、これをどうにか制服に収めないといけないんだけど、これがまたすごい弾力で、どんなブラもすーぐ外れるの。ほら触ってみて」
「──…確かに、すっ…凄い弾力!」
ここまでやられると、もはやヒロトのヒロトも現気になってしまう。
「(ヤベッ!鎮まれムスコ!)」
「──わ…わたくしそろそろあがりますからっ!」
「(なにっ!ソイツはヤベえ)」
ヒロトは急いで更衣室を出て、最悪の事態を免れたのであった。
※
「…あら?」
「…!ヒロトさん…」
「よ…よう2人とも。今来たとこだよ」
ヒロトは笑みを引きつらせて、ラビットに手を振る。
「…」
だが、ラビットはヒロトから顔を逸らしてしまった。
表情は、怒っているでも恥ずかしがっているでもない。どこか物憂げであり、彼女にはある変化も見受けられた。
「…?ラビット、そのクマは…──」
「…!」
ヒロトが言うとおり、彼女の目の下には、深く刻まれたクマがあった。
彼がそう言うと、ラビットはなぜかさらに目を隠した。
「な…何なんだよいったい…」
「何でも…ありませんから…」
「?」
いつもなら、今日の彼女のようではないのだが。
彼女はどこか呼吸が安定せず、足早に出口へと向かっていくのだった。
「今日は、わたくしもう帰りますっ!」
「…気をつけてね」
カリンは一言を伝えてから、彼女をその場から見送るのだった。
「──…なんだか心配だな」
「ええ、朝からずっとあの調子でね…授業も早めに抜けちゃって、ここに来て修行をしたいって言ってたけど、流石にあの様子じゃ無理なので、ちょうどさっきシャワーを浴びさせてたの」
「…」
何の予兆もなく訪れたラビットの変化が、ヒロトは気になって仕方がなかった。
だが、カリンは大凡は知っているらしい。
「あの夜のことが、夢に出てきたらしいわ」
「“あの夜”…──ムーン家のあの事件か…」
パッと頭に浮かんできた。
「でも、この学園に来てラビットと出会ってから、こんなことは初めてだぜ?」
「ええ…私も心配でならないわ」
嘆息を漏らすヒロト。
ラビットはライバルである。彼女がどうにかしてしまうのは嫌でしかたがない。
「ところでだけど、ヒロトくん」
「…え?」
カリンにそう呼ばれ、ヒロトは彼女を見る。
表情はどこか、からかうような笑みを見せていた。
「実はね私の胸、別にIもないのよねぇ」
「ッ!?」