1.プロローグ
私はバカだ、そう思った瞬間、風見の横腹に深々とボディーブローが突き刺さった。そのまま地面に膝から崩れ落ち、倒れこんだ。もう何度目かも分からない。そこらじゅうに吐瀉物と血を吐き散らし、胃の中には何も残っていなかった。
「まだだぞぅ」
スキンヘッドの大男が風見の長い髪を掴み力任せに引き起こした。髪の毛が何本か抜ける音がする。
やめろよ、あんたみたいにハゲたらどうしてくれる、と思ったが、口に出す気力はない。
「すぐに殺してもらえるなんて思うなよ」
大男はなにが可笑しいのか下品な声で笑った。
立派なビルの薄暗い地下駐車場。埃とカビと血の匂い充満している。
そこにはすでに二つの死体が転がっている。一つは、出口に向かう通路の途中で転がっている。ここに連れて来られてきたとき、すぐに逃げようとして、スキンヘッドに背後から銃で撃たれて、死んだ。このときスキンヘッドは心底、残念そうな顔をしていたのを風見は見ていた。不思議に思ったが理由はすぐに分かった。この男は本物のサディストだったのだ。
二つめの死体は、おおよそ人とは思えない無残な形をしている。左腕は肩からチェーンソーで切り落とされ、断面はズタズタだ。右腕はあるが、爪は全て剥がされている。両足は腿の部分に各十本づつアイスピックが突き刺さっている。殴られ続けた顔は元の大きさの三倍以上に膨れ上がっており、原形を留めていない。両耳もナイフでそぎ落とされている。
やったのはもちろんスキンヘッドだ。
風見はその一部始終を椅子に縛りつけられた状態で見させられた。時々スキンヘッドが風見の方を見てニヤニヤと笑いかけた。次はお前だぞ、と。
拷問され、人とは思えぬ声で泣き叫び、気絶すれば水をかけられ無理やり起こされあと、額を銃で撃たれ、やっと殺してもらえた。
二人が殺されたことについては風見は何とも思わなかった。仲間とは名ばかりの関係だ。
彼らと仕事を始めたのは一年ほど前からだ。 深夜、会社の事務所などに忍び込み金庫を開けて中身を頂く。簡単な仕事だ。しかし、調子に乗ったのがまずかった。それまでのように小さな仕事を続けていれば良かったのに、大金がありそう、と安直な理由だけでマフィアの経営する裏カジノに目をつけた。結果、このザマだ。
「俺たちみたいな仕事は舐められたら終わりなんだよ」
スキンヘッドはそう言って、風見のみぞおちに膝蹴りを突き上げた。ズシリとした感触が風見の内臓に響く。地面に崩れ落ち、体をくの字にしてもだえ苦しんだ。息ができす喉がヒューヒューと嫌な音をたてるのが分かる。
「新井さん、どうしますか?」
スキンヘッドの男が駐車場の奥に向かって声をかけた。
それまで壁にもたれかかり一部始終を黙って眺めていた男が、こっちに向かって歩いてきた。奴が新井か。明らかにスキンヘッドよりも格上だ。
「こんな鳥ガラみてぇに痩せた女じゃ風俗に落としても客つきませんよ」
スキンヘッドがまたも下品な声で笑う。新井はゆっくりと煙草を銜え、火を点けた。そして、しゃがみこんで這いつくばっている風見の目を真っ直ぐに見つめた。
「女、選ばしてやる。今すぐ死ぬか、俺に五百万払うか。金払えば許してやる」
考えるよりも先に口が動いていた。
「ふざけるな」
風見は息も絶え絶えで言うと、新井の顔に向かって唾を吐く。が、新井は事も無げに唾を避け、立ち上がった。
「殺して欲しいそうだ」
スキンヘッドがスーツの内ポケットから銃を取り出し、少し名残惜しそうな顔をしながら、それを風見に向けた。
「クソッ、クソッ。死んだらお前らのとこに出てやるからな。絶対に呪い殺してやる」
「お前の根性は買うがね、相手が悪かったと思って諦めろ」
スキンヘッドが風見の腹を力いっぱい踏みつけた。暴れないよう、逃げられぬよう。
クソ、そんな事しなくても、こっちにはもう立ち上がる気力すらないよ。風見は気づかぬうちに泣いていた。何だったんだ、私の人生は。良いことなんて一つも無かった。こんな形で終わるなんて。
一瞬の静寂の後、この場に不釣合いなメロディが駐車場内に響いた。おもちゃのような安っぽい電子音の『蛍の光』。携帯の着信音だ。少し離れた所に立っていた新井がポケットから取り出し耳に当てた。
「もしもし」
スキンヘッドは電話が終わるまで待つようだ。銃口はしっかりと風見の方を向けているが、首をひねり新井の方を見ている。散歩終わりでエサを待つ犬のようだ。いっそのこと早く殺せよ。風見は心の中で毒づいた。
「お前か。久しぶりだな。……またかよ。分かった、何とかしよう」
新井は電話を切ってポケットにしまった。スキンヘッドが殺しますよ、と言ったが手で遮り、風見を見下ろす。
「女、喜べ。寿命が少し伸びたぞ」
なに言ってるんだ、こいつは。私は殺されるんじゃないのか。頭の中がパニック寸前になっている風見に、新井は表情も変えずに続けた。
「ま、ここで死んだ方が良かったかもしれんがな」