1-5 下り
ディアスとの協力関係成立後、自分はあの建物、ディアスの庁舎兼自宅で一夜を過ごした。
そして今日の昼前、ラムスの北部都市に向かって出発し、今、森の奥深くにて歩みを進めている……のだが。
「まったく……他の魔法にとどまらず、まさか転移魔法すら共有されていないとは……」
脳内に残念そうな声が響く。
「"すら"って言わないでよ。自信が無くなるよ」
仕方ないだろ、と言わんばかりに返答する。
庁舎を出発して小一時間、自分たちはすでにタメ口で話せるほどの仲になっていた。
初めの方はかなり違和感があったが、お互いの開放的な性格は意外と相性が良かったらしく、あっという間に何の気兼ねもなく会話ができるようになっていた。
……だが、それはあくまでも"性格"の話であって、"あること"の相性だけは最悪だった。
「ツイてないなぁ……。まさか誰にでも自動共有されるはずの魔法が、一個も共有されていないなんて」
――ディアスの「魂」との相性。まるで、磁石の同極同士のようだった。
「普通、他人の魂を取り込めば、その人間の能力が宿主に共有されるはずなのだがな。……やはり、お前が異世界人だからだというのが、一番可能性のある原因だろう」
"普通なら"魂を取り込むと同時に、その当人の能力が共有されるらしい。
……しかし、自分がその"普通なら"に当てはまらなかったのだから、ショックである。
「はあ……出だしからこんなんじゃ、なんだか調子出ないなー……」
口にした通り、いまいち調子の出ない口調でそう呟く。
出発する直前のことだった――。
◇ ◇ ◇
「では、まずは"北部都市"に戻るとしよう」
「北部都市?」
「うむ。名前の通り、この国"ラムス"の北部側に位置する都市だ。今俺たちのいる庁舎は、この南北の都市の境にある」
ディアスの言葉と同時に、ラムスの概形が刷られている地図の中心部に目が行く。その中心部の上下には何やら謎の文字が太字で記されていて、文字こそ見たことのないものだが、「北部都市」「南部都市」という意味を持っているということだけは、今のディアスの発言から何となくわかる。
だが、そんなディアスの発言に、何かが喉に引っかかるような違和感を覚えた。
「あれ……? ディアスさん、自分を召喚する前に北の森でいろいろあったんスよね?」
「ん? ああ、そうだな」
結局何が言いたいのかというと、ディアスが北の森で痛手を負ったというならば、今いるここのディアスの庁舎も、その北部都市内にあるのが普通ではないだろうか、ということ。
「森から一番近い、北部都市の庁舎に戻ったんじゃないんスか?」
他の都市に庁舎や自宅があるのだとしても、半分幽霊、それもいつ魂が消えるかもわからないという際どい状況の中、北の森から最も近いはずの北部都市ではなく、それよりも距離がある別の地区の庁舎へわざわざ行くメリットが無い。むしろ、召喚するまでの間に消える危険すらあったはずだ。
なぜそんなリスクを背負いながらも、北部都市ではない別の庁舎へ移動する必要があったのだろうか。
「なるほど、お前の考えていることが分らんでもない。……だが、俺はもう国内ではとっくに死人扱いされていると考えられる。もしそうだとして、今や勤める者がいないはずの庁舎から人間が、それこそお前みたいな一般人が出てきたらおかしいだろう?」
「それならそれで、影の肉体のときに誰かに伝え……あ、そうこういろいろ話してるうちに消えちゃうかもですね」
「そういうことだ。だから俺は――召喚という最も安全かつ手早い手段を選んだんだ」
ディアスがあらゆる意味で詰みかけていたということを改めて実感する。今自分たちがこの庁舎にいるのも単なる成り行きではなく、ディアスが崖っぷちの状況でたどり着いた最善の考えゆえのものなのだとも思う。そしてなぜここが北部都市内の庁舎ではないのかという疑問も、キレイさっぱり無くなった。
「さ、疑問も解決したようだし、さっさと"転移魔法"で移動……を?」
突然言葉をつかえさせるディアス。
「どうかしました?」
「転移魔法が……使えない、だと……!?」
ゲームの世界限定のようなワードを前に、いまいち衝撃を覚えられない。
だが、それとは反対に、ディアスは驚愕にとどまらず焦燥すらしているようでもあった。
「いや待て……。転移魔法どころか……電属性魔法以外がまったく共有されていないではないか!」
「えーと……何かマズい事でも……? というか、自分の足で行けないほどここから遠いんスか?」
事の深刻さがイマイチ呑み込めていないので、ディアスがここまで焦る理由が謎だった。
「遠いも何も、この庁舎は南北を分ける『山』の中腹にあるんだぞ……! 今から急いで下山しても、魔獣どもが湧き出てくる夕方にまで着けるかも怪しい……」
「なんでそんなところに庁舎建てたんスか!?」
ようやくディアスの焦燥の意味が分かる。
よく見てみれば、部屋の小窓の外には鬱蒼とした森が広がっていた。
慌てて部屋の中で一番大きなカーテンを開ける。
「うぇぇ……マジかぁ」
――ディアスの言ったまんまの光景が、目の前には広がっていた。麓までの距離感が、やはりここが山の中腹であるということを強調しており、そして北部都市らしい大きな市街地が絶景のごとく広がっている。
もっとも、この状況で絶景などと呑気なことは言っていられないが……。
見た感じだと、自分の感覚的に徒歩だと3・4時間くらいはかかりそうだ。
おまけに日が暮れ始めれば、魔獣が出てくるという危険もセットになってくる。
この世界の時間の流れが元居た世界と同じだというならば、太陽の位置から見て、ディアスが言った通り夕方にギリギリ北部都市に着くか着かないかぐらいだろう。
転移魔法が使えないのは不便、それだけでなく、場合によっては無駄に命を危険にさらすことにもなるのだった。
「……ようやく、状況の深刻さが分かったようだな」
こちらの強張らせた表情を見たかのように、状況のマズさを反芻させるディアス。
「ま、まさか本当に徒歩でこの山を……?」
ひきつった笑みを窓の外に向けながら、半分答えが分っている質問を口にする。
「仕方があるまい。他に手段があるというなら、迷うことなくそっちを選ぶ」
まだどれほどの文明の世界なのかは分からない。一瞬、さすがに馬車あるいはタクシーのようなものがあるのではないかと思ったが、かといって車類が通れるようなまともな道がこの深い森の中に続いているとも見るからに考えにくく、その提案もあえなく消滅した。
「諦めるんだ。交通手段を頼るという今のお前の考えもそうだが、もはや楽して都市に行く手段は残されていない」
仕方がない。この言葉に尽きる。
泣く泣く徒歩で移動することになったのだった。
◇ ◇ ◇
……と、今に至る。
幸い森の中には、かろうじて道と呼べるほどの狭い林道が通っており、進行にそこまで苦労しているわけではない。
だが、ずっと同じ景色・同じ道……なんの変化が無いのもまた苦痛なものである。
途中、切り株や丸太に腰を掛け休憩を挟みながら進んではいる。が、だからといってその都度に疲労がリセットされるというわけでもない。
休憩で消化しきれなかった疲労が、明らかに蓄積し始めている。
都会育ちには歩き慣れない傾斜続きの地形、時折地面から肌を見せる太すぎる木の根によって作り出された複雑な地形が、足の裏にじわじわとダメージを与えてくる。それを感じるたびに休憩を挟む。
これらの繰り返しだった。
「はあー。山下るのって、意外と大変だな……?」
下山に集中していてしばらく開いていなかった口が、ついに溜まりに溜まっていた疲労に耐えきれずに開かれる。
「――ふう……やっと終わった……。お前が山を下っている間に、魔術の共有状態についてさらに調べておいた」
同時に、別ベクトルの疲労を顕にするディアス。
山を下っている途中、心中でいろいろな愚痴を一人で吐いていたのだが、それに全く反応しなかったのはディアスもまた何かに集中していたからだったらしい。
「さすがに寝てた訳じゃないんだね」
「そんなわけないだろう。ただでさえ国が危機にさらされているかもしれんというのに、呑気に昼寝などしてられるか」
これで「いやバッチリ寝てました」的な答えが返ってきたら、流石に何か嫌味の一つでも言ってやろうかとも思っていたが。ディアスの見た目通りの真面目な考えと返答を前に、そう考えていた自分を反省する。
「それで、何か分かったの?」
脱線しかけていた話を元に戻す。
……別に期待などしてない。しかし、やはりどこかに良い結果を求める自分がいる。
「それが、これまた驚いたぞ。――あらゆる魔法どころか、どうやら電属性魔法まで共有されていないようだ」
「は? 今なんて?」
「電属性魔法を含めた、全ての魔法が全く共有されていない、そう言った」
「……ま?」
いい結果もクソもあるか。……そう心中で吐き捨てる。
特殊能力どころか、最後の希望だった電属性魔法すらも共有されていないという始末。
なんのプラス要素も含まれておらず、むしろマイナス要素しか持っていない結果を前にし、落胆が疲労に上乗せしてドッと押し寄せる。
「まあそう落ち込むな。俺はまだ結果のほんの一端を話しただけにすぎんぞ?」
「はぇ……? 一端だけ?」
連続した間抜けな声とともに、失望と疲労に完全に圧し潰されかけ萎萎になっていた内心にかすかな明かりが灯った。
「――謎の力だ。鉄の魔犬どもと同じ、未知の。そしてこの世界で弱点がまだ分かっていない、最強の属性エネルギー……。どうやら、俺はこれを電属性魔法と勘違いしていたようだ」
「さ、最強!? 弱点が存在しない!?」
「ああ。研究が困難すぎるため、はっきりとしたことがまだ解ってはいないんだ。ただ、現段階で分かっていることが"水と火"のような相互関係が存在しないということ。つまり、弱点が存在しない最強の属性というわけだ」
「お、おお……! それは少し……いや、かなーり嬉しいかも!?」
先ほどの消沈した自分はどこへ行ったのやら。
興奮に声を上げ、顔を輝かせる。
「――ふ。俺も、なんだか少し安心した」
突としてディアスは、小さな笑い声とともに頭の中でそう言葉にした。
脳裏には笑みが浮かんでいて、それを見ていると自然と疲労が抜けていくような感じがした。
同時に高ぶっていた気持ちも、良い要素だけを残して落ち着く。
「と、いうとつまりは?」
「うむ。やはりお前は、何か『意味』あってこの世界に召喚された。……そう思うと、心が軽くなっただけだ」
気が付けば、いつのまにか体にのしかかっていたような疲労はどこかに消え去っていた。重かった腰もいつの間にかすっかり軽くなっている。
そうして明るい気持ちのまま、再び下り道を歩き始めた。