その3の1
その3の1
「事実は小説より奇なりと言います」
50代の紳士はカイゼル髭の先を摘まみながら、慌てずゆったりとした口調で話し続ける。その緩急のある口調は、初めこそ興味なさげに聞いていた学生たちの心を掴んでいく。20分を過ぎたぐらいで、学生たちの目はキラキラ輝かせていた。
「日本の歴史は長く、脚色、恣意が混じる物語を正史として長く学校で教えてきました。君たちにはもっと本当の歴史を学んでほしい。困ったことに創作物より史実の方がエキサイティングなんですよね」
教科書からスクリーンが浮かび上がり、ゲームマップのような戦場が映し出された。武将の名前に凸型の駒が並び、赤と青で区別されゆっくりと動き出す。
「とはいえ、創作物が常識のように広まっているのも事実です。というわけで、せっかくなので二つ知りましょう。難しい? 面倒? いやいや、面白いものですよ。徳川家康が小早川秀秋に銃撃したなんて、常識的に考えて聞こえるはずないんです。マップを見て頂いてもわかるでしょう? しかし、これはこれで面白い!」
彼はチェックのベストから銀の懐中時計を取り出すと、すぐにチャイムが鳴り響いた。
「僕はね、歴史の時間が嫌いでした。興味もなかったし、つまらなかったんですよね。でも今は違います。その誤解を解いていきたい、それが僕の目標なんです。では来週、天下分け目の大戦。関ヶ原の戦いを解説しようと思います」
紳士はゆっくりと姿を消し始める。
それと同時に、生徒たちの姿も消え始めた。
そして、なにもない真っ暗な部屋だけが残った。
ゆっくりと暗闇が明けていくと、そこは木造建築の教室内だった。生徒の数は30人ほどいたにもかかわらず、現在は5人しか座っていない。
「お昼どうする? 僕は香川でうどんか、東京でちゃんこがいいな」
「全国の連中と合流すんのがめんどい、そこの定食屋でいいじゃん」
「私はフランスでケーキ食べたい!」
「あたし彼氏と海中レストラン予定してるからパスね」
昼休みの食事を何にするか話していると、後ろで体を起こし伸びを始める生徒がいた。
ボサボサの黒髪の男子で、肌も日に焼けている。他の生徒は緑や黄色、灰色など髪の色が違い肌も真っ白な中で、彼だけが浮いて見えた。
「竹原、相変わらず授業中によく寝れるね」
「朝の漁手伝ったんだ」
彼は今時珍しい、釣りで魚を取る漁師の子だ。ちょくちょく朝の漁を手伝いに行っている。そのせいで日に焼けた肌をしている、というわけではない。
普通にシャンプーをして、ジャンクフードを食べれば自然と髪や肌のダメ―ジを回復、保護して理想的な栄養素を得られて太ることもない。
竹原宗像は天然素材の石鹸、そして食事をしているのが分かる。
暗闇から解放された教室には山と、海が広がっていた。彼は山と日本海が生んだ本物の田舎の少年。その少年がそのまま高校二年生になったかのような天然ものなのだ。
気だるそうな宗像に対し、クラスの4人は羨望の眼差しを向けていた。
「で、次の授業なんだ?」
「昼休みだよ! 2時まで休み!」
「ん? やべぇな、歴史の授業ほぼほぼ記憶ないわ」
クラスメイト達はやれやれと顔を見合わせた。
そうは言いながら、成績は優秀なのだ。趣味は読書で、得意分野は歴史と数学。学生と漁師見習いの二足の草鞋をちゃんとこなしている。正直、クラスメイト面々はとても真似できそうにない。
「まぁいいや、新広。後でノート見せてくれよ」
話しかけてきた少年はため息をつく。
「ここからここまでやった、これでいい?」
「もう少し愛情をこめてくれよ」
宗像の手が自然と伸び、少年の水色の頭をさも当然のように撫でた。
「もぅ! やめてよ!」
「お前が女みたいな顔してるのが悪いんだ」
そりゃそうだとクラスメイトが笑い始め、少年は「もぅ!」と声を上げる。
新広久留亜。宗像の親友で、高二とは思えない低身長、可愛らしい少年だ。文化祭で女装してお好み焼き屋をしたとき、6人もの男にナンパされたという逸話を持つ。
都会生まれ都会育ちなのがコンプレックスのようで、わざわざ田舎の学校に小学生のころ通い始め、宗像と出会った。
「飯食おうぜ、飯」
「だから頭をくしゃくしゃにしないで! 僕だって男なんだからね!」
「へぇへぇ」
と、教室のドアが荒々しく開けられた。
「シュウゾウ!」
「宗像くん!」
オレンジ髪の女生徒と、長い濃紫の女生徒が勢いよく入ってきた。
「失礼します。もう授業は終わりましたか?」
「シュウゾウ! ご飯食べよう! お弁当作ってきたからさ!」
「わ、私も少しだけ手伝ったんです!」
まるでアイドルかモデル、女優のような容姿端麗な二人は迷わず宗像に駆け寄ってきた。
ライトオレンジ髪で短髪の女生徒、鳳梨・ホワイト。ロシア人とオーストラリア人のハーフで、日本生まれ日本育ちの日本人。そのスタイルは一年生でありながら日本人では再現できない凹凸は、男子はもちろん女子たちからもファンが多い。性格は陽気で、みんなの友達、マスコットのような存在として認識されている。
「お熱いこって。おれたちゃ博多で合流して水炊き食べに行くからな」
「結局水炊きになったのか? 水炊きならオレも行くわ」
「すいません、みなさん」
深々と頭を下げたのは、日の光を浴びて光る濃紫の大和撫子。
宮島涼華。水墨画のような清廉さで、その動き一つ一つに目が留まってしまう。彼女は茶道教室の娘で、表千家裏千家のような立派な流れはくんでいない普通の教室なのだが、令和元年開業という長い歴史のある教室。その一人娘として厳しく躾けられたのだろう、年上のクラスメイトの女子はただその優美さには目を奪われるだけだ。
「それじゃあたしらは行くね」
「お幸せにな」
クラスメイトは気を利かせて3人から離れていく。言うまでもないが、鳳梨と涼華は宗像に惚れている。男子はあわよくばと考えなくもないが、あの宗像相手では分が悪い。
「待て、お前はこっちだ」
宗像は出て行こうとする久留亜の首をアームロックして止めた。久留亜は少し驚いたが、涼華にそっと目を向け赤面すると「しょうがないなぁ」と足を止めた。
「今日はハンバーガー! パンとミンチも手作りなんだから!」
「私はみそ汁を・・・ハンバーガーに合うでしょうか」
「試してみようぜ」
宗像に首に手を回され寄りかかられる久留亜は呆れてしまう。
鳳梨と涼華が宗像に気があるのは明らかなのだが、宗像はそんな感じが疎いらしく女子二人に対し友達のような態度で接していた。だから平然と久留亜を昼食に誘えるのだ。
みんなで誰も使っていない食堂に向かっていると、急に久留亜は立ち止まった。
「ごめん。ちょっと用事ができたよ」
「あ? 用事ってなんだよ」
今まで止めていた電話の着信音をオフにした。
すると、すぐに木琴の曲が流れ始める。久留亜は慌てるフリをしながら止めるが、すぐに再び鳴り始める。
「なんか友達が呼んでるみたいなんだ。うるさいから少し連絡するよ」
「・・・なんかお前、結構友達多いよな」
「まぁね」
仕方ないと宗像は久留亜を解放した。
見送る久留亜を鳳梨はウィンクで、涼華はツンと顔を上げて通り過ぎて行った。
涼華の背を眺めながら小さくため息をついて、壁に寄りかかり授業中からうるさかった電話に出た。
『やっと繋がった! 大変なんです!』
久留亜はボイスチェンジボタンを押し、喉を鳴らして表情を作る。
「レイラ、そう四六時中繋げられないと言ってるだろ」
『しかし納豆巻き殿!』
「どうせ『南極バンザイ!』が手を引くとか言ってるんだろ?」
電話先の言葉が止まった。
「想定内、というか当然の行動だ。むしろ土壇場で裏切られる方が面倒だ。これが彼らなりの誠意ってもんだ」
『し、しかし、これでは戦い続けられません』
「戦いは一日で終わる」
断言し、水炊き組と合流できないかメールを送る。「よくやった新広」「お前の無念、あとで聞いてやるからな」というメールがすぐさま帰ってきて、思わず赤面してしまう。
「現実の生活があるんだ、だから総攻撃は日曜日の昼なんだろ。一日戦えるだけの物資があればいいし、無事に乗り切ればしれっと戻ってくる。奴らは商人だからな」
『そ、それはそれで、イラつくといいますか・・・』
メールに濃紫の長い髪をした3Dキャラクターが「ごめんね?」というアニメーションが送られてきた。間違いなく友人たちの悪ふざけだ。
「割り切れ。国のトップは国益を重視するもんだ」
アニメーション部分だけを消しながら、久留亜は大きくため息をついた。