その6の1
その6の1
あの頃、私は愛されていた。
父は穏やかな人で、怒られたことはあっても怒鳴られたことはない。いつも上品な和服を着ており、高貴な人で近寄りがたい雰囲気をまとっていた。そんな父が私を見つけるとすぐに抱き上げて膝の上に乗せてくれることがとても嬉しかった。
母は若く、美しくて自慢だった。いつもあれしろこれしろと口うるさいけれど、お父さんを巡って奪い合いをするのがとても楽しくて、私はいつもお母さんの後ろに付いて行った。
私の家は表千家裏千家を継いでいるような由緒ある家柄ではなく、ただ令和時代に開業した古いだけの茶道教室。初めは奥様方が寄り集まって茶の湯を楽しんだ気楽な流れを汲み、月に一度は茶会をして広く楽しむことを旨としている。
そのような人の集まる場だからこそ、少しお転婆な女の子が廊下を走っても笑って許されるような場だった。
楽しくて、賑やかで、いつまでも続くと思っていた。
しかし、そんな日々はあっけなく崩れ去った。
お父さんが、若い生徒と駆け落ちしたのだ。
そして広い家に、母と娘だけが残された。
ゆっくりと、そして素早く暖かな毎日は破壊され、失われ、二度と帰ってこなかった。
母は毎日狂ったように泣き、そんな中で宮島家を継ぐ必要があった。
嫁入りした母はあらゆるノウハウに欠けており、あらゆる行為にお粗末な結果を繰り返し、次々と人は去っていった。
それでも残ってくれた生徒の一人に「そろそろお金を返してもらわんと困ります」と言われたその夜、母は暴力を振るった。
よく叱られることはあっても、暴力を振るわれたことはなかった。幼心に、ひどくショックを受けたことを今でも鮮明に覚えている。
一度タガが外れれば、落ちていくように日常化した。
ハンバーグが食べたいと言えばぶたれ、宿題をしなければぶたれ、靴を並べておかなければぶたれ、傍に近寄ればぶたれた。
あれほど賑やかだった屋敷から、一切の笑い声は失われた。
それでも娘は何も言えなかった。母が夜な夜な一人で泣いている姿を知っていると、仕方ないんだと知ったからだ。
私は多くの習い事を学ぶようにと、強制された。書道に華道、俳句に学習塾。まだ小学生で放課後みんなと遊べないことはとても辛かったが、何も言わず従った。母は娘と居合わせたくなかったのと同じように、私もまた母と一緒にいたくなかったからだ。
まだ幼いのに成績がいいね、所作が綺麗ね、育ちがいいのねと称賛されるようになっていた。しかしその言葉は、決して嬉しい言葉ではなかった。
ぜんぜん、嬉しくなかった。
彼女と出会ったのは中学の初めの頃だった。
私たちは、出会うべくして出会った。
もちろん存在は知っていた。彼女はとても目立っていて、クラスは違っていたがクラスメイト達も全員知っていた。きっと下級生や上級生たちも全員彼女のことを知っているだろう、それほどまでに彼女は人気者だったが。
しかし、きっと誰よりも心を通じていたのは私だろうという確信があった。
一度も話したこともなければ、性格も違う。
友達がいない私と違い、彼女はムードメーカー。人と距離を取る自分と違い、男女問わず誰にでも明るく話しかけることができる。私と違い成績は低く、私と違い歌が上手い。私と違い足が速くて、私と違い料理が上手。
何もかも違う。
それでも私たちは心が通じていると確信があった。
私が成績がいいね、所作が綺麗ね、育ちがいいのねと褒められているのと同じように、彼女も明るくていいね、人見知りがないね、いろんなところに気が付くねと褒められているからだ。
中学生にしては、あまりにも完成されている。
一人で佇む彼女の瞳は、自分と同じだった。
一年間、私たちは心を通わせていた。
中二の春、やはりクラスの違う彼女に、私は声をかけた。
「友達になりませんか?」
彼女は驚き、人に見せたことがない微笑みを返した。
「うん」
その日から私たちは親友になった。




