ー天上の章15- 権威、権威、権威
「おおい、信長殿。お久しぶりでござる」
「おや、家康くん。来てくれたのですね。てっきり、武田と揉めて、これないかと思っていましたよ」
はははっと家康が笑う。
「いやあ。確かに揉めていますけど、こちらも1国だけで、遠江を落とせるわけでないでござるからなあ」
「家康くんは欲がないですねえ。先生なら、同盟破棄をしてしまいそうですよ」
「まあ、家中は穏やかではないでござるが。これもまた、辛抱でござろう」
武田と徳川が揉めているというのは、今川を滅ぼしたあとの領土分割の件だ。
「でも、大井川まで武田領土ってのは、さすがにないと思うんですけどねえ。なぜ、そこまで領土を拡大せねばならないんでしょうか」
「俺にもわからないでござる。急激な領土拡大をしたところで、支配者の名が変わるだけで、実入りは少ないはずでござるがな」
「先生や、家康くんのように、兵農分離を進めているわけではありませんしね。広大な土地を奪ったところで、支配するものもおらず、結局は、そこの旧臣や豪族を再利用するだけになりますし」
大抵の大名家では、古くからの家臣は、各々の治める領土を持っている。逆に言えば、その土地に縛られて、他の土地に行くことを嫌がるのだ。だからこそ、大名家を滅ぼしたところで、まるまる、その土地を手に入れられるわけではない。滅びた大名家の旧臣たちが、そのまま、土地を治める場合が多い。
さらに言えば、豪族なぞは形こそ、新しい大名家に従う体を取るものの、税を過分に納めさせようものなら、他家になびく場合もある。一歩、間違えれば、主家を滅ぼしたところで、新たな敵を増やすだけの結果となるのだ。
「駿河と遠江は金山と海があり、確かに魅力的でござる。だが、それは治世が行き届いていたらの話でござろう。今川から見れば、武田は真の裏切り者。どうやっても、心から従うことはござらぬだろう」
「そうは言いますけど、家康くんは元、今川義元の家臣だったじゃないですか。徳川家は大丈夫なのですか?」
「うちには今川家よりもらった嫁の、瀬名姫がいるでござるよ。今川家臣から見れば、担ぎ上げるには充分な姫でござる。あらかさまな反発は見られないと思うでござる」
「それはそれで、後々、禍根が残りそうな気がするんですが」
「なあに。元は、同じ釜のメシを食べた仲のものたちもいるのでござる。心配は御無用」
それよりもと、家康が言う。
「最近、松平から徳川に苗字を変えたわけでござるが、信長殿の尽力もあり、朝廷からもお許しがあり、官位を承ったのでござる。これで、徳川の名に箔がつくというもの。ありがとうでござる」
「三河守と従四位でしたっけ。まあ、自称で充分だと思うのですが、家康くんの要請もあったので、義昭の分のついでに、やっておきましたよ」
各地の大名は、自分たちの支配の権威づけのために、自称で某なになに守と宣言するものだ。さらなる権威づけで朝廷に金を納め、官位をいただくものもいる。従四位というのは、一般的な大名に与えられる官位で、朝廷に対して特別に何かしらの効果をもつわけではない。
「そういう、信長殿だって、上総介を朝廷よりいただいているではないでござるか」
「織田・弾正忠・信長から、織田・上総介・信長です。先生たちは立場的に権威づけは必須ですからね。もらえるものは、もらわなくてはいけないのですよ」
「それならば、副将軍を受ければいいものを。信長殿の考えは、俺にはわからないでござる」
「帝からもらうのは、帝の位置が、足利義昭より上の立場だからです。先生は、足利の幕府の家臣ではありませんが、帝となれば違います」
帝は、ひのもとの国の最高権力者だ。いや、最高権威者といったほうが正しい。
「ひのもとの国の人間は、すべて、帝の臣です。将軍といえども侵すことができない身分です」
「ということは、帝の臣であるため、将軍の臣より上という立ち位置なのでござるな、織田家としては」
「論理的に言えば、そうです。ですが、帝には権力はありません。ですので、権威的には上ですが、実際に政治を行うのは将軍なので、ぶっちゃけ、帝から位をもらっても、たいした役にはたちません」
家康は、ううむと唸る。
「よくわからない話でござる。実際の権力はないのに、権威をもらいたがる、信長殿の意図がわからないでござる」
「それは、織田家が将軍・足利義昭を追放したときにこそ、生きてくるのです。今は至って、織田家と将軍・足利家は良好な関係です。ですが、これは綱渡りなのですよ」
「殿。それは、さっき言ってた、政権の3要素が関わってくるってことか?」
信盛が2人の話に介入する。
「はい。その通りです。この先、将軍・足利義昭は、自分自身で政治を行おうとします。そんなの当たり前ですよね。将軍になった以上、自分の力で政治を行いたいと思うのは自然なことです」
「軍事力を蓄えるのは、信長殿が徹底的に封印している現状、不可能でござるな」
「となれば、義昭が狙ってくるのは、賞罰権ってわけか。こればっかりは、他の大名家が介入してくれば、手にはいる可能性はあるわけだけど」
信長は、ふふっと笑う。
「さて、実は、賞罰権を封じる手立てがあるのですよ」
「え、何々、いい手が殿には、あるっていうのかよ」
「簡単ですよ。義昭に接近しそうなものたちを潰せば、いいだけなのです」
信盛は、ぎょっとした顔をする。
「じゃあ、此度の俺たちの上洛で、返答のない潜在的敵勢力を潰すってことか?」
「そうですね。よりはっきりさせるために、とりあえずは、朝倉と北畠に上洛して、将軍・足利義昭に臣の誓いをせよと命じましょうか」
「なるほど、これで、足利の幕府に忠誠を誓うのなら良し。逆らうのであれば、潰してよいという大義が信長殿の手に転がり込んでくるわけでござるな」
「まあ、確実に逆らってくるでしょうね。古くからの守護大名の家格のものたちが、織田家のような圧倒的に下の家格の命令なぞ、聞くわけがありません」
信長は、ふむと息をつく。身分の差というものは面倒なものだ。
「尾張、岐阜、南近江、京、堺と、広大な土地を織田家は支配しています。ですが、ああいう、権威に縛り付けられているひとたちにとって、織田家は、ただのならず者にしか見えていません」
「権威、権威、権威。たはあ、どこいっても権威なのかよ」
信盛は、うんざりとした顔である。
「それほど、織田家は権威が足りていません。かといって、将軍から副将軍をもらうわけにはいきませんからねえ」
信長、信盛、家康は頭をかしげる。すべてを一瞬で解決する魔法なぞ、この世には存在しないのだ。ひとつひとつ積み重ねていくしかない。
「あんたたち、やっと見つけたよ。こんなとこにいたんだね」
「信長さま、お久しぶりですわ。みなさんも元気そうでなによりです」
相撲会場に、信盛の奥方・小春と信長の正室・帰蝶とが陣中見舞いとばかりにやってきたのであった。
「げっ、小春。なんで、こんなとこに来てんだよ!」
「ああ?何か悪いのかい。どこぞの馬鹿が、ろしあ女といちゃいちゃして仕事に手をつけられないようなら叱りにきただけだよ」
「そういえば、先生たち、くっちゃべってばかりで仕事をしていませんね」
「お、おい、殿!そこは嘘でも仕事してるって言ってくれないとだめだろうが」
「あんた。信長さまの仕事の邪魔してんの?」
「ひ、ひい。滅相もありません。いますぐ、いってきます!」
信盛は足元にあった材木を担ぎ、相撲会場の設営に飛んでいく。
「やれやれ、うちの旦那には困ったもんだよ。目を離すとすぐこれだ。信長さま、きっちりと監視しておいてくださいね」
帰蝶はくすくすと笑いだす。
「信盛さまと小春さんは、仲がよろしいのですね。うらやましく思います」
「そ、そんなことはないよ。あいつといったら」
小春の顔は気まずさか、ほんのり赤く染まる。
「頬を染めて、小春さんはかわいいのですね。ああ、私の信長さまときたら、妾たちに優しくするばかりで、私はおざなりです」
「ちょ、ちょっと待ってください。のぶもりもりと先生の件は関係ないでしょう。矛先を先生に向けないでください」
帰蝶は、ふふっと笑う。
「吉乃は上洛に連れて行ったのに、私はお留守番だったじゃないですか。私はまだ許したわけではありませんよ」
信長はバツが悪そうな顔をする。帰蝶の言うことは本当だ。此度の上洛の際、吉乃やほか数名の妾を共にしたが、帰蝶は岐阜に残してきた。大事を考えてのことだ。
だが、女房から言わせれば、そうではあるまい。おいてけぼりにされたのは事実なのだ。
「機嫌を直してください。帰蝶。別にあなたを遠ざけようとしてやっているわけではないのですよ」
「さあ、どうしたものでしょうね」
帰蝶はあごに指を当て、ううんと考えるフリをする。
「そうですわ。信長さま。相撲大会に出場して、優勝してください。そうすれば、今度のことは許してあげます」
「え、相撲大会に出なければならないんですか?畿内周辺より、腕に覚えがあるものたちを集めたのですよ。その中で優勝をしろというのは、ちょっと」
「もう。信長さまは、いくじなしですね。戦う前から負ける算段などするお方ではないでしょう?」
信長はううんと唸る。
「はははっ、信長殿の負けでござるな。これは、相撲大会でいいところを見せないといけないでござる。ちなみに、俺も出させてもらうでござるよ」
家康が横から口を出してくる。
「やれやれ、これは引くに引けなくなりましたね。どれ、ここは封印された禁じ手の出番でしょうか」
「ちょっと、信長さまの禁じ手はダメでござろう。それは封印したままでいてくださいでござる」
「禁じ手?封印?信長さまには、何か秘策があるのでしょうか」
帰蝶がきょとんとした顔つきだ。
「見ていてください。帰蝶。きっと先生が優勝をもぎ取ってみせるので、無様な家康くんの姿を期待しておいてください」
「やめてくれでござるううう」