ー天上の章14- 現状把握
「副将軍、蹴っちまって、本当によかったのかよ、殿」
佐久間信盛が、信長にそう尋ねる。宴の準備の最中、相撲会場の設営に精を出す、2人であった。
「まあ、うまく丸めこめましたから、問題はないんじゃないですか?」
信長がそう応える。
「副将軍さえ、もらっちまえば、好き放題できそうだけど、織田家の方針から言って、だめなんだろうなあ」
「その通りです。織田家は、足利幕府の家来になりたいわけではありませんからね」
それにと、信長は続ける。
「副将軍とはいいますけれど、そんな役職、何の役に立つというのですか。あの男の場合、そんなものをこちらが認めてしまえば、他の有力大名にも、副将軍を任命するかもしれませんよ」
「それもそうだよなあ。副将軍が何人もいたら、結局、殿の価値が下がっちまうもんな」
「織田家は足利幕府に対して、勲功第一位です。これは間違ってはいません。ですが、大きすぎる勢力を牽制するために、同じ位のものを立てられたら、意味がないどころか、害悪にすらなります」
「ここに、おましますは、天下の副将軍、織田信長さまのおなありいい、てか。能の台詞には使えるんじゃね?」
「もしかすると、その演目では、ライバルに、天下の副将軍、浅井長政さま、登場とかなりそうですね」
はははっと、信長と信盛は笑いあう。ひとしきり笑ったあと、信長は言う。
「これが笑い事ですまないからこそ、副将軍を蹴るのです。治める土地のない、義昭ができることなんて、官位を配ることだけです」
「まあ、勲功第一位の織田家が蹴るってのは、他に意味があるんだろ?」
「そうですね。私たちが官位を受け取らないということは、他の大名家に官位を配ることが実質、不可能になるということです」
「織田家を差し置いて、官位を授けるとなっちゃ、俺たちと足利家の関係が崩れるってことだもんな。おんぶにだっこの足利義昭が出来ることじゃない」
「そういうことです。これで、あの男ができることをまた一つ、封じることができました。まあ、彼は、いまだに気付いてないんでしょうけどね」
「殿、そちは悪よのう。ちこうよれ、褒美をとらす」
信盛は団子の串から一粒、団子を外し、信長の口に放り込む。
「ははあ、ありがたき幸せ。って、何をさせるのですか」
信長は団子をもぐもぐと食べながら言う。もう1個、食べる?とばかりに信盛が応える。
「政権を樹立するためには、必要な3要素があります。のぶもりもりには、わかりますか?」
突然の話題変えに、信盛が、んんと漏らす。
「ええと、軍隊は当たり前だよな。あと、織田家が苦労している、権威づけだろ。あとはなんだ」
信盛が頭を捻る。
「あと、んん、ええっと。お給金?」
「まあ、当たらずも遠からずですね」
信長が右手の指を3本、立てる。
「まずは軍隊。これはさすがにわかってますね。次に、権威。権威がなくては、国を治める理由がありません。大義とも言いますね」
「あと1個は、なんだ?」
「賞罰権です。わかりやすくいうと、部下にお給金を払う権利です」
「ああ、なるほど。言われなかったら気付かなかったぜ。確かに給料をもらわなきゃ、ひとは動かないわな。でも、普通は賞罰権をもっているものじゃないのか」
「与えるものは、お給金だけではありませね。先生たちでいえば、土地を与える与えないのも、賞罰権になります」
はっと信盛は、信長の言わんことに気付く。
「じゃあ、位を授けるのも賞罰権の中に含まれるってことか」
「はい、その通りです。軍隊、権威、賞罰権。先生たちは、この中のふたつを持っています」
「軍隊と賞罰権ってわけな。権威は、足利義昭から借りているって形か」
「義昭には軍隊がありません。そもそも、織田家で土地を占有してますからね。兵を養うどころか、徴兵すらできません」
「まあ、そもそも、上洛への戦いで活躍すらしてないんだ。さらに将軍家の昔の土地は、三好家や寺社に取られてて、存在すらしないからな」
「京の周辺国は、織田家で席巻しましたし、こちらから、将軍家に土地を与えてもいません。あの男に軍事力を持たせるわけにはいきませんからね」
「土地がないなら、土地からの収入がないってことだし、家臣に与える土地もないってわけか。だが、金なら、殿が与えてるじゃねえか」
「義昭は私財を蓄えることにしか、興味はありません。わずかながら、分け前を配ることはするでしょうが、永続的な収入がない以上、続くことはありません」
「あとは義昭が与えれるものと言えば、官位なんだろうけど、それも、俺たちがもらわないという姿勢をしている以上、功のない自分たちの家臣には与えれないってわけか」
よく考えられているなと、信盛は、あごをさすりながら思う。
「皆の目から見ると、織田家の地位は安泰のように見えますが、そうではないのですよ」
「そうなのか?権威は、今のところ、仕方がないとしても、軍隊も、賞罰権も封じているじゃねえか」
信長は西のほうを指さす。
「畿内より、西。中国地方には毛利元就が築いた王国があります。仮に、彼らが足利義昭を支援すると言い出したら、どうなるでしょうか」
「そんなこと言ったって、毛利家は自分とこの領土拡大しか考えてないっぽいし、そういう事態にはならないと思うが」
「仮にですよ。仮の話」
んんと、信盛が考え込む。
「毛利がもし、義昭を支援すると言ったらか。え、それって、俺ら、ピンチじゃねえの?」
「はい。その通りです。先生たち以外が、義昭に接触してはまずいのですよ。もし、毛利家が、義昭に兵を貸すと言い出せば、先生たちは用済みになります」
「おいおい、やべえじゃねえか」
「それに、毛利家には広大な土地があります。その一部を義昭に奉納するといいだせば、賞罰権すら、義昭に与えることになります」
「じゃあ、いまだ、俺たちは、この戦いの渦から抜け出すことはできないのかよ」
信盛は、自分たちの立場に驚愕する。
「わかってて突き進んできた道です。これからはもっと熾烈な戦いが待っています。北は、いまだ返答がない朝倉。南は伊勢の北畠に伊賀。西は毛利家です」
「武田と同盟を結んでいてよかったなあ。東まで敵に回ったんじゃ、俺たちは枕を並べて討ち死にだ」
「武田は今、家康くんと、遠江、駿河の戦後の割譲について相談中だそうです。なにやら、武田が欲張っているみたいですが」
「そうなの?順当にいって、徳川が遠江、駿河が武田でいいんじゃねえの?」
「なにやら大井川を境に領土を分割しようという、武田側の案のようです。駿河だけでは足りず、遠江の3分の1も欲しがっているようですね」
「あちゃあ。それは強欲だぜ」
「家康くんも、織田家が武田と同盟を結んでいる以上、関係悪化を考慮して、苦心されているようですがね」
信長は、やれやれと言った表情をつくる。
「ついつい、今川を応援したくなる気持ちですよ。今川氏真は、ぼんくらですが、一矢、報いてほしいものです」
「今川は、北条とまだ同盟は続いてるんだよな。じゃあ、武田は、すんなりとは駿河はとれないんじゃないのか。それなのに、遠江の一部まで欲しいって、どんだけなんだよ」
「武田は今川氏真との同盟を切ったことにより、東は北条、南は今川。そして、北に宿敵の上杉謙信を敵に回しています。ここで、駿河奪取に失敗すれば、武田はもしかすると、もしかするかもですね」
「へまかまして、東の守りが崩れてもらっちゃ、織田家としても、大困りだな。殿、一言、言ってやった方がいいんじゃないのか、武田に」
信長は、ふうと息をつく。そして天を向き
「言えるものなら、とっくに言ってますよ。ですが、あそこは誉れ高き清和源氏の子孫です。先生の言うことなんて聞く耳もつわけがありません」
「変に身分が高いところは、めんどくせえな。朝倉といい、北畠といい。もしかしたら、俺たち、毛利と仲良くできそうな気がするな」
信盛は誰に対してではないが、うんうんと頷く。
「毛利は、近年で大規模な領土を手に入れましたが、それに対する権威が足りていません。帝に対して献金し、朝廷から何かしらの官位をいただこうとしているようですが」
畿内を席巻した信長だが、帝に意見するほどの力は存在しない。帝に意見できる人間なぞ、このひのもとの国には、将軍・足利義昭だけであろう。
「で、殿。俺たちはこの後、どうするんだ?尾張、岐阜、南近江、京、堺を手中に収めてるわけだけど」
「そうですねえ」
信長は、南のほうへ目を向ける。
「まずは、先生たちへの返答がない、北畠と朝倉への対処でしょうか。恭順の意を示さないというのなら、戦になりますかねえ」
「結局、義昭が将軍になっても、このひのもとからは戦がなくならないのかあ」
信盛は、うんざりとした顔をする。
「何度も言うようですが、上洛は先生たちの終着地点ではありません。義昭の将軍就任すら、序ノ口なのです」
「全国の大名を倒すまで、戦は終わらずじまいかあ」
「まあ、半分、倒してしまえば、もう半分は嫌がおうにも、私たちに頭を下げてくるんじゃないですか?」
「そうだと楽なんだけど、そういうわけにはいかない気もするなあ」
信盛は、相撲会場を見やりながら、ふと思う。
「いっそ、全国の大名が京に集まって、相撲大会で決着をつけたら、いいんじゃねえのか」
「それは楽に、天下人が決まりそうでいいですね。でも」
信長は、お茶をすすりながら続ける。
「だれかが天下人になれば、この世が良くなるってことじゃないんですよね。だれでも良いっていうことならば、先生は、ここまで苦労して上洛なぞ、していません」
「そうだよなあ。俺たちが、このひのもとの国を変えようってことで、やってるわけだしな」
土俵で四股を踏む力士を、信長と信盛は見る。あの力士のように力だけでことがなす場ならば、苦労なぞ、いらないのだ。天下をただ力で治めることが信長たちの本位ではないからだ。