ー天上の章13- 副将軍を蹴る
「恐れながら、上様。副将軍とはなんでござるか」
武士の幕府の役職には、副将軍という座は存在しない。
「まろが考えたのでおじゃる。信長殿の功を考えれば、管領では到底足りぬのでおじゃる。そこで、管領を超える新たな職、【副将軍】を創立することにしたのでおじゃる」
信長は、ふむと息をつく。
「副将軍となり、まろの横に位置し、まろを補佐してくれるでおじゃるか、信長殿。いや、御父と呼ばせてもらうでおじゃる」
副将軍という前代未聞の役職に、さらに、将軍でありながら、信長のことを御父と呼ぶ。その姿に、足利家の家臣たちには動揺が見られる。
「お言葉ですが、将軍さま。そのような高位、信長殿に与えるのはどうかと。いえ、決して、信長殿の貢献にいちゃもんをつけるわけではないのですが。それに御父とは何事ですか」
和田惟政が異見を唱える。だが、細川藤孝にとっては当然の処遇とも思えた。
「うるさいのでおじゃる。御父に対し、無礼であろう。きさまは、この上洛において、何かしたのでおじゃるか、言ってみろ!」
足利義昭は激昂する。和田惟政は、顔面を真っ青に染め、ただただ、頭を下げるばかりである。
「御父、信長殿。気を悪くしないでほしいのでおじゃる。惟政は、これでも、まろの忠臣でおじゃる。まろの突然の発表ゆえ、混乱しておるのでおじゃる」
「いえ、気にしていませんよ」
信長は、そっけなく対応する。信長が気にしていない風なので、義昭は、ほっと胸をなでおろす。
「して、副将軍の役職を受けてくれるでおじゃるか?」
信長は、ふむと、あごをさする。そして、口を開くと
「せっかくの申し出ですが、断らせていただきます」
和田惟政は、ぽかあんと口を開ける。そして数秒後、まくし立てるように言う
「お、おのれ、信長殿。将軍さまの意向を無下にするつもりか!副将軍の座を蹴るとは何事だ」
さっきとは真逆のことを言っていることに、自分では気づかない和田惟政である。細川藤孝はくすくすと聞こえぬように笑う。
「ええい、藤孝。きさまも何か言うことはないのであるか。将軍さまが愚弄されておるのじゃぞ」
細川藤孝は、はてとすっとぼけた顔をする。
「信長殿には、信長殿の考えがあるのでござろう。話を聞いてみてはいかがでござろうか」
「そうじゃ、そうなのじゃ。信長殿。何故、まろの褒美を受け取らぬでおじゃるのか」
「お言葉ですが、上様。上に立つものがみだりに官位を授けてはいけません。それは世の乱れとなります」
足利義昭はその信長の言を受け、一考する。
「しかしでおじゃる。そちのような大恩あるものに、なにも与えぬとあっては、将軍の名折れとなるのではないでおじゃるか?」
信長が、ふむと息をつく。
「確かに上様のおっしゃること、もっともですね」
「そうなのじゃ。その通りなのじゃ。だから、副将軍の座についてほしいのじゃ」
「ですが、いらないものはいりません。ワシは副将軍には、なりません」
信長が丁寧に頭を下げる。
「これ以上の名誉があろうものか。貴様、いい加減にしろ!」
和田惟政が吠える。信長は頭を下げたまま言う。
「代わりにと言ってはなんですが」
「なんじゃ、なにがほしいのでおじゃる?」
「近江の草津、大津、そして、大坂は堺に、織田家が代官を置いていいという認可がほしいですね」
「そんなもので良いのでおじゃるか。一緒に副将軍もつけるでおじゃるよ」
「副将軍は、いりません。代官を置く認可だけ、いただければ充分なのです」
義昭は思う。この男には出世欲がないのかと。そして、さらに思うことは、役職をほしがらぬ、この男は真に幕府の忠臣であると。
「御父、信長殿。あっぱれでおじゃる。副将軍になってもらえぬことは残念でおじゃるが、そちの忠臣ぶり、誠にまろは感動したのでおじゃる」
義昭は、手にもった扇子を広げ言う。
「まろはここに宣言する。御父、信長殿は、真の忠臣であると。その功を讃え、草津、大津、堺を与えることを誓うのでおじゃる」
その言を聞き、頭を下げたままの信長は、にやりという顔をする。やはり、この男は何もわかっていない。さぞかし、このワシが忠臣に見えるのであろう。
草津、大津、堺はすでに織田家が掌握済みだ。お前の認可など、もらわなくても実効支配は、とっくに済んでいる。義昭。お前には何も決める権利など持ってない。いや、未来永劫、なにも決めさせることはない。ただ、黙って、判だけ押せばいい。
「義昭さまの英断。誠に見事でございます。義昭さまの恩に報いるべく、信長殿は、ますます働いてくれるでござる」
そう、細川藤孝が言う。義昭は、にこやかな顔である。
「よおし、御父よ。飲もうでおじゃる。まろの将軍就任をともに祝ってほしいのでおじゃる」
信長は、ようやく、頭をあげ、にこりと笑みを浮かべる。
「宴は、夕暮れ、午後4時より執り行わせていただきます。上様は、いったん、本圀寺に戻って、休んでおいてください」
「そうでおじゃるか?まろも何か、手伝うことはないのでおじゃるか?」
「9月に入りましたが、未だ、残暑は厳しく、その中を上様に働いてもらうのは、心が痛いのですよ。畿内各所より、色とりどりのものを準備しております。上様は、何思うことなく、存分に楽しんでください」
義昭は、ふむと息をつき、あごをさする。
「それもそうでおじゃるな。祝いをされる側が、準備に手を出すようでは、そちらも心苦しいでおじゃるし、ここは、のんびり、夕刻まで休ませてもらうでおじゃる」
「わかっていただき、ありがとうございます」
義昭は、うむと言い、和田惟政のほうに向く。
「まろは本圀寺に戻るのじゃ。牛車を準備せよ」
ははあと、和田惟政は応える。そして、お供たちに指示を飛ばし、彼らは急ぎ足で、牛車を持ってくる。義昭は牛車に乗り、その上から信長に声をかける。
「では、宴のほう、楽しみにしているのでおじゃる。まろはお昼寝をさせてもらうのでおじゃる」
牛車は、ゆっくりと動き出す。その後ろを、足利家の家臣たちが後を追う。当然、細川藤孝も、それに付き従うのであった。
空前絶後の宴を前にして、京の都は、ひっくりかえしたかのような大騒ぎであった。屋台の設営に商人ならびに庶民たちが、ごった返す。そして、檜舞台の前では、丹羽長秀が、各所に指示を飛ばす。
「宴まで時間がないのです。そこ、そんなところに資材を置いてはいけないのです。往来の邪魔になるのです」
丹羽長秀は、こたびの宴の総責任者として、抜擢されていた。この男は、何をやるにもそつがなく、信長が出す、無理難題すら軽くやりとげるのである。そんな、丹羽長秀だからこそ、信長は手元に置き、一緒に悪だくみをする際の右腕として使っていた。
その丹羽長秀は、いかれた発言が多く、織田家の家臣連中にも、色眼鏡で見られがちだが、本人は気にした風はない。
「ちゃんと罪人は確保しているですか。目玉企画に使うので丁重に扱ってくださいなのです」
またもや、罪人を使ったゲームを企画しているのであろうか、丹羽の目は爛々と輝いている。
「今日か明日で使いきる命ではあるですが、精一杯、罪をその身で償ってもらうのです。なになに、坊さんの手配はどうするかですか?」
丹羽の家臣のひとりが、そう尋ねる。
「罪人なんて、無縁仏がお似合いなのです。でも、丹羽ちゃんは優しいので、お経のひとつでもあげてもらうのです」
「家族のいるものたちの場合は、どうしたらよいのでしょうか」
「家族がいる罪人の亡骸は、家族に返すのが道理なのです。まあ、顔がぐしゃぐしゃになってしまったら、判別に困ると思うので、最後の面会くらいは、許すのです」
「死罪に値せぬものたちは、いかがいたしましょう」
「軽犯罪程度のものたちは、人相書きだけしといて、釈放しておいてくださいなのです。あくまでも、ゲームに参加させるのは、死罪を免れることができないものたちなのです」
ははと、丹羽の家臣は応え、罪人を集めた場所に向かう。将軍就任の祝いの日だ。罪が軽いものたちは恩赦するようにとの、信長からのお達しだ。
「信長さまは甘いのです。一度、犯罪に手をそめたものは、なかなか改心しないのです。でも、そんな甘さがある信長さまこそ、丹羽ちゃんは大好きなのです」
この時代、窃盗といえども、家人を傷つける、強盗致傷のやからが多かった。その者たちに対して、甘い裁きをしようものなら、国の屋台骨は簡単に揺らぐ。強盗致傷を繰り返すやからは、死罪にせよというのは、庶民の共通認識でもあった。
盗みの中でも最も罪が重いものの中に、牛泥棒というものがある。牛は農耕では欠かせない動物であり、神社で奉られるほどの神聖な生き物である。農家にとって、牛は財産であり、家族の一員でもある。
そのため、牛は高価であり、戦働きで功をあげた足軽には、恩賞として、牛を与えらるものもいる。再三、言うがこの時代、戦専属の兵隊をもつのは織田家だけであった。その他の国は農民を徴兵し、足軽として運用していた。農民たちは、己の生活を向上させるためにも、牛を求めていた。
それゆえ、村から、その大事な牛をかっぱらうなどと言った行為を働くものがいる。金になるからだ。戦で村を襲い、ひとや物、そして牛を分捕るのは、ある意味、仕方がない。村民を守らぬ、その国の大名が悪いからだ。
だが、戦のない平時の牛泥棒は、わけが違う。これはただの窃盗だ。
丹羽は、そういった類のやからを許すことはない。死罪には死刑を。そうではないものには恩赦を。丹羽は、ただただ、公平なのであった。
「さて、丹羽ちゃんは、相撲の会場の下見をしてくるのです。ここは任せたのです」
この宴は、将軍・足利義昭ならびに、織田家の威信がかかっている。丹羽が手を抜くことはなかったのであった。