ー天上の章11- 涙
エレナは手に取った本をまじまじと読んでいる。信盛はばつが悪そうな顔だ。
「抱きながら愛をささやくのデスネ。信盛サマも同じことをおっしゃっていたのデス」
穴があれば入りたい気分とは、まさにこのことだ。松永久秀の本に書かれた技術をそのまま流用しているなど、相手に知られては恥ずかしいことこの上ない。
「この体位なんて、まさに昨夜、信盛サマが試されていたのデス。嫌がるワタシを無理やり手込めに」
「あ、あのエレナさん?心が痛くなるので、そろそろやめていただきませんか」
信盛は、つい丁寧語になってしまう。その姿が面白いのか、エレナはやめない。
「ナルホドなるほど。信盛サマは奥方サマとこんなことをされているのですね、勉強になりマス」
「ああああ、それ以上、言うのはやめてくれえええ」
エレナはいたずらな笑みを浮かべ、こう告げる。
「信盛サマが今夜もワタシを買っていただくのなら、やめマス」
「え、そんなことでいいの?もちろん、今夜も付き合ってもらうつもりだったが」
エレナは胸がどきんとする。最初から今夜も、信盛サマはワタシを買ってくださるとは思ってもいなかったのだ。
「信盛サマ。ワタシなんかより、いい女性はいるのデスヨ。いろんな方と楽しみたいとは思わないのデスカ」
信盛は、ううんと一考する。その姿を見て、エレナは、しまったと思ってしまう。
「そりゃあ、いろんな女を抱いてみたいと思うのは男の本性だ。だがな」
信盛はおもむろに、尻に手を回してくる。
「この尻を手放すのは惜しい。それは、男なら誰もが思うことだ。この尻の感触は良い。エレナは良いものを持っている」
信盛は尻を撫でまわし、さらにもみくだしながら、うんうんと頷く。
「ちょ、ちょっと。ごまかすのはやめてクダサイ。そんなことばっかり言ってると、ワタシも本気になってしまいマスヨ」
「えへへへ。俺はエレナ風に言えば、エッチな男だからな。ほおら、逃げるんじゃない」
「ちょっと、信盛サマ。まだ日が高いのデス。お仕事のほうはどうされるつもりデスカ」
「なあに、かまやしねえ。仕事するより、エレナの尻を触ってたほうが有意義ってもんだ」
エレナは着物の上から尻をもみほぐされ、つい声がもれだしそうになる。
「うっほん。信盛さま。仕事をしてください」
エレナは声をかけられたと同時にびっくりして、ひゃっと言ってしまう。信盛の家臣がひとり、部屋に入ってきたのであった。エレナは、はだけた着物を直し、姿勢を正す。
「んん。いいとこなのに邪魔するとは野暮なやつだなあ」
家臣は正座で座り、姿勢も良く、通る声で言う。
「松井友閑殿より言付かっております。信盛さまが仕事をさぼらないように目を光らせておけと」
あちゃあと信盛は天を仰ぐ。
「松井のやつ、そんなに俺に仕事させたいのか。そうですか、そうですか」
信盛は、よいしょと身を立たせ、あぐらで座り直す。
「でも、こんなもん、いちいち俺が裁可を下す必要もないだろ。事後報告でいいから、ちゃっちゃと済ませてほしいぜ」
家臣は、うっほんと咳払いをする。
「予算の決定など、信盛さまでなければならぬものもあります。いやだとばかり言うのであれば、言いたくはありませんが、夜のお遊びのほうを控えていただくことになりますぞ」
「信盛サマ」
エレナは信盛の袖を引く。
「きたねえなあ。言うことがきたねえ。わあかったよ。仕事しますよ。ああ、お仕事うれしいなあ」
「わかっていただいたようで、私としても喜ばしいことです。それとですね、京の信長さまより言付けです」
「ん、なんだ。まだ、あんのか」
信盛は不機嫌に応える。
「4日後の宴には、岐阜より、織田家の武将たちの奥方さまもお呼びになられる、ご様子。当然、信盛さまの奥方さまも、来ます。宴に遅れないよう、仕事に励んでくださいとのことです」
「うお、小春も来るのかよ。それを早く言えよ。こりゃ、意地でも仕事を片付けないとな」
「やる気になってくれたようですね。私も手伝いますゆえ、頑張りましょう」
信盛サマの奥方とは、小春というのデスネ。どんな方なのでしょう。きっと、美しい方なのでしょう。エレナの胸がちくりとする。
「なあ、その宴の件だけど、客をひとり連れていきたいんだがいいか?」
「客ですか。ううむ、素性の怪しいものでなければ問題ないでしょう。今井宗久殿ですか?」
いやと、信盛は言う。続けて
「ここにいるエレナを連れて行きたいんだ。いいか?」
家臣は、ぎょっとした顔つきになる。
「そ、それは少々。ううん」
困り顔の家臣である。かのろしあ女は、今井宗久殿からの紹介である。よもや、間者のたぐいとは思えぬが、所詮、遊女。将軍さまの宴の席に呼んでいいものか、自分には判断はつかない。
「エレナ。京の都で宴を開催するのは言ってあるよな。ついてきたいか?」
エレナは、はっとする。できることなら信盛と共について行きたい。だが、行った先には、信盛の奥方さまがいるのだ。自分がいても肩身が狭い思いをするのは明白だ。
「信盛サマ。奥方サマが京の都で待っているのですヨネ。そんなところに私のような娼婦が行けば、信盛サマに迷惑がかかってしまいマス」
ううん?と信盛は一考する。
「小春のことなら大丈夫だと思うぜ。話のわからないやつじゃないしな」
「そういうことを言っているのではありません!」
エレナはぷいと横を向く。家臣がそれとなく信盛に告げる。
「そこのろしあ女は、奥方さまに目をつけられるのではないかと思っているのですよ」
「ん、小春がエレナになんかするのかって話か?」
「遊女を可愛がっていては、正妻の名折れでござろう。世間体もよろしくないでありましょう」
「そうか、遊女ってのがだめなのか」
信盛が頭を捻る。そして、ぽんと膝を叩き、告げる。
「おい、お前。娼婦館に行ってくれるか」
「そこに行って、何をしてこいと言うのでござるか」
「エレナを買い取ってきてくれ」
はあ?という、顔をする家臣である。
「遊女がダメだって言うなら、正式に俺の妾にする。そうすれば、万事解決だろ?」
「何をおっしゃっているのですか。確かに、妾とあれば、諸問題は解決はします。ですが、会って1日かそこらでしょうが。信を置けぬものを妾にして困るのは、信盛さまですぞ」
「俺は、エレナを信用している。エレナ。お前は俺を信用してくれるか?」
エレナは事の成り行きがよく理解できない。
「あ、あのよくわからないのですが。妾というものになれば、信盛サマとワタシはずっと一緒にいられるということデスカ?」
「そうだな。エレナにもわかりやすく言えば、俺の二人目の嫁になれってことだ」
「ワ、ワタシが信盛サマのお嫁さんになるのデスカ?」
「そうだ。そうすれば、誰に恥じることもなく、堂々と俺の横にいられるぞ。嫌か?」
「嫌なことはないです!でも、ワタシは娼婦なのデス。今まで、数知れずの男に抱かれてきたのデス。そんな汚れた身体のワタシでいいのデスカ?」
信盛は、身体をエレナのほうに向き直し、まっすぐ目を見つめる。
「エレナ。俺の嫁に来てくれ。俺はお前がほしい」
エレナは顔を真っ赤にする。顔から火がでそうだ。殿方に求婚をされた経験などない。
「ワタシは」
エレナは顔を赤らめながらうつむき加減に言う。
「今年で18です。周りから見れば、信盛さまとは親子ほど離れて見えます」
「若い妾を囲むやつなんざ、この世の中、ごまんといる。そんなの気にすることはないぜ」
「ワタシはこう見えて、焼きもち焼きなんです。信盛サマが奥方サマとばかり、いちゃついていたら、暴れてしまいそうなのデス」
「小春共々、尽くしてやる。寂しい思いはさせないと思うぜ」
「ワタシは若いゆえ、日に何度も信盛サマを求めてしまうかもしれません。そうなると、信盛サマのお仕事に支障をきたすかもしれませんヨ?」
「1日3回までなら全然いける」
「もっとしたいのデス」
「え、まじ?」
信盛は、あごをさする。ううん、若い娘のパワー恐るべし。
「ワタシは信盛さまが思っているより、エッチなのです」
エレナは顔をもっともっと赤くし、自分で何を言っているのだろうと、ますますうつむきかげんになる。
「それに」
「他にも何かあるのか」
「ワタシは女の子が欲しいのです。それも2人ほしいのです」
はははっと信盛は笑う。
「何人でもいいぜ。こう見えても、俺は織田家では高給取りなんだ。養育費のことなら心配するな」
「信盛サマは、ろしあ女で焼きもち焼きで、エッチで、さらに信盛サマとの子供がたくさんほしいと思っている、こんなエレナがいいのですか?」
「ああ、俺はエレナがいいんだ。ろしあ女で焼きもち焼きで、エッチで、俺との子供を望んでいる、そんなエレナが欲しいんだ」
「信盛サマ」
エレナは顔を上げる。その顔は涙で濡れて、ぐしゃぐしゃになっている。
「ワ、ワダジは、娼婦デス。でも、信盛サマのことが好きになってジマッタノデス。本当にワダジが信盛サマにあげれるものなんて何もないのデス。でも、信盛サマと一緒にいたいのデス」
エレナはわんわんと泣く。
「信盛サマ。なんで、ワダジのようなものを欲しいと言うのデスカ。ワダジは信盛サマからたくさんのものをいただきマジタ。かんざしも着物もいただきマジタ」
信盛は黙って、エレナを抱き寄せる。
「それだけでワダジは満足だったのデス。この思いだけで生きていこうと決めていたのデス。なのに、信盛サマはワタシにそれ以上の幸せを与えてくれるというのデスカ」
信盛はただ黙って、エレナの頭を優しく撫でるのであった。




