ー天上の章 9- 寿司
1日の時間は過ぎるのが早い。気付けばすでに昼近くになっていた。
「そろそろ昼か。エレナ、腹へってないか?」
エレナは佐久間信盛より新しく買ってもらった着物をひらひらと舞わせながら、小躍りをしている。急に声をかけられどぎまぎとしてしまう。
「ハ、ハイ。確かにお腹は空いてきました。信盛サマもですか?」
「ああ、ぺこぺこだ。そこら中、見て回ったからな」
信盛たちは土産物屋、呉服屋と午前中に回り、小春への土産だけでなく、エレナの分も買いあさっていた。付き人の風呂敷の中は今やぱんぱんであり、運ぶのにも難儀をしているようだった。
「おう、お前らも腹、減っただろ。金は俺が払うから好きな店で喰って来いよ」
信盛は付き人たちに金を渡し、喰って来いとばかりに促す。
「で、ですが、我々は信盛さまの警護も兼ねています。自分たちだけ離れるのは」
付き人たちは真面目である。信盛は、やれやれと思い、エレナに聞く。
「ここらで皆が入れる食べ物屋はないか?エレナ」
エレナは、ううんと考える。昼飯時はどこも混む。信盛を始め、10人くらいの団体だ。全員が入れる店など、この時間帯にはないだろう。あっと思い、エレナは信盛に進言する。
「店ではありませんが、魚河岸に行きまセンカ?あそこなら屋台がたくさんありますので、みなさんも離れることなく、お食事を楽しめると思いマス」
「魚河岸かあ。そういや、ここは海に近いんだったな。いろんなものが置いてあるかあ」
「堺では、寿司というものが流行ってイマス。あれは一度、味わってみるのがお勧めデス」
「寿司?それはどんなもんなんだ?」
「言うより実際に見て、食べてみるのがいいのデス。少し歩きますがいいデスカ?」
「おう、いいぜ。お前らもいいか?」
付き人たちは、おうと応え、付き従う気満々だ。エレナは少しでも信盛と共にいれる時間が増え、うれしい。
「じゃあ、エレナ。悪いが、案内を頼むわ」
「ハイ!じゃあ、みなさん、はぐれないようについてきてクダサイ」
エレナの足取りは軽い。褐色の髪に挿した藤の花のかんざしがさらさらと揺れる。新調してもらった着物も、おろしたての匂いがし、気持ちが良い。奴隷として連れてこられた身ではあるが、ひのもとへこれてよかった。そんな気になってしまうエレナであった。
「あれれ。信盛さま、こんなところで何しているのだぎゃ」
「よお、松井。お前らも昼飯にきたのか?」
魚河岸で、信盛一行と、松井友閑一行は出会ったのだった。
「こっちは仕事できたのだぎゃ。なにやら寿司というものめずらしいものがあると聞いて、宴の出し物として調査しにきたのだぎゃ」
「こっちは昼飯にありつこうと思ってたところ、寿司があるって聞いてきたんだよ。奇遇だよな」
「これも何かの縁でおます。わたしがお勧めする、腕利きの寿司職人の店に案内しまっせ」
今井宗久が案内を買って出る。彼は豪商である。その辺の筋については詳しいだろう。
「じゃあ、頼むぜ。人数は10人と多いが、問題ないか?」
「そこは席を開けさせますさかい、心配せんでもよろしいでおま。まあ、ついてきてほしいでんがな」
そう、今井宗久に皆は促され、魚河岸の中を歩いて行く。
魚河岸の中は活気がよく、往来で怒声にも近い感じで取引がかわされている。これほどの活気は、尾張でも物珍しく、堺の盛況ぶりをうかがわせるには十分だ。
「しっかし、京の都は荒れ果ててるのに、ここは、ずいぶん活気がいいんだな」
信盛がそう呟く。それを聞いた今井宗久は
「京の都はダメでおます。あそこは応仁の乱より100年来、戦場になってきたもんで。この戦国の世では、あんなところより湊町のほうがよっぽど栄えているでんがな」
「確かにそうだなあ。湊町とか、大きな川沿いの町は発展しやすいが、内陸となると、てんでダメだ。岐阜なんかも占領当初は、どうしたものかと悩んだもんだぜ」
岐阜、元は美濃の地にも、斉藤道三が築いた井口の町はあった。そこでは楽市がお触れとしてだされていて、大きな川沿いでもあり、発展するには条件がそろっていたが、斉藤義龍が反乱のおりにその町は焼かれており、そのまま放置されて荒れ放題であった。
さらに美濃の地は、その後、斉藤龍興と織田信長との争いが7年近く続き、国土は荒れ果て、かつての盛況さは失われていた。そこを信長が昨年、占領し、織田家の新たな拠点として、一大改革を実行している最中だ。その甲斐もあり、1年足らずで美濃は、尾張に次ぐ、一大商業都市として生まれ変わったのであった。
「信長さまの領土改革のすごさは、ここ堺の地でも噂になっているでおます。堺の商人たちの中にも、新天地を求め、岐阜に流れて行ったものも仰山いるでんがな」
「経済の発展には、商人の存在は重要だぎゃ。だが、そもそもとして、その経済の発展を邪魔しているのが関所の存在なのだぎゃ。せっかく、商人の定住策として、楽市楽座を行っても、織田領以外は物価が高すぎて、外から物がやってこないのだぎゃ」
「経済発展を含めての、このたびの堺および、淀川の関所撤廃なのでおますな。仕入れがやすうなるのは、私ども商人にとっても嬉しいことでおまんがな」
「関所撤廃をなすには、軍隊が必要だ。いち商人が訴えかけたところで、ほかのやつらが黙っちゃいねえ。寺社といい、豪族といい、はたまた同じ商人同士ですら、関所を置きやがる。寝てても金は入ってくるんだ。それを失くせと言えば、必ず戦が起きる」
信盛は、あごをさすりながら、畿内の諸問題のことについて思いを巡らせる。
「堺が織田家の1万の軍で囲まれたときはどうなるかと思っていましたが、存外、悪いことばかりではなかったのでおますな。信長さまは閉塞する、この堺の地を解放するためにやってきたのでっしゃろ」
「ここの地だけではないのだぎゃ。信長さまは、ひのもとの国、すべての風通しをよくするために戦っているのだぎゃ。手始めが、淀川を中心とする、ここ堺の掌握なのだぎゃ」
ひのもとの国すべての関所を撤廃する。そのことによる商売の益はすさまじいことになるであろう。いや、商売に限った話ではない。ひとがひのもとの国を自由に行き来できるようになる。それがなされれば、一体、この国はどうなってしまうのかなど、一介の商人である、今井宗久には計り知ることはできない。
「信長さまは、一体、何を目指しているのでおますか。常人の私などでは、わからないでんがな」
「応えを聞けば、単純明快なんだけどなあ」
信盛はそう、今井宗久に告げる。
「世の中にはびこる、いらないものを掃除すれば、一体、だれが喜ぶと思う?エレナはわかるか?」
ろしあ女のエレナは、信盛に急に話を振られ、困惑する。
「そんなことをワタシに聞かれても、困りマス。でも、きっと、住みよい国になると思うのデス。こんなワタシでも、このひのもとの国を自由に行き来できるってことですカラネ」
往来に関所を建てられ、そこで関賎を取られれば、エレナのような社会的弱者にとっては、国内の移動など、ほぼできない。その地に縛られ、一生を過ごすこともめずらしくない。
「ワタシは、この国のいろいろなところに行ってみたいのデス。奴隷として連れてこられた身ではアリマスガ、四季が巡る、この国は好きデス」
信盛さまが好きとは言えないエレナではある。願わくば、信盛さまと共に、ひのもとの国の各地を巡りたい。そんな思いを知ってか知らずか信盛は言う。
「うちの殿を信用してくれないか、エレナ。20年、いや、10年も経てば、エレナは自由なところに行けるはずだ。その時は俺が好きなところへ連れ行ってやるぜ」
エレナの心臓はどきんと跳ね上がる。期待してもいいのかと。
そんなこんなで一行は、件の寿司屋の前にくる。寿司屋の暖簾をくぐり、一行は席へ座る。
「へい、らっしゃい!何にいたしましょうか」
「ここの人たちは、寿司は初めてでんがな。大将、適当に握ってくれますかな」
そう言われた店の大将は、へいと応え、寿司を握っていく。寿司を握る、その手つきは、なるほどさすが職人と言わしめる。なにが起こっているのかわからない、その手つきは魔法をつかっているかのごとくだ。次々と色とりどりの寿司が握られていき、目にも、そのおもしろさは伝わってくる。
「へえ、これが寿司かあ。いただきまあす」
この当時の寿司は、現代に伝わる寿司と比べて、大きさは2倍以上である。だが、大きいからと言って、味は粗雑ではなく、職人の手による、その寿司は絶品の味を醸し出す。
「うまあああ、うまあああ」
「コレはワタシが食べた中でも一級品なのデス。同じ寿司でも、これほど違いが出るものなのデスネ」
「そうでっしゃろ。ここの大将が握る寿司は天下一でおます。さあ、どんどん食べなはれ」
今井宗久は満足げな顔である。松井友閑も、うむむと唸りながら、食べる手を止めない。
大将も、皆の食いつきの良さに誇らしげになり、どんどんと握っていく。皆は出される寿司に舌鼓を打ち、次々と平らげていく。
「なんかもうひと味ほしいところだな。美味いことはうまいんだけど、口のなかが魚の味で一杯になってくる」
それならばと、大将が小皿に黒い液体を載せて、皆の前にだす。その小皿の脇には、これまた緑のなにかをすりおろしたものをすえてある。
「これは醤油と山葵でおますな。寿司の上のネタを醤油にくぐらせ、山葵を少量、載せるのでんがな」
言われるままに皆は、醤油をネタにつけ、山葵をその上に載せて、再び、シャリの上にのっけて、まとめて食す。
「うっほ。これは!」
信盛がつい声を上げる。
「醤油と山葵が、協調しあって、寿司の旨みを引き立てさせやがる。これは、うまい。美味すぎるぜ」
「これは、宴の席でも喜ばれるだぎゃ。大将、是非、京の都にて寿司を握ってほしいのだぎゃ」
寿司を食べる皆の顔は、笑顔で埋め尽くされるのであった。




