ー天上の章 8- ろしあ女
「信盛さまは、遊女にご興味がある様子でおますな。堺にもとびきりの女がいるでおまんがな。夜のほうの手配もしたほうがよろしいでおま?」
「お、まじで。助かるわ。いやあ、女房を岐阜に置いてきたはいいが、そっちのほうが寂しくてさ」
「信盛さま」
松井友閑が釘をさす。
「わかってるって。仕事はきっちりするさ。でも、仕事ができる人間ってのは性欲がたまるものだしよ。松井も一緒にどうよ」
松井友閑が危惧しているのは、女をあてがわれ、懐柔されることだ。信盛は堺において、松井友閑の上官となる。その信盛が懐柔されて、うまく運んだ話がご破算になっては問題なのである。
「松井殿は、夜のほうはいいんでっしゃろか」
「あいにく、間に合っているのだぎゃ」
「ここ堺には、南蛮の女性もいるまんがな。金髪の美人なども。あちらの方は体つきがよく、ふくよかなのでんがな」
「金髪だぎゃか」
今井宗久は、見逃さない。
「南蛮の女性の味は、ひのものとの女とは違うでのおます。肌は透き通るように白く、匂いもまた、格別なのです」
ううむと松井友閑は唸る。
「松井が要らないって言うなら、俺に回してくれよ。その金髪の南蛮人。なあ」
「やらないとは言ってないのだぎゃ。今井殿。信盛さまを色狂いにしてもらっては困るのだぎゃ。金髪の南蛮人は責任もって、私がいただくのだぎゃ」
「おい、きたねえな。職権乱用ってやつだろ、それは」
佐久間信盛と松井友閑は、やいやいと言いあう。
「南蛮人と言っても人種は色々とおりまんがな。よおろっぱはもちろん、ろしあ、いんど、果ては新大陸と呼ばれるものたちも」
「南蛮人ってのは、どうしてそんなに種類多く、ひのものとにやってきやがんだ?そんなに各国が船舶でやってきているのかよ」
「大体は、よおろっぱでおまんな。だが、やつらは世界中から奴隷をかき集めておるようでんがな。ひとも商品として扱っておるようでんな」
「くはあ。野蛮なやつらだぜ。俺たち軍隊も、人獲りは戦でやるが、海を渡って奴隷を商品にしようなんざ、狂っているとしか思えんがな」
「物好きな商人はどこにでもおりまんがな。堺にも人買いが居ますし、たいていは見世物小屋に流れていきまんな」
「昔、殿が黒人の奴隷を買い取ったが、あいつ、今、どこの部隊にいたっけかなあ」
信盛は、はっきりとしない記憶をたどる。まあ、今度、殿に聞けばいいか。
茶室の会談から1日経ち、今井宗久、津田宗及は奔走し、京への物資の荷作り、関所撤廃のお触れ、織田家に納める2万貫の準備、佐久間信盛と松井友閑の歓待にいそしんでいた。
信盛は、昨夜、楽しんだ、ろしあ女を侍らせ、土産物屋を物色している。櫛や、かんざし、箸、茶碗などを見て回る。
「オウ。信盛さま。このかんざしなどを奥様に贈られてはいかがでショウカ」
「んん。どれどれ。お、いいんじゃね」
桜の花を模した、その花かんざしを手に取り、まじまじと信盛は見る。小春は花が好きだったな。でも、桜かあ。無難と言えば無難なんだが。
色とりどりの花かんざしがある。その中に藤の花のかんざしを見つける。それを手にとり、ろしあ女の褐色の髪に挿そうとする。
「ナ、ナニをするのデス。奥様に贈るものをワタシにつけたところで」
「まあ、いいからいいから」
慌てる、ろしあ女をおとなしくさせ、その藤の花のかんざしを挿し、まじまじと見る。
「おお、似合うじゃねえか。どうだ、いるか?」
え、えと、ろしあ女はとまどう。男からのプレゼントなぞ、この少女には初めてのことである。とまどいながらどうしたものかと逡巡しているところを土産物屋の主人が手鏡を渡してくる。手鏡に映る、その藤の花は、おしとやかでありながら自分を主張する。
ろしあ女は、うれしくなり、手鏡を持ったまま、くるりとその場で回って見せる。信盛は満足そうにその姿を見、店主にいくらだと聞く。
「100文(=1万円)でおまんがな。買いまっか?」
「そうだな。桜のかんざしも包んでくれ。女房に贈るから、それなりの感じで頼むわ」
「い、いいんデスカ。こんな高価なものをいただいテ」
「ああ、気にするな。これでも、俺は織田家では重鎮だ。これくらい、なんぼでも買ってやるよ」
少女は嬉しくなり、信盛の腕に自分の腕を絡ませる。ひのもとに奴隷として連れてこられ、娼婦に身を落とした自分に、こんなに優しくしてもらったひとは、このひとが初めてだ。
「信盛サマは、お優しい方なのデス。ワタシは信盛サマに出会えて、幸せです」
信盛は、んんと言い、そんなもんかねえと顔をしながら、他にも物色していく。大人の余裕なのだろうか、少女には信盛の男らしさに心ひかれていく。
「信盛サマは、さぞかし女性にもてるのでショウネ」
明るい顔から一転、少女の顔は曇る。信盛サマは一晩限りの客だ。自分は生きるため、また、他の男たちに組み伏せられることになるのだろう。白い肌と褐色の髪がものめずらしいのか、客に事欠くことはない。だが、祖国より遠く離れた地。寂しさは日に日に募るものだ。
「ん、どうした?浮かない顔をして」
「い、いえ、なんでもアリマセン。今が幸せすぎて、憂いてしまっただけなのデス」
ふむと信盛は息をつくと、いきなり、少女の尻に手を回し揉む。
「ナ、ナニをするのデス。こんな往来でそんなことをされては困りマス」
少女は顔を赤くし、必死に抗議する。
「はははっ。エレナが可愛いから、つい、尻を揉んじまった」
「か、可愛いだなんて、やめてクダサイ。本当にもう、信盛さまは」
信盛はエレナの尻の感触を楽しみながら、物色をしている。エレナは衆目の集まる中、尻をもまれるのに抵抗したいが、この男に求められること自体には、嫌な気はしない。
信盛は、小物を物色していくと、あるものに気を留める。
「おい、主人。これはなんだ?」
「へい。それは南蛮渡来のブリキ人形でおます」
そのブリキ人形は、兵士の恰好をしており、手足がぶらぶらと揺れている。見慣れぬ恰好をしたブリキの兵士をまじまじと見、倅のおもちゃとしてはいいんじゃないかと思う。
「ブリキの兵隊さんなのデスネ。ワタシの国でも男の子が兵隊さんゴッコをして遊んでいまシタ」
「ふうん。おい、店主。これもいただこうか」
店主は、へいと応え、かんざしとともに包む。信盛さまには奥方さまだけじゃなく、男の子もおられるのですか、ワタシが入り込むところはありまセン。何かを期待などしているわけではないが、エレナの心は晴れない。
かんざしとブリキの兵士を買った、信盛は、店主に代金を払い、荷物をお付きのものに持たせる。
「じゃあ、次は呉服屋に行こうか。エレナにも何か見繕ってやるからな」
エレナはどきんとする。
「ワ、ワタシは、これがありマス」
ぼろぼろになった服を指さしながら、みじめな気持ちになる。
「可愛いのに、そんな服じゃだめだろ。2、3着、買ってやるから、黙ってついてくるといいさ」
信盛は、そう言うとエレナの手を少し強引に引き、呉服屋へと連れていく。
「信盛さまは、ろしあ女を大層、気にいっておられるようで、紹介した私としても誇らしいでっしゃろ」
松井友閑と打ち合わせをする今井宗久は満足げな顔である。対して、松井友閑は渋面である。
「気に入るのは、信盛さまの勝手だぎゃ、今井殿。余り、はやし立てないでほしいだぎゃ」
「そうでおまんな。信盛さまも忙しい身。仕事に支障をきたしてはいけないでおます」
「そうだぎゃ。しかし、信盛さまにも困ったもんだぎゃ。ひのもとの国の遊女ならともかく、どこぞのものと分からぬ女だぎゃ。もし、三好三人衆の間者だったらどうするのだぎゃ」
「その点は心配せんでもよろしいでんがな。そこは責任持って、怪しくないものを紹介させてもらっているんでんがな。奴隷船でつれられてきたものでおます。だれかの間者ということはないでおます」
松井友閑は、やれやれと嘆息する。仕事は部下に指示を出し、やることはやっているようではあるが、上があれでは部下が納得しないであろう。まあ、自業自得だ。信長さまに叱責を喰らうのは信盛さまだ、ほっとこう。自分は自分の仕事をしよう。
「さて、今井殿。京に送る物品のことなのだぎゃ、肉が少ないようなのだぎゃ」
「肉は南蛮人が好むため、堺での消費が激しいのでおます。それゆえ、回せる分が少なくなってしまうのでんがな」
「そうなのかだぎゃ。足利義昭さまは、鶏のから揚げが大層、好みなのだぎゃ。その分は回してもらえるだぎゃか」
「鶏はだいじょうぶでおまんな。ただ、猪、鹿に関しては、南蛮人の好物らしく、商人たちもこぞって南蛮人に卸すため、なんとも言えないでおます」
ううむと松井友閑は唸る。
「魚は余るほどあるでおます。海が近いので、鯛、アイナメ、イワシ、タコ、イカ、カレイなど種類も豊富でおま」
「魚だぎゃか。ううむ。魚は確かに内陸の京の都ではもの珍しいものにはなるだろうだぎゃ、インパクトが足りぬだぎゃ」
「それなら、寿司にして出すというのはどうでおます?」
寿司。寿司とはなんぞやと松井友閑は思う。
「そのご様子では、寿司を食べたことがなさそうでおまんな。米のメシを握り、その上に魚の切り身を乗せるんでんがな」
「おにぎりの変形版なのだぎゃか?それは美味いのだぎゃか」
「寿司職人というものがおます。ものは試し、少し食べにいくでんがな」
松井友閑は今井宗久に促されるまま、魚河岸の屋台に行く。そこには尾張顔負けの食べ物屋の屋台が並ぶ。
「ほう、さすがは天下の台所。所せましと屋台が並んでいるのだぎゃ」
「はははっ。驚かれたでしょう。尾張、美濃にも負けておらぬでおます」
寿司という聞きなれない珍品を求め、2人は魚河岸を回るのであった。