ー天上の章 7- 商談
津田宗及は頭の中で、そろばんの珠をはじく。信長は堺に集まる火薬をすべて買い取るという。ということは、織田領から東には鉄砲を使わせないということだ。
確かに鉄砲は強力な兵器ではある。だが、雨が降れば使えない。そんな代物に大金を払おうという信長の気がしれない。
「なにゆえ、鉄砲なぞに金をかけるのでおますか。50挺、そろえたところで、戦況を左右できるとは到底、思えませんが」
松井友閑は顎をさすりながら次の言葉を言う。
「ならば1000挺、集めればどないだぎゃ?」
「せ、1000挺というのですか。堺中の鉄砲を集めても、それだけの量、集まらないでおま。一体、信長さまは何を考えているんで」
「それは機密事項に触れるだぎゃ。して、売ってくれるのですかだぎゃ?」
確かに1000挺もの鉄砲を使うのであれば、火薬はどれだけあっても足らないであろう。火薬は実践で使うだけでなく、訓練でも消費される。それが信長が存命中であれば、長く続く商売相手ということになる。
今、2万貫(=20億円)を信長に渡したところで2,3年もすれば元は十分にとれる。しかも、商売の品は他にもある。信長軍は4万もの兵を養っているのだ。弾薬だけでなく、刀剣、槍、鎧、食料などなど、なんでも売れる。
津田宗及の頭のなかのそろばんは、いまや天上しらずの値をつけている。
「織田家は、堺にとっては、いいお客様になりそうでんがな」
「そう理解してくれて問題ないのだぎゃ。火薬のみならず、ここ堺は魅力的なものが集まるだぎゃ」
松井友閑は、目の前に出された茶碗を手に取り、ずずいと茶を飲む。
「うまい茶だぎゃ。堺は本当に色々なものが集まるのだぎゃ」
「火薬の件については、すぐに返答はできないでおます。ですが、きっと、信長さまにとって、良い結果がお伝えできるとおもいまんがな」
「そうなのかだぎゃ」
松井友閑は茶碗を畳の上に置き、信盛のほうに顔を向ける。
「信盛さま。軍を動かしてくれるかだぎゃ?」
「ん?何々、俺の出番か」
「ここにおられる方がたは、いまだに立ち場というものをわかっておられぬようだぎゃ。ひとつ、ここは、信長さまの意思を示してもうらのだぎゃ」
「ちょっと待ってくれでおます!ここ、堺を火の海にする気でっしゃろか」
津田宗及を始め、商人たちが慌てはじめる。
「1万の軍で攻めたてれば、こんなところ、1日で占領できるだぎゃ。信盛さま。逆らう商人たちをひっ捕らえ、三条河原で斬首してくれるだぎゃか」
「んん。松井が言うならやるけど、堺中の商人かあ。ついでに店にも火もつけちゃっていいのか?」
「いいんだぎゃ。こいつらは信長さまと商売をする気がないんだぎゃ。ならば、こんな地、灰塵に帰したほうが障りがなくなるだぎゃ」
茶室に集まる商人たちは顔面蒼白となる。今井宗久が慌てて土下座をする。
「3日、いや、2日、待ってくださいまし。堺の商人たちに声をかけ、信長さまに逆らわぬ約定、取りつけてくるでおます!」
松井友閑は、ふむと嘆息する。
「5日後、将軍・足利義昭さまが戴冠式を行われるだぎゃ。その折に前代未聞の宴を催す予定だぎゃ。宴の余興に堺で盛大な火祭をあげるのも悪くないのだぎゃ」
「きょ、今日中に堺をまとめあげます。火薬の取引についても、信長さまの言われる通り、畿内をはじめ、そこより東には一切、取引をやめさせます。ですから、堺を荒らすのはやめてくれなはれ!」
「それだけでは足りないだぎゃ。宴には、古今東西の珍品、銘酒、食料、衣服が必要だぎゃ。なのに、お前たちは兵を集め、貴重な2日を無駄にしただぎゃ。それに対する見返りは準備できるかだぎゃ?」
「信長さまが所望する、に、2万貫についても、1週間以内に準備させるでおます。堺の降伏の意思として受け取ってほしいのでまんがな!」
「宴の準備に関しては、どうするのだぎゃ?」
「堺の人員をフル活用させ、京に必要な物資を運びさせまんがな。ですから、どうかどうか、矛をおさめてくれますか」
「おい、松井。ここまで言ってるんだ。信用してやったらどうだ?」
信盛が助け舟を出す。松井友閑は、1度、天井を見上げ、商人たちの顔を見回す。そして、両手をぱんと叩き
「商談成立だぎゃ。なあに、代金はしっかり払うだぎゃ。おい、用意した金を持ってくるのだぎゃ」
同伴した織田のものに松井友閑は指示を出す。そのものは急ぎ、茶室より外に出ていく。5分後、織田の兵士たちが長持をいくつか茶室に運びこんでくる。
「ここに金500があるだぎゃ」
長持の蓋を開けると、黄金が山積みになっている。それを見た、今井宗久と津田宗及は目を剥く。
「こ、こんなに払ってくだされるのでおますか。信長さまは、堺を買い占めるつもりでんがな」
「少ないというなら、もっと用意させるだぎゃ。ただし、質の悪いものを売ろうとするなら、どうなるかわかっているんだぎゃか?」
「め、めっそうもございませんがな。将軍・足利義昭さまに見合ったものをご準備させていただきまんがな!」
「一応、精査はさせてもらうだぎゃ。まあ、大丈夫とは思うのだぎゃ、念のためだぎゃ」
続くように信盛が口を開く。
「兵3000ほど、堺に滞在させるけど、問題ないよな。元は、ここは、三好三人衆の支配地だったし、邪魔させられたら面倒だからな」
「ええ、ええ。問題ありませんでんがな。もし、三好三人衆の残党がいれば、こちらのほうからもひとを出し、ひっ捕らえさせてもらいまんがな」
信盛がふむと息をつく。そしておもむろに
「よおし、話は決まったようだな。茶をくれよ。それとカステーラをいくつか包んでもらえるか?殿と、うちの女房の分だ」
今井宗久は、慌てて茶をたてる。茶筅を回す、その手は緊張のためか、ぎこちない。
「はははっ、今井殿。そんなに力を込めては美味い茶はたてられないだぎゃ。安心するのだぎゃ。商談はまとまっているのだぎゃ。慌てる必要はないのだぎゃ」
ははっ、ははっと今井宗久は、ぎこちなく笑う。他の商人たちは一様に顔中に吹きだす冷や汗を手ぬぐいで拭く。
だされた茶を信盛は、ずずいと飲む。
「荷物の搬送には、織田家の兵たちも使ってくれていいぜ。元々は、搬送のために連れてきたんだからよ」
「無駄に血が流れなくてよかったのだぎゃ。堺の商人たちは話がわかるひとが多くて安心したのだぎゃ」
はははっと、信盛と松井友閑は笑いあう。だが、今井宗久を始め、堺の商人たちは生きた心地がしない。六角義賢と三好三人衆を1カ月もせず撃退せしめた織田家の軍だ。その軍の精強ぶりは堺の商人には周知の事実である。逆らうものにはきっと容赦はしないだろう。
「そういえばさ。織田家では関所を撤廃させてるんだよ。お前たちの中でも淀川に関所を設置しているやつがいるだろ?邪魔なんだよな、通行の」
「は、はい。恐れながら言うのならば、治安の維持のために置いているのでおます」
「その割には、関賎をとっているみたいだけど、治安維持のためだけなら、金はいらんだろ?」
今井宗久は、ぐうの音も出ない。
「淀川からあれが消えるだけでも、輸送の速度があがるんだよ。それに、今、ここにある金は関賎を払う分は含まれちゃいねえ。俺の言っている意味はわかるよな?」
「で、ですが、関所がなくなれば、海賊どもが跋扈します。それにやつらも川に関所を置いているでおます」
「それについては問題ねえ。すでに堺の周りの海賊どもの掃討を開始してる。風通しを良くするのも、俺の仕事だ」
「もう手をつけているというのですか!ううむ。わかりましたのでおます。私どもの関所も今日中にはお触れをだし、撤廃させます」
「色よい返事で助かるぜ。まあ、いやだと言うやつがいたら、俺に言ってくれ。関所と一緒に処分してやるからよ」
「め、めっそうもございませんがな。信盛さまの手を煩わせることはいたしません。我々が説き伏せておきますのでおま」
関所の撤廃をめぐって、堺に進駐する口実を与えてなるものかと、今井宗久は考える。進駐を許せば、咎は必ず、自分にまで及ぶ。
「今井殿がそこまで言うなら、仕方ねえ。俺は俺の仕事をするまでかあ」
今井宗久は、ほっと胸をなでおろす。
「じゃあ、三好三人衆の残党を見かけたら言ってくれ。俺は堺の警護ならびに物資の搬送をするからよ。あと、警護に当たるやつらの宿も用意してくれね?ちゃんと金は払うからよ」
「た、確か、兵を3000、堺に駐留させるのでしたね。宿のほうはしっかりと準備させますゆえ、民への乱暴狼藉のほうは控えてくださいまし」
「ああ、その点は大丈夫だぜ。そんなことする奴がいたら言ってくれ。こっちのほうでしっかり処罰するからよ」
織田軍の京への凱旋のおり、信長が女性に乱暴しようとした自分の兵士を自らぶった切ったという話は、堺でも噂になっている。眉唾ものの話であったが、信盛の言からは、それが本当のことであったことがうかがえる。
「ほかにご要望がありましたら、なんなりとお申しくださいませ。織田家の方々が滞在、なに不自由なく勤めさせてもらいまんがな」
信盛は、ふむと息をつく。
「じゃあ、土産物屋に案内してもらおうかな」
「奥方さまへの贈り物ですか。なら呉服屋などはいかがですかな。南蛮の生地も扱っておるゆえ、きっと、喜びそうなものがあると思いまんがな」
「そう?じゃあ、明日、案内、頼むわ。今日は、やることやまほどあるだろうし、そのほうがそっちも都合がいいだろ」
「信盛さま。遊女への贈り物は別で会計を頼むのだぎゃ」
「えええええ。経費で落としてくれよ。けちくさいなあ」
「信長さまより注意を受けているのだぎゃ。信盛さまから目を離すなと」
「ちっ。殿め。カステーラ、届けるのやめてやろうかな」
割と本気で恨み節の信盛であった。




