ー天上の章 6- 堺
足利義昭の将軍就任の報から明けて二日後、佐久間信盛の1万の軍が堺を包囲していた。堺の豪商たちは最初、兵を集め抵抗の意思を示したが、たかだか1千しか集まらず、信長からの銭2万貫(=20億円)の要請を受けざる得ない状況となっている。
堺の豪商たちが頼りとしていた三好三人衆も四国の阿波に引っ込み、らちが明かない。その堺の豪商の代表たる、今井宗久と津田宗及は互いに話し合い、織田家への銭2万貫を拠出することを渋々ながら認めることとした。
「堺の自治もここまででっしゃろかいな。信長が擁する、足利義昭も将軍になられたとのこと。これ以上の反抗は、わたしらどもの命にも関わることでおまんがな」
「今井殿。わしはこれは逆に商機と見てますで。信長にこの機に恩を売り、織田家への専売を認めてもらおうではないでおます」
「津田殿は商魂たくましいでんな。しかし、数年前に信長が堺においでになられたときは、無碍にもなく、商談を断りましたが恨んではおりませぬかのう」
足利義輝が存命の時代。信長は義輝に謁見した際、ここ堺にも足を延ばしてきていた。その際にこの2人は信長に会ってはいたものの、商談を持ちかけられたが、尾張の田舎の小大名と侮っていた。それが数年で京に大軍を擁して上洛を果たし、立場は逆転してしまっている。
「まずは、今、堺を囲んでいる将に使いを送りましょうか。抵抗の意思はないと伝えないといけないでんがな」
「使いのものは無事、帰ってこれるものなのか。首級だけが送り返されるかもしれないでっしゃろな」
今井宗久と津田宗及は互いの顔を見つめ合い、今後の自分たちの成り行きにどんよりとした空気を感じ取る。
その日の午後、堺からの使いは、信盛の元に到着し、投降の意思を通達する。それを受けて、信盛は兵の一部を堺の警護に配備するとの返事をし、少ない人数を共にすえ、堺入りを果たすのであった。
「まあ、1万もの軍で囲めば、さすがに反抗する気は失せるもんか。いささか拍子抜けの気もするが、下手に抵抗されるよりは楽なもんだ」
「信盛殿。脅しは必要なのですだぎゃ。この松井友閑が交渉に当たらせてもらうですだぎゃ」
松井友閑は、前田玄以が尾張から見つけてきた商人のひとりである。信長に見初められ、官僚のひとりとして、武将として抜擢され、この堺での交渉役に連れて行けとばかりに押し付けられた。
信長の能力を見抜く目は卓越している。殿が推薦しているのだから、人選は間違いないのだろうと思うが、尾張は生え抜きの商人たちが跋扈する土地でもある。頼りにはなるが、さて、ここ堺ではどうでるのであろうか。
そうこうしているうちに、今井宗久が居を構える屋敷へと信盛と松井友閑は到着する。屋敷の入り口で簡単な挨拶を済ませると、丁稚に奥にて、主人が待っているということで案内をされる。
織田家の面々が通された場所は茶室であった。畿内では大事な話は茶室でされるというが、まさか、自分がそれに対面するとはと信盛は少々、辟易する。
「おお、これは織田家の皆さま。よくぞ堺までお越しになってくれましたな。私は今井宗久と申しまっせ。で、こちらが津田宗及でおまんがな。名前は京でも知れ渡っているでっしゃろ」
「今井に紹介されましたは、津田宗及でおます。本日はいかような趣向でございまっしゃろか」
「佐久間信盛だ。お招きいただき感謝する。いろいろと交渉しにきたんだが、まあ、話は松井友閑にでも聞いてくれ」
「松井友閑だぎゃ。尾張の田舎ものゆえ、そそうをするかもしれませんが、穏便にすませてほしいだぎゃ」
茶室には他にも堺の有力商人であろうものが数名いる。その者たちは怪訝な顔つきであったが、信盛と松井友閑は、どこ吹く風とばかりに飄々(ひょうひょう)としている。
「まず、茶を一献、淹れさせてもらいまっしゃろか」
今井宗久はそういうと、慣れた手つきで茶入から匙を使い、茶粉を茶碗にいれる。そして、茶釜からお湯を取り出し、茶碗に放り込み、茶筅でシャカシャカとかき混ぜ始める。
「大層、値打ちのありそうな茶入だぎゃ。さすがは今井宗久殿だぎゃ」
「松井殿は目ざといでんな。これは国司茄子といって、遠くは明国より仕入れたものでんがな」
「茶碗はこれは、灰被天目と見えるだぎゃ。今井殿は茶の道に明るい方だぎゃ」
「それをわかる松井殿こそ、なかなかの目利きと思いますでんな。そういえば、織田家で召し抱えられてる利休殿は息災でっしゃろか」
「さすがは堺のひとたちは耳が早いだぎゃ。利休殿は、今や織田家の専属の茶人だぎゃ。大層、信長殿に気に入られているだぎゃ。それに織田家の茶の湯の指導をされているだぎゃ」
「利休殿は商売は魚屋と、いまひとつ、ぱっとせなんだが、茶の湯に関しては、私どもより先を行かれるお方でおま。はてさて、私どもが信長さまに取り入れることは可能でっしゃろか」
「そうだぎゃあ。信長さまは天下の名物を所望しているのだぎゃ。今井殿のコレクションのひとつでも贈ってみることをお勧めするのだぎゃ」
今井宗久は、かき混ぜ終えた茶を、信盛の前に置く。信盛は茶碗を持ち上げ、口につけ、中の茶をずずいと飲む。
「美味い茶だな。これはどこの茶葉をつかってるんだ」
「ここより遠く、駿河でとれる茶葉でんがな。宇治の上品なのとはまた違い、あちらの茶葉は少しあらあらしい味でんな」
信盛は、ふうんと思い、さらに口に茶を含む。
「茶菓子は、ここ堺で取り扱っている、砂糖菓子でおます。遠く、西洋の地でとれる甘味の強いものでんがな。駿河の茶とよく合うのでお試しあれ」
信盛は、出された砂糖菓子をひとつ掴み、口のなかに放り込む。味わったことのない砂糖の甘味が口いっぱいに広がり、茶と確かに合う。
「この菓子はうまいなあ。名はなんて言うんだ」
「カステーラと言うでんがな。宣教師が持ってきたものを真似して堺にて作ってみてはいるんですが、口に合うようで幸いでんな」
「殿も喜ぶだろうな。少しばかり、見繕ってくれないか」
「信長殿は甘いもの好きなんでっしゃろか。それなら、ここ、堺にはいろいろと渡来品が出回っておるゆえ、他にも何かありそうでんな」
信盛はカステラをもしゃもしゃと笑顔でほおばる。その姿を見、今井宗久の顔は少し頬を緩ませる。
「大層、喜んでもらえて光栄なのでっしゃろ。おかわりもあるゆえ、遠慮なくおっしゃってくだされ」
「お、悪いね。じゃあ、茶のおかわりもいただこうか」
信盛から茶碗を受け取り、再び、茶を入れ直す、今井宗久であった。そこを割って入るように津田宗及が発言する。
「松井殿。商談の件なのですが、その前に織田家が所望する2万貫のことが」
津田宗及は手ぬぐいで額をぬぐいながら続ける。
「量が量ゆえ、少々、時間をいただけますかな。払わぬとは言わぬ。ひと月以内には治めさてもらうのでっしゃろ」
「それはよかったのだぎゃ。信長殿には取り持っておくので、安心するのだぎゃ。なあに、払うのであれば、信長さまは無体なことはしないのだぎゃ」
それにと松井友閑は続ける。
「織田家と堺の商談がまとまれば、すぐに元は取れると思うだぎゃ。だから、先行投資だと思ってほしいのだぎゃ。織田家はいまや、尾張、岐阜をはじめとし、南近江、京を有しているだぎゃ。金はうなるほどあるだぎゃ」
「はははっ。織田家は末恐ろしい。堺のすべてを買いとるつもりでっしゃろか」
松井友閑は上を見上げ、ううんと一考する。
「ここだけの話だぎゃ、心して聞いてほしいのだぎゃ」
津田宗及は、ごくりと唾を飲む。
「織田家は、堺の所有を望んでいるのだぎゃ。なあに、商人たちを締め上げて、略奪をしようというわけではないのだぎゃ。商品に関してはちゃんと代金を払うのだぎゃ」
「では、堺の何を所望するといいまんがな」
「火薬だぎゃ」
津田宗及は松井友閑の言葉を聞き、もう一度、ごくりと唾を飲みこむ。
「堺にある火薬を優先的にまわしてほしいとのことですかな?」
「すこし違うのだぎゃ」
松井友閑は腕をいっぱいいっぱいに広げ言う。
「ここ堺に集まる火薬のすべてを織田家が買い取るのだぎゃ。何、金は出す。売ってくれるかだぎゃ?」
その話を聞き、今井宗久も顔色を変える。津田宗及は、恐る恐ると話の続きを促す。
「火薬すべてでございますか。確かに火薬はここ、ひのもとでは生産できぬゆえ、そのすべてを南蛮人より輸入しているでっしゃろ。それをすべて買い取るともうされるのか」
「そのとおりだぎゃ。すぐに元がとれると言った意味、理解してもらえただぎゃか?」
茶室に集まる商人たちの間に動揺が走る。ひそひそと隣同士で耳打ちを始める。あるものはどこからか取り出したそろばんの珠をはじき始める。
「それほどの財。信長さまは、所有しているというのでおますか?」
「信長さまは、先日、義昭さまに金1000、絹、木綿、刀剣、鎧などをお贈りしたのだぎゃ。まあ、はした金であったのだぎゃ、義昭さまは大層、喜んでいたのだぎゃ」
金1000といえば、1国の1年の国家予算に匹敵する。それをはした金と言う松井友閑に津田宗及は戦々恐々となる。
信長は金山を所有しているわけではない。そんなことは堺の商人たちには周知の事実だ。だが、尾張と岐阜の景気の異常さは、ここ堺にも聞き及んでいる。そこに、南近江と京が加わったのだ。堺が天下を代表する湊町でなければ、ひのもとの経済の中心地は、とっくに尾張に奪われているだろう。
うむむと津田宗及は唸る。ここで首を横に振れば、ほかの堺の商人たちに話が回るだけのことである。津田家はあっというまに衰退し、堺の地から追われることは明白である。
「うめえ、うめえ。カステーラ、うめえわ。小春にも持って帰らないといけねえな、これは」
信盛は、逡巡する堺の商人たちをよそに、のんきに舌鼓を打っているのであった。