ー天上の章 5- 魔界・京都
足利義昭が詰める本圀寺から、ぞろぞろと織田家の面々が出てきていた。村井貞勝は、仕事の続きをしに、早めに一団から別れる。
「こんな暑い中、貞勝くんは真面目ですね。利家くんを見習って、たまには仕事から逃げ出せばいいのにですね。彼、そのうち、ストレスで胃に穴が開くんじゃないでしょうか」
「殿の言うことなんざ、半分くらい流して聞いておかなきゃ、すぐに倒れるもんだってのに、貞勝殿は意外とストレス耐性が高いのかもな」
その辺の茶菓子屋で買った団子をつまみながら佐久間信盛が他人事のように言う。
「ううん、やっぱり団子はあんこに限るな。みたらしも捨てがたいが、あれは甘さがきついからな」
「先生は、みたらしも好きですよ。ただ、手がべたついてしまうのが難点ですけどね」
信長は信盛から、みたらし団子をうけとり、一粒、口にほうりこむ。もぐもぐと口のなかで団子を噛んでいると、前田利家が、物欲しそうに信長を見る。
「しょうがないですね。一粒だけですよ」
「わあい。うれしいッス。信長さまの好物は、自分の好物でもあるッスよ」
利家は口を開け、犬がおねだりをするような恰好で待機する。その口のなかに、串からはずした団子をほおりこむと、満足そうな顔で団子をほおばるのであった。
「利家くんは、本当においしそうに食べますね。見ていて、先生も幸せな気分になりますね」
「利家は犬っころみたいだな。身長は殿より大きいのに、甘え方がまるで犬だな」
「わんわんッス。信長さま、ラブリーなんッス!」
「はははっ、利家くん。甘えるには、まだ日が高いですよ。そういうのは家に帰ってからです」
信長は、利家に、お手、お座り、おあずけと命令し、それを利家が受けて、ポーズをとる。よくできましたとばかりに、残りのみたらし団子を一粒、利家の口に放り込む。
「ううん、信長さまから頂くものはなんでも、おいしいッス。自分は幸せなんッス」
「い、いつも思うんですが、利家殿の奥さんの松さんは、信長さまとのこと、やきもちは焼かないん、ですか?」
秀吉と利家は家族ぐるみの交流がある。どちらの家庭も愛妻家で仲睦まじい関係だ。
「信長さまとの仲は、松も承知ッスからね。その分、家族サービスをしっかりしているから、大げんかにはならないッスよ」
信長の家臣たちの奥方連中は、畿内の情勢不安定もあり、京には連れてきていない。そのため、溜まるものは溜まる。
「まあ、怖い嫁さん連中も居ないんだ。たまにはゆっくり羽を伸ばすのもいいだろ」
佐久間信盛は、こっそり秀吉を誘い、たまに五条河原の遊郭に出入りしているようだ。愛妻家の一面は皆、あるものの、それとこれとは話は別らしい。
「のぶもりもりは盛んなのは結構ですが、あまりハメをはずしすぎると、小春さんに告げ口されちゃいますよ」
「殿は良いよ。妾や小姓を連れてきてんだからよお。警護する身にもなってほしいぜ」
「の、信長さまがうらやましいの、です」
「秀吉くんところのねねさんは焼きもち焼きでしたね。たまに愚痴られて大変なのですから、火遊びも大概にしてください。ねねさんから書状が届いてましたよ」
え、えと秀吉が焦る。
「ちゃんと言い訳の書状を書いて送っておきました。はげねずみには、美しいねねさんはもったいないと付け加えておきましたよ」
秀吉が申し訳なさそうに頭をぽりぽりとかく。
「はははっ、ざまあねえな、秀吉。京に来てまで嫁さんの尻にしかれてんのかよ」
「のぶもりもり。小春さんからも書状が届いています。もし妊娠させたなら、責任持って岐阜に連れ帰って妾にするようにとのことでしたよ」
信盛は、あわわわわと言う顔をする。
「信盛さまも大概ッスね。尻にしかれてるのは猿と同様、変わりないッスよ」
「おまえんちこそ、どうなんだよ、利家。松にべったり甘えてそうなイメージしかないぜ」
「そんなの、頭が上がらないのは当たり前ッス。何、言ってるんッスか」
やれやれと信長は思う。もしかしたら、織田家の最強は、奥方連中なのかもしれませんね。
「そ、それよりも宴はどうし、ますか。岐阜ならともかく、こんな荒れ果てた京では物資の搬入にすら手こずりますよ」
秀吉が無理やり話題を変えようと、宴の話にすり替える。
「そうですねえ。堺が近いですから物資自体には問題ないのですが」
「んん。淀川のアレかあ。大分、撤去はしたんだが、数が数だからなあ」
淀川のアレとは、関所のことである。この当時、淀川には300以上の関所が設置されており、本願寺、比叡山といった大御所所有のものもあったりとして、完全な除去には、なかなか手こずっている。
「んん。しょうがありませんね。もう少し、本願寺のほうには圧力をかけてみましょうか。あそこは信徒も多いゆえ、関賎をとらなくても十分にやっていけるでしょうし」
「堺も商人たちが独自に勢力圏を確保してるッス。高値をふっかけてくるッスよ、絶対」
「では、堺の商人たちも同時に締め上げましょう。そうですね。銭2万貫ほど要求しましょうか」
信盛はそれを聞き、驚きを隠せない。
「そんなことしちまったら、堺と戦争状態になっちまうだろ。ますます、物資が手にはいらなくなっちまうぜ」
「はははっ。のぶもりもり、1万の軍で囲めば、そんなことは言ってられなくなるでしょう?」
あちゃあと信盛は空を見上げる。
「余計な仕事が増えちまったなあ。明日から大坂勤めかあ。宴までにもどってこれるかなあ」
「いくらか兵を集めるでしょうが、所詮、商人の集まりです。練兵だと思って、さくっとやっちゃいなさいよ」
「簡単に言ってくれるぜ。期限は1週間なんだろ。まあ、行ったついでだ。物資の搬入にも兵を使うかあ」
「戦果のほう、楽しみにしてますよ。ついでに治安維持のほうもお願いしますね。三好三人衆が何かしてくるかもしれませんから」
「こりゃ、絶対、宴に間に合わねえわ。利家、代わってくれよ」
「嫌ッス。確かに、堺には行ってみたいッスけど、これ以上、仕事したくないッス」
利家は断固拒否の構えだ。信盛は、代わって秀吉のほうを見る。
「だ、だめですよ。わたしには京の仕事があります。代わりにやってくれるん、ですか」
信盛は、ううんと首をかしげる。
「京の女の子と遊ぶのはいいが、男と付き合うのはいやだなあ。気位の高いやつが多くて、いやになってくる」
「そ、それを毎日やってるんですからね、わたしは。もう少し、お給金をあげてくれてもバチは当たらないと思うの、です」
「そうだそうだ。殿、給金あげてくれよ。1万人も指揮を任されたはいいけど、家臣にやる金が足りねえよ」
「あなたたちは何を言っているんですか。兵士の分はちゃんとあげているでしょう。前田玄以くんが怒っていましたよ。土産ものまで領収書を回してくる連中がいるって」
信盛は、どきっとした顔をする。秀吉はそそくさと、列の後ろのほうへ逃げていく。
「秀吉くんはいいですよ。袖の下を喜ぶ人たちも、いますからね。京の都は魔界とはよく言ったものです」
「うんうん。そうだよ、そうだよな。贈り物は大切だよな」
「のぶもりもり。きみは遊女に贈る土産でしょうが。何を言うに事欠いて、しらばっくれようとしてるのですか」
「う、うるせえ。女の子と仲良くなるには土産物と相場は決まってるんだよ。そ、それに小春の分まで、しっかり買って送ってるんだから、いいんだよ」
信長は、はああと長いため息をつく。
「それ、玄以くんの前でも言えます?彼、普段は温厚ですが、怒ると怖いんですよ」
「玄以は元僧侶ッスからね。この前、卒塔婆を屋敷の庭でフルスイングしてたのを見たッスよ。あれは相当、ストレスがかさんでいるッスね」
「玄以のストレスの大半は殿の無茶振りじゃねえかよ。聞いたぞ、尾張からの商人を招いたはいいが、味が薄いだのなんだのって難航してるってよ」
「京の薄味を改良する世紀の企画に立ち会ってもらっているんです。どこが無茶振りですか。きみだって、この薄味には正直うんざりでしょうが」
「まあ、確かにそうだが。出される、ぶぶ漬けの味の薄いことといったら、ひどいな、あれは。茶葉をけちってんのかとは思う」
「きみ、ぶぶ漬けを食べてるんですか?」
「ああ、そうだよ。土産物に行って、値切り交渉をしてたら、ぶぶ漬け食べなはる?って、よく言われるんだよ。出してもらえるなら、食べるのがマナーってもんだろ」
信長は、あちゃあと言う顔をする。
「あれは、早く帰れって意味ですよ。食べたら最後、末代まで馬鹿にされますよ」
「うっわ、まじかよ。京都人こわいな。腹の底では、そんなこと考えているのかよ」
「は、はい。わたしも、最初、貴族のひとたちに挨拶回りしてたら、散々、言われ、ました」
秀吉にしては、めずらしく、いやなことを思い出したというような顔つきをする。
「あと、貴族たちとしゃべっていると、急に和歌を詠み始めるの、ですよ。それに対してうまい返歌ができないと、そこで交渉は打ち切りになるの、です」
「うへえ。京都人は上から下まで、そんなのかよ。こわすぎるわあ」
「貞勝さまは、よくやっていると思うの、です。わたしは、あの方の補佐なので、まだましですが、貞勝さまの気苦労といったら、計り知れない、です」
「義昭の将軍就任も成りましたし、ここらで休暇を取らせたほうがいいんですかねえ。彼は仕事の虫なので、仕事を取り上げたら路頭に迷いそうなところが怖いんですよね」
「きっと、休暇を与えても、意味なく職場にくるッスよ、ああいうタイプは。仕事が趣味って感じッスもん、貞勝さまは」
「彼にとっては何がいい休養になるんでしょうね。囲碁とか将棋なんでしょうか?」
「信長さまは将棋しちゃダメッス。負けそうになると成金戦隊なるんじゃあとか言い出して、ルール無視で歩を全部、裏返すじゃないッスか。それも飛車角びっくりな機動力も追加させるッスしね」
「先生は、将棋の駒、ひとつひとつに名前をつけているんです。それが相手に取られたら、将が可哀想じゃないですか」
「ちなみに俺は、どの駒にされているんだ?」
「のぶもりもりは、くやしいけど金ですね。ちなみに、前田利家くんは香車です」
「ん…。じゃあ、自分はなんなの」
今まで黙っていた佐々成政が口を開く。
「佐々くんは、桂馬ですね。トリッキーな動きも出来ますから」
「ん…。飛車がよかったな。ちなみに、飛車角は誰なの?」
「それは、お濃と吉乃です。王将が危なくても、断じて、奪わせることはしませんよ」
いらないおのろけを聞いたなあと、佐々は思う。そういえば、岐阜で待っている梅ちゃんは元気だろうか。ごはん、しっかり食べているのかな。今度、土産物屋を覗いてみよう。かんざしが欲しいって言ってたっけ。