ー昇竜の章15- 織田家の2本柱
とある一室に、信長と明智光秀がいた。彼らはなにやら談笑をしているようだ。
「ふひっ。予想以上にうまくいったのでございます。細川藤孝、なかなかの堅物のため、落とすことはなかなか容易ではございませんでした」
「まあ、義昭が報奨を独り占めすることなんて、予想できていましたけど、まさか、一切、細川くんに言ってなかったのは驚きましたね」
「人間、頂上に上り詰める瞬間は、どうやっても油断するものでございます。そこに鼻薬を嗅がせれば、いちころでございます」
「ははっ。光秀くんは怖いですね。しかし、あの報奨の量をきみから進言されたときは、義昭には、やりすぎだろうとは思っていましたが、功を奏しましたね」
「ふひっ。義昭本人に金500もの価値はございませんね。しかし、将軍の名を買うのに、金500は安いのでございます」
光秀は、大皿に盛りつけられた、色とりどりの野菜に梅しそ汁をかける。そして、おもむろに箸でつかみ、口に含み、もしゃもしゃと食べる。
「ふむ、光秀くん、それは新作の野菜専用汁ですか?どれ、先生も少しいただきましょう」
光秀は大皿にもられたサラダを小皿にわけ、信長に手渡す。
「ううん。この梅しその酸っぱさが、暑い夏にあってますね。絶妙な味わいです」
夏は塩分が消費されやすい。それを梅しそドレッシングで補うのだ。身体が求めているものを食べる。これこそが健康に一番いいのは当たり前だ。
「しかし、派遣というのは良い案でしたね。これで、義昭に土地を与えず、さらに彼の有能な家臣に直接こちらから俸禄を与えることで忠誠心を揺らがせる。まさに一石二鳥です」
「ふひっ。原案は、信長さまでございませんか。僕はただ、それを形にしたまででございます」
「こういうずる賢い計を実行できるのは、数ある先生の家臣たちの中でも光秀くんだけですよ。織田家の家臣たちは、優しい反面、どこか甘いですからね。秀吉くんも見習ってほしいです」
この2人はもちろん酒も飲んでいる。地方の酒は濁り酒が多いが、京は上品な気質のためか、清酒がもてはやされている。
「ああ、清酒はおいしいことは美味しいですが、やはり、独特の苦みがある濁り酒が飲みたくなりますね」
部屋の戸をコンコンとだれかが叩く。静かに戸が開かれるとそこには、小男と美麗な男が立っていた。
「の、信長さま。秀吉、ここに参上しま、した。あと、竹中半兵衛もつれてきてい、ます」
「んっんー、今宵は晩餐にお招きいただき、ありがとうございます。土産に獅子屋の羊かんを持参してきてます」
「おお、ありがとうございます。さぞかし並んだでしょう。あそこの羊かんは人気ですからね」
信長は竹中半兵衛から羊かんを受け取り、脇に置く。食後のデザートとして、いただくつもりだ。秀吉と竹中半兵衛は明智光秀の横に座り、4人は輪をつくるように数ある料理の前に陣取る。
「うああ、なんだか、おいしそうなものがたくさん並んで、いますね」
「利家くんが、唐辛子を突っ込んだ、白菜の漬物なども取り揃えてますよ。辛さが汗を誘い、暑い夏にはもってこいの逸品となってますね」
「では、少し、い、いただきます」
秀吉は、一口サイズに切られた、白菜の漬物を箸で持ち上げ、口に運ぶ。白菜のみずみずしさにピリリとした辛さが相まって、米のご飯が猛烈に欲しくなる。秀吉は、白菜の漬物を噛みつつ、おひつから茶碗にご飯を大盛によそう。そして、漬物、ご飯、漬物、ご飯、しめにお茶と食を進めていく。
「はははっ、そんなにがっつかなくても、まだまだありますから」
「ふひっ。秀吉殿はいやしんぼうなのでございます」
「あ、暑さと激務で食欲がおちかけていたところを、この白菜の漬物が、胃を刺激して、何杯でもいける、のです!」
秀吉は日々、政務に追われていた。村井貞勝と一緒に、朝廷との調整および、京の法整備などやることはやまほどある。1日中、京中を走り回り、屋敷に帰って来れば、書類との格闘である。心身ともに休まる日はない。
「まあ、今日は、激務で忙しい、光秀くんと秀吉くんのねぎらいを兼ねての、小規模ながらの宴会です。飲んで歌って騒いでくださいね」
「ふひっ。ありがたき幸せでござる。こうして、信長さまから酌をされて飲む酒は格別なのでございます」
「す、すいません。信長さまにお酌をさせて、しまって」
秀吉は恐縮とばかりに、頭を下げる。そんな秀吉をほほえましく思いながら、空いた湯飲みに清酒を注いでいく。
「んっんー。ところで、私が呼ばれた理由はなんでしょうか。特になにかあるというわけでなさそうですが」
「ああ、竹中くん。きみに聞きたいことがあったので、呼ばせていただきました。此度、細川殿と足利義昭の仲を裂く策を光秀くんと行っているのですが、きみから見て、どう思いますか?」
竹中は、今回の離間の計について、秀吉からは説明を受けていた。何故、自分にそんなことを言ってくる必要があるのかと、頭をひねっていたのであるが、なるほど、こういうことかと。
「んっんー。忌憚なく言わせてもらえれば70点と言ったところでしょうか。及第点ではありますが、もうひとひねり欲しいところです」
「70点ですか、竹中くんは辛い採点ですね。竹中くんならどうするといったところでしょうか?」
「大まかなところは、信長さまの実行されたことに間違いはありません。ただ、そこまでで、手を緩めるのが惜しいということです」
「ふひっ。さらに一計を案じろというところでございましょうか」
「はい、そうです。私なら、義昭一派と、細川一派として、派閥の構成を行います。派閥と言うものは性質上、なにか特別な問題がなかろうがお互いに、反発するものです。そこに薪をくべるだけで火は大きくなります」
「ぶ、文官と武官が争うようなもの、でしょうか。でも、そんなにうまくいくものなので、しょうか」
「争いが無くなれば、文官は武官を馬鹿にするのは、いつの時代でも同じです。それをまとめる力がない主君ならば、分裂は必須なのです。足利家でいえば、文官派の和田惟政、武官派の細川藤孝と言えばわかりやすいでしょう」
「ふひっ。細川殿には表から援助を行い、和田惟政には、裏から賄賂をおくる形で力をつけさせ発言力を強めさせるのでございますね」
「さすが明智殿は察しがいいですね。あとはそうですね。細川殿には、予定している土地の管理の権限を強め、そこに縛りつけましょう。そうすれば自然と中央の政治から遠ざかるおえません。そのうちに和田惟政を義昭に接近させましょう」
「ふむ。さすがは今孔明と名高き、竹中くんですね。先生と光秀くんは、すこし近眼的でしたね。細川くんの才を腐らせるには惜しいと思い、一計を案じたわけですが、その計をさらに発展させるとは、恐れ入ります」
「いえいえ。本当なら、私の主たる、秀吉さまに、これくらい思いついてほしいところなのですが、日々の教育が行き届いてないようです」
「え、え。わたしは、まだ足りていません、か」
遠回しに竹中半兵衛から説教を喰らった秀吉の箸の動きは止まる。
「まあまあ、いいじゃないですか。秀吉くんには、まだまだ伸びしろがあります。ただ、やさしすぎるという美点でもあり、欠点がありますからねえ。秀吉くんは」
「ふひっ。秀吉殿は、相手の心情をおもんばかる余り、非情な策を好まれぬ、ご様子。時には心を鬼にし、やらねばならぬ場合もあるのでございます」
秀吉は頭をぽりぽりとかいている。
「というわけで、竹中くんをここに呼んだ理由のもうひとつがありましたが、もうわかっていることでしょう」
「んっんー。主人の秀吉さまに計のなんたるかを叩きこめということでしょうか」
信長は鶏のなんこつ唐揚げを口にほうばり、ぼりぼりとそれを噛む。中から出てくる肉汁を口の中で堪能したあと、清酒を流し込み、胃の中へ押し出す。
「秀吉くんは、言わば清酒なのです。清廉潔白で仕えてもらっている先生としても、申し分ありません。しかし、それだけでは困るのです。あなたは、自分で自分の能力に蓋をしています」
「信長さま。酒の席です。あまり無体なことを申されましても、主が困惑してしまいます」
「い、いえ。いいのです、半兵衛殿。わたし自身も気付いていたこと、です。わたしのやさしさは、ここ、京では何の役にも立ちま、せん。ただただ、朝廷に、義昭さまに振り回されている現状なの、です。わたしは、ここで生まれ変わらなければ、いけま、せん!」
「秀吉くん。人間は飴だけではダメです。今までは、仲間内のことだけ考えていれば良かったかも知れませんが、あなたの才を考えるに、織田家内でとどまることは許されません」
「ふひっ。秀吉殿がひと皮むけるための仕事なのでございますね。ここ、京で、貞勝殿と一緒に仕事させているのは」
「官僚とは、ある意味、むごい仕事です。行政を円滑に回すため、不必要なものは容赦なく斬り捨てる。その非情さは、武断派のそれを時には超えます。武断派は戦場で命を取りますが、日常生活で命を取ることはしません」
信長は、山芋をすったものを麦飯にどろっとかけ、しょうゆをどばっとぶっかけ、小ぶりの玉子を混ぜて豪快にかき混ぜる。そのかき混ぜたものを口にガツガツと放り込む。山芋は精力増強として喜ばれる食べ物だ。夏場の暑い時期なんかには重宝される。
「秀吉くん。朝廷なぞ、義昭なぞ、ひと飲みにたいらげなさい。先生たちは、あいつらの小間使いではありません。あいつらの主人は、先生たちのなのです。そこを間違わないようにしてください」
「ふひっ。でも、感づかれてはいけないのでございます。良い夢を見せてあげるのでございます。でも、見せるのは夢まででございます」
竹中は思う。この優しい主に急に変われとは酷な話であると。だがしかし
「秀吉さま。私からもお願いです。非情になれとは言いません。ですが、利用されるだけで終わってはいけません。今の世は乱世、そしてここは京の都。あなたの才を潰される場所ではありません」
「信長さま、光秀殿、そして半兵衛殿。助言、ありがとうござい、ます。足りぬものが多い身ですが、これからもよろしくお願い、します!」
秀吉の目には炎が宿っている。固い意思を持った目だ。その表情を見る竹中は、さびしさが胸に去来する。
信長は皆の湯飲みになみなみと酒を注ぐ。そして、高々と湯飲みを掲げ宣言する。
「京の都は終着地点ではありません。ここが始まりの地なのです。3人とも心しなさい」
「ふひっ」
「はい!」
「んっんー」
4人は、湯飲みをカチンと打ち付け合う。そして、ぐいっとそれを一気に飲み干すのであった。