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ー昇竜の章12- 織田ルール

 細川藤孝ほそかわふじたかは織田家をそこらの大名と同じに見ていた。しかし、実際には信長には先祖代々からの家臣がほぼいない。それがどんなに危険なことか、この男、わかっているのか。


「新参者などなんら忠臣たる保障などないのでござる。それなのに、信長殿。なぜ、あなたは枕を高くし、眠っていられるのでござるか。なにゆえ、笑って日々を過ごしていられるのでござろうか」


「んん、なんででしょうね。先生は自分の家臣たちが裏切るとは思っていません。信用してますからね」


何を言っているのだ、この男は。


「西は毛利元就という男が、主家の大内を裏切り、権勢を思いのままにし、畿内では松永久秀まつながひさひでという将軍殺しがいる。詳しく調べれば、もっと、このような類の話など、ごろごろ出てくるであろう。それでも、あなたは、新参者を信用できると言うのでござるか」


 細川藤孝ほそかわふじたかは、信長にすごい勢いで噛みつく。だが、信長はどこふく風とばかりに、書類に判を押す手を休めない。


利家としいえくん。きみは先生のこと、裏切りますか?」


「んん。信長さまは俺のこと、信じてくれてるッス。信じてもらえてる以上は裏切ることはしないッス」


「あなたたちは信用だけで、ここまでの固い絆を結ばれているというのでござるか」


「そりゃあ、信長さまの家臣のなかには、損得勘定で従っているものもいるッス。俺だって無給で働けって言われたら嫌だって応えるッスけど、そう言うことじゃないッス。心底、信じてもらえるってのは嬉しいことなんッスよ」


 利家としいえはそういうと、屈託のない笑顔を細川藤孝ほそかわふじたかに向ける。いやはや、こんな地獄のような時代に何を甘いことを言ってるのだろうか、この人たちは。


「わ、わたしも信長さまに認めてもらえることが心底、嬉しいん、です。確かに最初は、お給金目当てで信長さまに一兵卒から仕えさせてもらったのですが」


「し、失礼。秀吉殿、今、なんと」


「は、はい?ですから、お給金目当てで、一兵卒から仕えさせてもらってます」


細川藤孝ほそかわふじたかは信長を凝視する。


「の、信長殿。もしかして、この上洛で用いた兵たちの一兵卒から上のものにまで、全員、給料を払っているのですか!?」


 細川藤孝ほそかわふじたかは信長の経済力に驚きを隠せない。一兵卒なぞ、家族を人質にとり、徴兵して、ただ働きをさせるのが普通だ。その一兵卒ごときに給料を払うなぞ、気が狂っているとしか思えない。


「はい。毎月、必ず支払っています。今まで給料の遅滞がないのが織田家うちの自慢です」


「いやいや、そういう問題ではないでござろう。全国の大名で、下級兵士に給料を払うなど前代未聞でござる。何を考えているでござるか!」


 信長は頭にハテナマークを浮かべる。そんな彼の無垢な表情とは対象的に、細川は自分の眉間に青筋が立っていくのがわかる。


「下級兵士に払う金があるなら、もっと(いくさ)自体に金をかければよかろう。そうすれば、今度の上洛戦だって、もっと早くに始末がついていたはずでござろうに」


 信長は書類に判を押すのを一旦やめ、身体を細川を正面に向き直す。そして口を開き


「細川殿。きみは先生たちと意見の相違とかではなく、根本的に考え方が違うのですよ」


 細川は、がるると吼えだし噛みつきそうな目をしている。だが、信長は涼し気な表情で続ける。


「応仁の乱より戦国の世が始まりました。しかし、そろそろ終焉に向かってもらわないと困ります」


「そんなことは、私はもとより、義昭(よしあき)さも、そう思われて行動しておられる。そなたに言われるまでもないわ」


 細川は吐き捨てるようにいう。しかし、信長の表情は変わらず涼し気である。


「では、そんな細川殿に質問です。この乱世はどのようにしたら終わると思いますか?」


義昭(よしあき)さまが将軍になり、全国の大名どもが義昭(よしあき)さまの号令のもと、1つにまとまれば終わるでござる」


「ぶっぶう。不正解です」


 細川はぐぬぬと唸る。


「では、何をもって正解とするのか。信長殿は、この乱世をどのように終わらせるのか!」


 その怒りの表情を見ながら、信長はやれやれと思う。この人は頑なです。自分の信じたものを疑うのを良しとしないのでしょう。


前田利家まえだとしいえくん。きみは乱世を終わらせるための答えがわかりますか?」


「簡単ッス。民が安全に、そして笑って暮らせる世を作ればいいんッス。こんなの織田家の誰でもすぐ答えられるッス」


「私の言うことと、利家としいえ殿が言ってることは何が違うというのでござる。天下に号令し、いくさを終わらせれば、民も安寧に暮らせるであろうに」


 細川は全く納得しない。自分が言うことと、織田家のものが言うことの違いがわからない。


「細川さま。いいッスか。いくさをしようとしまいが、今の世の中は乱れに乱れてるッスよ。それに、誰が将軍になろうが、民の苦しみは救えないッス」


「不遜であるぞ、利家としいえ殿。それは、私の主君、義昭よしあきさまを愚弄しておるのか!」


「愚弄する気はないッス。全国津々浦々を旅してるわけじゃないッスけど、言えることがあるッス」


「それはなんでござるか」


「民のための政治をし、民のためにいくさを行うのは、全国広しといえども、信長さまだけッス。ほかの大名家とは、そこが根本的に違うッス」


「民、民、たみ。民がなんだというのだ。民がこの乱世でなにかを成し遂げてくれるというのか。それほど民が大事なのか、きさまらは!」


 信長は湯飲みの茶を飲む。そして、秀吉におかわりを頼む。秀吉はやかんを手に取り、信長の湯飲みに注いでいく。


「細川殿。まずは熱くなった頭を冷やしてください。それでは、先生たちの話が頭にはいってきませんよ」


 細川は、自分の湯飲みをつかみ、浴びるように一気に飲み干す。そして、ずいっと秀吉のほうに湯飲みを突き出し、おかわりを要求する。それを2度繰り返し、深呼吸を繰り返す。



「すまない。みっともないところを見せてしまったでござる。義昭よしあきさまを馬鹿にされてるのかと思い、激昂してしまった」


「うっほん。熱くなるのはこのうだるような暑さも一因なのじゃ。それよりも、信長さま。順序を追って説明しないと、織田家うちのことは理解できないのじゃ。説明が下手なのじゃ」


「そうはいわれましてもねえ。ねえ、秀吉くん」


「え、え。いきなり振られましても、こ、困ります」


 秀吉はいきなり名前を呼ばれ、困惑気味だ。それはそうだ。次に何を言われるのか秀吉は落ち着きなくそわそわとする。


「秀吉くんは織田家の中でも、特に庶民の代表みたいなものですよね」


「は、はい。農家で産まれ、それでは喰っていけないので、針を売ったりの行商をし、他家で足軽をしたこともあり、ました。でも、そこでは食っていけず、織田家に仕えたの、です」


「きみは他の家や領土に行ったことがあるので聞きますが、織田家うちと他の地では何がちがいました?」


「ほ、ほかの地では、そもそも、商売すらままなりません。関所で関賎をとられて、まともに道を歩くことすらできません」


「秀吉殿の話と、この乱世になにが関係するというのでござる?」


 少し頭が冷えたのか、口調も穏やかに、細川が尋ねてくる。


「え、えとですね。信長さまの治める土地にはそもそも関所がないの、です。だから、道を歩くのにお金がかからないの、です」


「まってくれ。信長どのの領地には関所がないでござるのか?大事な収入源であろうに、もったいない。信長殿の常識外れっぷりはそんなとこでも健在なのか」


「で、でも、それゆえ、商品に輸送コストを混ぜなくていいので、商品の値があがり、ません。安く品物が買えれば、人々は喜びます。本当は、だれも関所でお金なんか払いたくないの、です」


「い、いやしかし。関所は、大名だけでなく、寺院の連中も置いてあるだろ。それらはどうしたのだ。ま、まさか」


「はい、ご想像通りです。ぶっ壊して差し上げてますよ。道にあんなものおかれたら、邪魔でしょうがないじゃないですか」


「そんなことしたら、寺院が僧兵をかりだして、一揆をおこすであろうに」


「大丈夫ですよ。信長、たき火が大好き。たき火、よく燃える。寺院も同じと吹聴すれば、大体、おさまりますよ。たまに本当に丸焼きしちゃうとこがコツです」


 細川は開いた口が塞がらない。寺院を焼くなんて、この男は神仏を信じていないのかとさえ思う。細川の目は異質なものを見る目である。


「寺院や神社のみなさんが信仰を広げることに関して、なにか圧力をかけているわけではありません。ですから、そこを間違えなければ、大きな反発は招きませんよ」


 ただしと信長は前置きし


「兵をもって、政治に口出しをしてくるのはアウトです。論外です。だから丸焼きにします」


「ひとつふたつ、寺院を丸焼きにしたら、連中、大人しくなったッスね。自前の領土もってるとこもあるんだし、欲なんかかくなっていうんッスよ」


 日本の寺院は大昔の荘園制度のおかげで、独自の領土をもっているところもある。それに輪をかけて、勝手に関所を設け、関賎を取っていたのだ。信長の怒りを買うには十分である。


「よっぽどの落ち度がない限り、寺院の規模に合わせて、治めていい領土は織田家うちでも認めています。やりすぎはだめなんですよ。民を苦しめるようになっては、本末転倒です。神仏とは、ひとを救うのが本来の役目でしょうに」


「理屈はわかったのでござる。だが、そんな信長殿の理屈が通らぬが京でござる。ここには比叡山を筆頭に、奈良は東大寺と由緒正しき寺院、神社が多い。それらの関所はどういたすでござる」


 信長は民のためという。だが、この魑魅魍魎ちみもうりょう跳梁跋扈ちょうりょうばっこする、この畿内において、同じことができるのか。どうだ、信長、きさまにできるのか。


 信長はふむと息をつく。


村井貞勝むらいさだかつくん。手続きのほうは進んでいるのですか?」


 手続き?手続きとはなんの話をしている?


「書状はすでに近江の地にいるときに送っておるのじゃ。返事はちらほらと返ってきておるのじゃが、さすが4万の軍勢効果はすごいのじゃ」


「失礼。なんの話をしているのでござるか」


「ん?神社仏閣の関所の話なのじゃな。領土の検地実施を行う旨と、関所を撤廃するようにとの書状をすでに畿内中の寺に送っておるのじゃ」


「な、なにをしているのでござるか。義昭よしあきさまが将軍に就くかつかぬかのこの時期に!」


「なにをと申されましてもじゃ。関所撤廃と検地は織田家うちのルールなのじゃ。織田家うちの支配地となった以上、公平に進めるのが当たり前なのじゃ。民は公平さを一番尊ぶのじゃ。あなたさまも政治に詳しいのなら、これくらいわかっておられるであろうのじゃ」


 時すでに遅し。比叡山への要求はすでに行われていた。青天の霹靂へきれきの報せは、細川藤孝ほそかわふじたかに泡を吹かせるに十分な威力を発揮したのである。

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