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ー昇竜の章11- 獅子屋の羊かん

 織田信長の軍による京の町での行軍が行われてから早三日が経とうとしていた。元々、将軍の住まいであった、二条御所は、松永久秀まつながひさひで足利義輝あしかがよしてる殺戮の事件の折に、火を放たれ、いまはただの焼け野原となっている。そのため、足利義昭あしかがよしあきは仮の住まいとして、本圀寺ほんこくじに詰めていた。


 季節は7月に入り、暑い夏、まっさかりである。京の都の夏は暑い。盆地地帯であり、湿気が逃げる場所なく蒸し暑さが増すからである。


「暑いッス、信長さま、なんとかしてほしいッス」


「そうですね。鴨川にでも泳ぎにいきましょうか」


 本圀寺ほんこくじにほど近い、屋敷にて信長とその家臣たちがいろいろと政務を行うために詰めていた。


「ごほんごほん。信長殿、政務が残っているでござろう。逃げようとしてはいけないでござるよ」


 細川藤孝ほそかわふじたかは、わざとらしい咳をする。暑いのは自分も同じである。だが、山積みとなった書類の束があり、今ここで逃げ出したところで何も変わらない。


「そうなのじゃ。暑いのはみんないっしょなのじゃ。信長さまもしっかり働くのじゃ」


 そう抗議するのは、村井貞勝むらいさだかつである。京へ上がる事前の会合で、村井貞勝むらいさだかつは、京都所司代へ就けるとの話をしていた。それを為すためにも色々とした手続きが必要となってくる。


「京とはめんどくさいところですね。尾張おわりや岐阜なら、先生の鶴の一言でその場で即決で役職など決まるものでしたのに」


「うっほん。わたしだって、色々とそこらじゅうに挨拶回りしておるのじゃ。信長さまは、ここに籠っておられる分、まだましなのじゃ」


 貞勝さだかつの言う通りであった。信長が書類に目を通し、判を押していく。それを四方八方に持っていき、お伺いをたてなければならない実行役の貞勝さだかつの苦労といったら、どれほどのものか。


「ああ、暑い。本当に暑いのじゃ。信長さま、わたしも鴨川に行っていいですかなのじゃ」


 それでも暑いものは暑いのだろう。貞勝さだかつは前言撤回して、泳ぎに行く方に一票を投じる。


「村井殿まで何を言い出すのでござるか。ええい、この怠けものどもを誰か叱ってくれぬか」


「の、信長さま。井戸から汲みたての水を使い、お茶を入れて、みました。これで涼をとって、ください」


「ああ、秀吉くん。ありがとうございます」


 信長は秀吉から湯のみを受け取り、ずずいとその中に入ったお茶を飲む。


「むむ、これは美味い茶ですね。高かったでしょう、これ」


「玉露というものらしい、です。利休殿に聞いたら、夏はこのお茶がいいと言って、ました。お口に合うようでなにより、です」


 信長が大層、うまそうに飲んでくれるので、値は張ったが良いものを買ったと秀吉は思う。


「おかわりをください。あとお茶うけなんかあると最高ですね」


 ひでよしは待ってましたとばかりに、別のお盆から菓子をだす。それは見慣れぬ黒い長方形の物体であった。


「これは何ですか。なんだか泥水が固まったような感じに見えるんですが」


「よ、羊かんというお菓子らしいです。いま、切り分けますんで、ちょっと待ってくだ、さい」


 秀吉は小型の包丁を取り出し、丁寧に羊かんと呼んだものを切り分けていく。切り分けるごとにそれがぷるんぷるんと動き、見た目も面白い。秀吉は羊かん一本を5人分に切り分け、小皿に載せて、みなに渡していく。


 信長は渡された羊かんを爪楊枝でおそるおそる突き刺す。表面は弾力がありしなやかな感じだが、さて匂いはどうだろう。一切れ持ち上げ、鼻で匂いを嗅ぐ。


「あまり匂いはしないんですね、これ。味のほうはどうなんでしょうか」


 信長はそのくろい物体を口に入れる。するとみずみずしさと、ぷるぷるとした触感がハーモニーを奏で、そこにハチミツとはまたちがった独特な甘みを感じ取る。信長は羊かんを口の中で丁寧にかみ砕き、お茶をひと口すする。


「んん!んん。んんん、んん」


 さらにもうひと口、お茶を口に含み、胃に羊かんを流し込む。


「いやあ、これは驚きましたね。こんなにお茶にあうお菓子があるとは思いませんでした。京もなかなか捨てたものではありませんね」


 信長がうまそうに食べるので、皆も羊かんを口に運ぶ。


「うっほん。信長さまが唸るのもわかりますのじゃ。これは夏にはもってこいなのじゃ」


「秀吉、うまいッス!松にも食べさせたいから、余りはないッスか?」


「あ、あいにく、夏場の人気商品らしく、わたしもそれと知らずに出向いたもので、ここにある分しか買えず」


「ううむ。これは噂に聞く、獅子屋の羊かんでござるか。私も長年、京にいましたが、いつも売り切れで食べるのは今日が初めてでござる」


「細川殿ほどのひとなら買占めをすればいいんじゃないでしょうか?」


「それが、店主がこれまた強情もので、だれにでも平等に売るとかなんとかで、贔屓販売などは一切していないのでござるよ。ほしければ店頭に並べと一点張りでござる」


「商売下手というかなんとういうか。これほどの味なら、(みかど)も黙ってはいないでしょうに。先生の専属の菓子職人として雇いたいくらいですよ」


 秀吉くんと信長は言いかけて辞めた。秀吉の腕なら、この菓子職人を連れてくることは可能であろう。だが、店主には店主の生き方がある。それを金で曲げるようなら、自分の腕を叩き折る類の人物だろう。


「残念ですが、そっとしておきましょうか。秀吉くん。お店にまた出向いて、買ってみてください。店主にはくれぐれも無理を言わないようにお願いしますね」


 秀吉も信長の気持ちを察したのか、こくりと頷くだけで何も言わず、ただお茶のおかわりを信長に勧めるのであった。



 お茶と羊かんを味わい、ひと時の休憩後、再び、信長たちは書類との格闘を始めるのであった。ここである一人が疑問を投げかけてくる。


「あれ、そういれば、俺、なんで政務を手伝ってるッスか?京都での仕事は、猿と光秀と、貞勝さだかつさまの役目じゃなかったッスか?」


「光秀くんは朝倉で義昭よしあきさまと知り合った縁で、なにかとお気に入りみたいですよ」


「ああ、それは光秀も災難すね。あいつは苦労を背負わされそうな顔してるっすもんね」


「表面上の人当たりは抜群にいいですからね、彼。秀吉くんは人たらしの才能に長けていますが、光秀くんは場の空気の調整役といいますかね」


「ああ、なんとなくわかるッス。仲間内にはひとりは欲しい空気清浄役っすね。光秀はピュアッスからねえ。でも、汚れた空気を吸い続けて、本人、しまいには真っ黒になりそうッス」


 ごほんごほんと細川藤孝ほそかわふじたかは、わざとらしい咳払いをする。


「ああ、なんだか、義昭よしあきさまが遠回りに真っ黒と言われているような気もするでござるが、聞かなかったことにするでござる」


「黒くても先ほどみたいな羊かんのような、うま味があればいいんッスけどねえ」


「これこれ、利家としいえ義昭よしあきさまの一番の忠臣が居る前で、あんまり無体なことは言ってはいけませんよ」


 前田利家まえだとしいえは、はあいと信長の言に渋々、了承する


「それにしても不思議なんッスけど、なんで細川さまは、あんなのに仕えているんッスか。細川殿の器量ならどこの大名家からも引っ張りだこッスよね」


 あ、あんなの呼ばれとは聞き捨てならないとは思いつつも、細川自身も強く否定できないのがつらいところだ。


「ごほんごほん。それはだな。家臣というものは二心を抱かぬものであるでござるよ。一見、頼りなく見えるが、主君は主君。男というものは一度、主君と仰いだものには忠誠を尽くすものでござる」


 胡散臭いものを見る目で利家としいえは視線を細川に送る。むむっと細川はたじろぎながらも、言葉を続ける。


利家としいえ殿は、もし信長殿が暗愚な主君だとした場合、そなたの忠心はどうなると思うでござるか」


「んん。信長さまがダメ人間だとしたらッスか。ううん」


 その悩む姿を見ながら細川は


「信長殿がダメな主君であろうが、そなたの心はゆらがぬであろう?」


「いや、信長さまが真にダメ人間だったら、仕えてないッスね」


 あ、あれと細川は肩透かしを食らう。


「ええとだな。そなたの信長さまへのなつきぶりから見て、そうは思えないでござるが」


 細川が見てきてる分には、信長の周りにはいつもこの男、前田利家まえだとしいえがいる。忠臣というものを超えた関係だということも想像に難くない。だが、利家としいえはそうではないと応えるのである。


「そもそもの前提が間違っているんッスよ、細川さまは」


 利家としいえがいつものおちゃらけた雰囲気から一転して、非常にまじめな顔つきをしている。


「信長さまがダメ主君だった場合、俺は、仕える仕えないうんぬんではなくて、この場にたぶんいないと思うッス」


 どういうことだろうと細川は思う。


「俺だけじゃないッス。信長さまがダメな主君だったら、織田家の主要メンバーはほぼ全員、信長さまの元にはいないと思うッス」


 だってと利家としいえは続ける。


「信長さまが信長さまじゃなかったら、俺みたいな主家筋でもない4男が、この場にいるわけがないッスもん」


「え。利家としいえ殿は、織田家に代々仕える家筋の長男ではないのでござるか?」


「違うッスよ。信長さまの家に代々仕えてきた家筋のひとは、ほぼ皆無ッス。秀吉なんか、元農民ッスからね。今は城主ッスけど」


 ええええと、細川は声をあげ、目を白黒させる。口をぱくぱくさせながら、何か言おうとする細川に信長は伝える。


「確かに、織田家うちには先祖代々仕えてる家臣のほうが圧倒的に少ないですよ。多分、こんな大名家、全国探しても居ないですね。先生が家督ついだころなんて、自分の足で、家臣になってくれるひとを探してたくらいですし」


「う、嘘でござろう。そんな、いくら、元から大名家ではなかっと言えども」


「ほ、本当ですよ。わ、わたしも町で信長さまに出会って、その場で相撲を取らされて、そこで採用されました、から」


「わたしも似たようなものですじゃ。ちょっと数字に強い程度の噂をどこかしらから聞いてきたのか、他家に仕えるのはもったいないとか言い出して、首に縄をかけられ、引っ張って連れてこられたのじゃ」


「思い出しました。貞勝さだかつくん。たしか、首がしまるのじゃ。言うことを聞くから縄を外すのじゃって、わめいていましたね」


 信長は思いだし笑いをしている。対して村井貞勝むらいさだかつは怒り顔である。


「比喩表現ではなくて、本当に首に縄をかけてどうするつもりだったのじゃ!」


「ひ、非常識にもほどがあるでござる。なぜ、そんなどこぞの馬の骨ともわからぬ者たちを採用するのでござるか。命の危険すらあったでござろうに」


 細川は自分にもよくわからないが、声に怒気をはらませる。なぜ、私は他家の事情でこんなに心をかき乱されているのだ。そう、心の中で問いかけるが、その時はまだ答えが自分では浮かばない、細川であった。

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