ー昇竜の章 8- 松永と信長
各々がそれぞれの飲み方で茶の湯を楽しんでいた。あるものは甘味がたりないと、はちみつを混ぜ、あるものはプロティンが足りぬと混ぜ始める。そんなカオスな茶会に、眉間に青筋を立てるは主催者・松永久秀であった。
「ふ、ふはは。皆さん、茶の湯を楽しんでいただけているようで、わしゃとしてもうれしい限りでござる」
信長は茶室には似つかわしい刀を手にしながら、まじまじとそれを見る。
「しかし、戦の混乱のなか、よくもまあ、童子切安綱を確保できましたねえ。あなた二条にも攻め込んだんでしょ。普通、分捕りされてもおかしくないものなんですが」
足利義輝が居た二条の寺のことである。松永久秀はそこを急襲し、義輝の首級を取ったのだった。
「随分、昔のことを蒸し返してくれるでござるな」
松永を嫌い、足利義昭一派は、この茶会には参加していない。それにしてもだ。いくら、織田家臣とその奥方連中しかいないと言っても、話のネタについては場をわきまえてほしい。
「興味があるのですよ、あなたには。色々と逸話があるそうじゃないですか」
真実が混ざったものから根も葉もない噂話といろいろと松永にはある。だが
「信長さまには勝てませんよ。逸話というのでならばでござる」
信長はふふっと笑い、松永に続きを促す。
「義昭さまには内緒でござるぞ」
松永が他言無用と念を押す。吹聴されて、せっかくまとまった話をご破算にされてはたまったものではないからだ。
「当時、足利義晴が死に、その息子、足利義輝が第13代将軍として就任されたが、将軍の後見争いで勢力を育ててきた三好長慶が、義輝を傀儡としようとしたでござる」
松永は目をつむり、当時の情景を思い出そうと努める。
「わしゃ、長慶さまの命じられるままに戦い、三好家の中枢で己の権力を高めていったでござる。しかし、傀儡政権も樹立するといったことろで、長慶さまは逝ってしまわれた」
ふむふむと信長が頷きながら話を聞く。
「長慶さまがいなくなったことを良いことに、義輝は幕府に、己に権勢を取り戻そうと躍起になりおった。だが、元から足利の幕府にそのようなものはなかったのは信長殿も承知でござろう」
「そうですね。ずっと昔から、足利の幕府は傀儡化されてきてましたからね」
「そうでござる。今更なのだ。周囲の反発も聞かず、義輝は権威だけを振りかざし、情勢を不安定にさせてきた。そこで、わしゃに白羽の矢が立ったのでござる」
「あなたの将軍殺しは、世の望みであったと言いたいのでしょうかね」
「ふはは、まさにそのとおりでござる。世の流れもわからぬものに将軍職など全うできようはずがない。だれも将軍家の復興など望んでおらぬよ」
「ガハハッ。これはとんだ悪党なのでもうす。だが、悪党は織田家もいっしょになるのであろうか」
柴田勝家が豪快に笑う。織田家も足利義昭を奉戴しているが、彼に権力をもたらすのが目的ではないのは確かだ。
「同じ悪党同士、わしゃは、信長さまに魅かれもうした。信長さまは義昭をどうなさるおつもりなのでござるか?」
「先生も三好家と変わらず、傀儡化を目指しているといったら、久秀くん、あなたはどう思いますか?」
「結構、結構。ようござらぬか。他人の力をあてにせねば立ち行かぬ輩に、この戦国の世を渡っていけるわけがなかろうでござる」
ふむと信長は息をつく。本当の目的をこの松永久秀は知ったら、どう思うのでしょうか。実のところ、織田信長は、義昭を傀儡化したあと、その権威を利用するだけ利用し、用済みとならば、足利の幕府をこの世から消す予定だ。
「義昭を傀儡化し、甘い汁を存分に吸ってくだされ。だれもそれを咎めるものはございませんでしょう」
「だといいんですがね。義昭を傀儡化したいものは、他にもいるでしょう。特に一時は身を寄せていた朝倉殿などは」
「ふはは。義昭を擁しながら、なにも行動できなかった男に、今更、なにができましょうぞ。京に信長さまが上った後となれば、なにも口出しできますまい」
理屈ではそうだ。だが人間は感情の生き物だ。現に六角家を滅ぼした今となっても、朝倉と伊勢の北畠からは何の接触もない。
「世の中、利や理屈通りに事が進めば楽なことはないのでしょうね」
信長は茶のおかわりを松永に促す。松永は茶碗を受け取り、お湯で軽く洗い、再び茶をたてる。茶筅でかき混ぜているところに信長が質問をする。
「久秀くんは、わたしに何をしてほしいと望むのですか?」
ぴくりと茶を泡立てていた動きが止まる。そして手を再び動かしつつ、口を開く。
「信長さまに望むは、将軍より管領の地位をもらい、その汁の旨みを家臣たちにも共有してもらうことでござる」
「先生が、甘い汁を欲しがっていないとしたらどうしますか?」
「ふはは、冗談がうまいですな。己に利するものがないのに、何故、あんな男を将軍につける必要がござろうか」
「それもそうですね。利益があるからこそ、将軍に就けるために先生たちはがんばっていますもんね」
「せっかく、腹を割って話しているのでござる。この場は忠臣面をしなくてもいいではないですか」
松永はほくそ笑んでいる。そして、たてた茶を信長に渡す。その茶をずずっとひと口飲み
「ううん。美味い。義昭さまを将軍に就け、平和な世になったら、久秀くんには利休くんともども、わたしの専属茶人としましょうか」
「ふはは。日長、1日、茶室に籠る晩生も悪くないかもしれぬでござるな」
だが、松永にも信長にもわかっていることは一つある。
「まあ、あのひとを将軍につけたところで、戦国乱世が終わるわけがないんですがね」
「それを言ってはおしまいでござる。足利の血筋にそんな気概あるものがおれば、応仁の乱自体がおきなかったでござろう」
その後も、他の家臣たちを交え、茶会は続くのであった。
そんな楽しいひと時に、水を差すように、急ぎの伝令がやってきたのだった。その無粋に茶会の主、松永は鼻白むが、信長の様子から察するに重大事項であったのだろう。
「なにかいい報せでございましたかな。なにやら嬉しいご様子」
「やっと待っていた報せがやってきました。帝からの言葉です」
松永は帝と聞き、ぎょっとする。まさか、信長が待っていたものとはこのことかと。京を目前として、その軍を進めず、近江に駐留していた理由を信長の一言で察した。
「帝直々の言葉です。軍を率い、都に跋扈する三好家を駆逐せよとのお達しです」
「おお、ついに来たのか。やきもきさせられたぜ」
佐久間信盛が横になっていた身を起こし、信長に喰いつくように、書状を見る。
「なになに、京の都にて乱暴狼藉を働かぬようにか。心配しなくても、織田の軍はそんなことするようなやつはいねえよ。居たとしたら、速攻、とっちめてやるわ」
「のぶもりもり、その辺のことは任せますよ。さて、休憩時間は終わりとなりましたね」
「休憩っていっても、ほとんど休んじゃいねえけどな。毎日の調練はやってきてるわけだし」
「ふはは。では、この松永も一緒に動きましょう。わしゃは奈良のほうで三好三人衆の影響をとりのぞきます」
「任せましたよ、久秀くん。朗報をお待ちしております」
「わしゃが京に同じくして出入りしては、義昭の機嫌が悪くなるでござろう。遅れて参上するでござる」
「気苦労かけますね。仲良くしろとは言いませんが、表立っていがみ合うのはよしてください。体裁といものがありますから」
信長はやんわりと松永に注意を促す。将軍就任を前に、血なまぐさい事件を起こされては堪ったものではないからだ。
「さて、皆さん、起き上がってください。これから、京にて三好三人衆との決戦です。皆の奮闘に期待していますよ」
「そういえば、京一番乗りはだれが務めるッスか。前の話だと、勲功一番がって話だったッスけど」
「そういわれりゃそうだったな。すっかり忘れてたわ。利家、お前、一番乗りやる?」
「んん。勲功一番かと言われれば、そうでもないッスからねえ。佐々はどうッスか」
「ん…。自分も返答しかねるかな。勝家さまに随分、助けられたし」
河尻秀隆の軍は負傷者も多いということで、南近江で留守番が決まっている。
「ガハハッ、では、我輩が一番乗りといこうでもうす。異存はござらぬな」
「まあ、無難に織田家、豪勇第一の勝家殿が先頭のほうが良いだろうな」
半ばなし崩し的に、柴田勝家が先頭で京に入ることが決まったのであった。
茶会から明けて、次の日に織田軍は、近江に5千の兵を残し、3万5千で京へ向かうのであった。京の手前、大津に三好三人衆は1万5千の兵で待ち伏せしていた。
信長軍は、秀吉と光秀に兵4000を与え、その軍を南下させ、伏見のほうから京をのぞみ、大坂からの増援を絶つ形とする。残りの約3万の兵をそのまま、大津に向かわせ、一大決戦を行う構えであった。
三好三人衆は、大津から京へ通じる道をふさぐ格好で布陣したはいいが、京周辺は山はあることはあるが、低地であり、押し込まれればそのまま、京の盆地へと押し込まれ、一方的な戦いとなってしまう。
「相手はこちらの半分です。押せば簡単に決着は着くでしょう。ですが、下手に瓦解させて、京に被害を与えるような戦運びをするわけにはいけません」
織田の軍としても、京を戦火にまきこまないようにと帝から要請を受けており、信長は信長として、むずかしい采配を要求されていた。
「よおし、そういう難しい戦は、俺の出番だな」
退き佐久間こと、佐久間信盛が声を上げたのであった。彼ならば、のらりくらりと敵の勢いを殺し、望んだ戦果を出してくれることであろう。信長はそう思い、信盛に命令を出す。
「のぶもりもり、先鋒を任せます。やることはわかっていますね。頼みましたよ」
おうと信盛は返事をし、陣幕から外へ出ていく。信長が京へ入るまで秒読み段階へと来ていたのだった。




