ー昇竜の章 7- 松永と利休
松永久秀主催の茶会は信長との面会から二日後に実現された。場所は観音寺城ふもとのとある寺で行われた。近江の地、天智天皇にゆかりがある三井寺である。天下の名物の数々を一目見ようと、織田家の諸将ならびに、奥方連中、さらには千利休が客として呼ばれたのだった。
「茶人として、松永さまに呼ばれるのは名誉なことでっしゃろ。九十九髭茄子だけではなく、いろいろな茶器をお持ちなのは同志としてうらやましいでんがな」
松永久秀は武将としてだけでなく、茶人としても名が高く、彼のコレクションは茶人の間でも羨望の的だ。それを見たさに利休は参加したといっても過言ではない。
「利休殿にそう言われては照れるでござる。しかし、わしゃ、ただの数奇ものでござる。いろいろ手を出しているうちに、このようになってしまっただけでござる」
それにと松永久秀は言う
「九十九髭茄子は、すでに信長さまのもの。それを使い、今日は茶をたてようかと思うでござる」
「やはり茶器はつかってこそでまんがな。昨今は観賞用に茶器を集める方が多くなってきて、悲しゅうなってくるでんな」
「形あるものはいつか壊れるものでござる。それまでにたくさん使ってやることが、茶器も喜ぶでござろう」
同じ一流の茶人同士、気があうのだろう。くったくなく、松永と利休は笑いあう。
囲炉裏がある8畳の間で茶会は開かれる。参加者は各々、楽な姿勢を取り、松永が茶をたてるのを待っている。茶釜の湯はごぼごぼと沸きたち、お湯独特の匂いが部屋の中に広まっていく。
とある名のあるであろう、九十九髭茄子の茶入の蓋を開けると、抹茶の匂いが漂う。
「これは匂いだけでわかります。いい茶の葉を用いていますね。どこのものですか?」
「これは京より南、宇治でとれる茶葉でござる。宇治の気候は茶葉生産には優れているのですが、どうにも京は戦乱が多くて、なかなか量が取れぬでござる」
「戦になれば、畑は荒らされますからねえ。茶畑も例外ではないのですか」
「金になりそうなものはすべて略奪の対象でございますからな。世知辛い世の中でござる」
「宇治の茶葉といえば、最近では堺でもなかなか手に入らないでんがな。さすがはそのあたりを支配地域になされてるだけありまんがな。松永さまは」
松永久秀の支配地域は、大坂の摂津、京の宇治周辺、奈良の半分と広範囲にわたっている。だが、その地は三好家から与えられたものであり、三好三人衆と敵対している今、その地を三好家に返せと迫られている。その争いで東大寺に松永が火を放ったのは有名な話だ。
「わしゃが支配していた土地はすべて、いまや、織田家、しいては信長さまのものでござる。わしゃに残っているのは信貴山城と名物の数々だけでござる」
「はははっ。久秀くんは太っ腹なため、領土を献上してくれたのですよ。おかげで先生は、三好家と思いっきり隣接することになりました」
信長は嫌味を半分まぜて、笑いながら言う。
「わしゃの命の恩人の信長さまに領土を献上するのは当たり前でござろう。三好三人衆を恐れるとは、信長さまらしくありませんぞ」
信長と松永の応酬に、織田家の諸将は笑いを誘われる。特に裏の事情に詳しくない信長の奥方連中は無責任にくすくすとおかしそうに笑っていた。
「吉乃。そんなにおかしいですか?」
信長は妾の吉野に問いかける。
「はい。まるで悪いことをしている童のようです。お二人とも」
「言いえて妙でおまんな。その例えは。信長さまの奥方さまはさすが、お知恵が回ると見えるでんがな」
「利休くん。もってまわったようなお世辞はやめてください。吉乃が調子に乗ってしまいます」
「ふはは。4万もの兵に号令する信長さまも、奥方さまには頭はあがりませんか。どこの家でも似たようなものですかな」
松永は不遜そうにみえるが、愛妻家である。妻とともに執筆した夜の営みに関する本は、大名たちの間では、聖典ならぬ、性典として崇められていたりする。
「そういえば、信長さまの奥方さまは、わしゃの本は、信長さまには見せてもらいましたかな?」
吉乃は頭にハテナマークが浮かんでいる表情を見せている。
「おかしいでござるな。信長さまには、九十九髭茄子といっしょに最新刊の【本当は気持ちいい夜伽 夏号】をお送りしましたのですがね」
吉乃は、まあなんということでしょうというばかりの表情で、顔を赤らめる。
「なんだ、殿、その本は。聞いたことないぞ」
同席している佐久間信盛が興味深そうに、信長に問うが本人は言いたくなさげである。代わりに松永が応える
「大名だけに伝わる秘本でござる。半年に一度の刊行で、大名の方々が子宝に恵まれるように、夜の営みについてのテクニックを紹介している、わしゃの拙作でござる」
「へえ、松永殿、そんなもの書いていたのかよ。民衆にも売りに出せば、ひと財産稼げるだろ」
「秘匿性の高いものを尊ぶ方もおられるのでござる。そういう大名たちは、こぞって高い金を払ってくれるものでござるよ」
「ふうん。そんなもんかね。俺ならそんないいもの書ける才能があるなら、民にも広めるけどな」
松永はふむと息をつく。この民中心の考えは、信長だけでなく、その家臣たちの共有の考え方なのかと。実は、この本を信長に送ったときに、そっくり同じことを信長に言われたのだ。
「民に広めるとする場合、いかな方法で行うものでござるか?」
「簡単だよ。大名に売ってる写本のさらに写本を、俺たち織田家の兵士が小遣い稼ぎに書くから、それを楽市で売ればいいだけさ」
「写本のさらに写本でござるか。ううむ」
松永は渋面となる。写本を重ねれば、記述ミスなどが起き、価値が下がると松永はそう思っている。そのため、この渋面だ。
「まあ、そこは目を瞑るとして、いくらで売るものでござるかな」
「まあ、庶民相手だから、高くて20文(=2000円)ってとこだろ」
「に、20文?わしゃの本は大名たちに10貫(=100万円)で売っているのでござるぞ。そんなことはできないでござる」
「えええ。本が売れれば、名が売れて、さらには良い評判がついてくるんだぜ。しかも、この値段なら、国中のやつらが買うだろ。元なんてすぐとれるだろ」
うぬぬと松永は唸る。悪名が先行する松永だ。本を安く売るだけで、名声が手にはいる。しかしだ、1冊10貫が、20文だぞ。
「500人に売れれば、10貫でおまんな。話を聞く限り、内容はいいのでおまっしゃろ?商売ではよく言う言葉に【損して得取れ】と言いまんな」
利休がこの商売の利を説く。松永は観念したかのような表情になる。
「しょうがないでござる。秘本でござったが、拙作に日の目を見せるのは書き手の使命でござるな。信盛殿。写本を渡すゆえ、民のために広めてもらえるでござろうか」
「おう、いいぜ。おい、秀吉。話は聞いていたよな。お前んとこの兵にも写本を手伝ってもらうからな。慣れてるだろ。いつもやってるから」
「は、はい!松永殿の貴重な本を写本できるなど、光栄なの、です。一カ月以内には、尾張で広めきってみせま、しょう」
「なんと、そんなに早く広められるでござるか。ならば、既刊の本も写本を任せようかと思うでござる。よろしいですかな?」
「よ、喜んで!良い本を世の中に広められるのは、嬉しい限り、です。ぜひ、お手伝いさせてくだ、さい」
「売り上げの半分は、写本してくれるやつの給金に消えるけど、構わないよな、松永殿」
信盛が話が決まったあとになっていまさら、大事なことを言いだす。やれやれと松永は思う。
「半分でも4分の3でも好きなだけ持っていって行けばいいでござる。もともと、商売をするために書いているものでもないでござるからな」
「うひょう、松永殿、ふとっぱらあ。さすが、天下の名物を集めてるだけはあるぜ」
調子のいいことを言うやつだと、松永は思う。だが、今となっては後の祭りだ。ええい、好きなだけ広めてくれ。
松永は、九十九髭茄子から茶匙を使い、2回、これまた名物の虹天目茶碗に抹茶粉を入れる。茶釜で沸騰しておいた、お湯を別の湯入れにいれ、飲みやすい温度にする。適温になったのを確認すると、その湯入れから茶碗に注ぐ。その瞬間、抹茶の芳醇な匂いが、部屋中に香り立つ。
続けて、茶筅を茶に沈め、しゃかしゃかとかき混ぜ始める。見る見るうちに、抹茶は泡立ちはじめ、きれいに花咲くがごとくになる。茶筅を茶から引き揚げ、それを脇に置く。
「どうぞ、信長殿。味わってみてくだされ」
ふむと信長は茶碗を受け取り、ひと口、その茶を口に含む。すると信長は目を剥く。
「おお。久秀くん。利休くんと比肩するほどの味ですね」
信長はもうひと口、ずずうと飲む。そして、おもむろに茶菓子の最中を手に取り、茶の中に軽く潜らせる。松永はその作法にギョッとする。そのギョッとした顔をした松永の顔をみて、信長は、うん?と不可思議な顔をする。
「久秀くん。知らないのですか。最中は、お茶を染み込ませるのが美味いのですよ」
まるで松永が流行から遅れているかのごとくの言いぐさである。
「はっはっは。信長さまはよく師に学んでおられるのでんがな。師としての自分も茶の湯を満喫させてもらいまっしゃろか」
そういうと、利休は座禅を崩し、ごろりと横になる。
「ふはは、信長さまの茶の師は、利休殿でござったか。それならば納得いくでござる」
「奥方様方も、力をぬくでおます。茶の湯は自由でおま。足を崩して楽にしなはれ」
茶人として名高い利休に言われては、奥方連中も従うほかない。足を崩し、姿勢を斜めにする。
「殿と利休殿のおかげで気楽になったぜ。松永殿はきっちりしている空気だしてるから、足も崩しにくくてよお」
佐久間信盛は正座からあぐらに足を組み換え、前後にゆらゆらと揺れている。松永も利休の手前、作法について咎めることもできない。
松永は気にしない体を醸し出しながらも、眉間に青筋が立ちそうでたまらない。続けて、茶を利休にだせば、利休は寝転がったまま、茶を飲み、茶菓子をぼりぼりと気品もなくむさぼっている。
「一度、天下の大名物をこう、横になって、だらだらと眺めてみたかったのでおま。それが夢叶い、最高の気分でんがな」
くっ。ここ近年で、信長に近づき、茶人として名を高めただけのやつが何を言うか。ええい、忌々しい。
数年後、茶聖と言われる利休が唱える「茶の湯は自由」という思想。その本来あるべき姿から、遠くにある自分のほうが正しいはずだと主張する松永は、まさに彼とは対照的であった。