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ー昇竜の章 6- 松永と義昭

 無言の空気のなか、信長がひとりくすくすと笑っている。松永久秀まつながひさひでは場の空気の悪さに息が詰まりそうになる。そんな松永久秀まつながひさひでを救うがごとくに、信長が声をかける。


「いいでしょう。久秀君。あなたの策に乗って差し上げましょう」


 松永はごくりと唾を飲み、事態の把握に努める。松永自身の考えはほぼ完ぺきに言い当てられた。そのうえで自分の策を採用する意味がわからない。取って食ってしまえば、これから何事も問題なく、ことを進められるはずだ。


「先生は、久秀くん、きみを高く評価しているのですよ。それとも、この話は無かったことにしたほうがよいでしょうか?」


 助け船をだされているのはわかるが、そんな義理は、信長には全くないはずだ。しかし、策に同意してくれるというのなら、松永にはありがたい。ここは話に乗ずるが一手かと思う。


「わしゃの話を聞いていただき、ありがたき幸せでござる。畿内の制圧には、どうぞ、わしゃを存分にお使いくだされ」


「はい、わかりました。あなたの扱いに関してですが、わたしの一家臣ということにしますが、異存はありませんか?」


「一度は捨てた命ゆえ、ご自由にお使いくだされ。この松永、信長さまに忠誠を誓うでござる」


 松永久秀まつながひさひでは、九十九髭茄子を信長の目の前に差し出す。それを手に取った信長は一言


「天下の大名物おおめいぶつを眺めながら飲むお茶はどんな味がするのでしょうかね。のぶもりもり、味わってみます?」


「いやいや、殿とのを差し置いて、そんなこと出来るわけがないだろ」


 佐久間信盛さくまのぶもりは右手を左右に振りながら断りを入れる。


「では、ひでよ」


 秀吉は両手を前に突き出しぷるぷると手を振る。ふむと信長はひとつ息をつく。


「しょうがありませんね、では、久秀くん。後ほど、茶会を開いてください。この大名物おおめいぶつに似合った歓待のほどをお願いします。きみなら、余すことなく、この九十九髭茄子の魅力を引き出してくれるでしょう」


「ふはは。では、信長さまの京入り前祝いにでも、茶をたてさせていただきましょう」



 話がまとまりかけていた、まさにその時、ある男が陣幕に勢いよく入ってくる。


「の、信長殿。松永久秀(まつながひさひで)が陣中にのこのこ現れたというのは本当なのでおじゃるか!」


 そういえば、松永久秀まつながひさひでの突然の登場により織田家の一同はすっかり忘れていたのだった。


「天が許そうとも、足利義輝あしかがよしてるの弟、義昭よしあきが、貴様の悪事を許さぬのでおじゃる!」


 松永久秀まつながひさひでは、足利義昭あしかがよしあきの兄、義輝よしてるを殺した男である。


「どの面下げて、ここにきたでおじゃるか、ええい、藤孝。刀をもってくるのでおじゃる!」


 足利義昭あしかがよしあきはすごい剣幕である。喰ってかからんとばかりの形相で松永久秀まつながひさひでを睨みつける。


「上様。ここにいる松永久秀まつながひさひでは、私にすでに降伏しております」


「ならば、信長殿に命ずる。義昭よしあきの名において、この者を処刑せよ!」


 激昂する義昭よしあきに対して、信長は毅然として応える。


「この者は、自分の命に匹敵する大名物おおめいぶつ、九十九髭茄子を献上しております。これ以上の咎めを与えるのは将として、器量を疑われますぞ」


 ぐぬぬと義昭よしあきは唸る。松永久秀まつながひさひでを斬ってやりたい気持ちはやまやまだ。だが、それを信長が庇うのである。何故、そやつを生かすのかと問いただしたい気分で一杯である。


「なぜじゃ、なぜ、まろに兄の仇を取らせぬのじゃ。その男は、天下の大罪人でおじゃる。斬り捨てたところでなにがあろうというのでおじゃる」


 信長はまるで駄々をこねる幼子を相手にしているかのような気分になる。その幼子を諭すかのように理由を述べる。


「この松永は、心をいれかえ、義昭よしあきさまのために働きたいと申しておるのですよ」


「嘘を申せ。この者を信用する理由などないでおじゃる」


「理由はあります。ここで改心せねば、松永の命は風前の灯だからです。彼は三好三人衆と敵対する道を選び、信長と道を同じくする気持ちだからです」


「こやつが三好三人衆に命を狙われるなら、それは自業自得というものなのじゃ。信のおけぬ行動を取ってきたものの末路でおじゃる!」


 やれやれと信長は思う。この方の家臣たちは苦労が絶えなかっただろうと。もう1度、信長は松永を許す理由を言う。


「上様。この松永は、私たちとともに、上様の上洛および、将軍への後押しをしてくれるのです。織田家にとっても、畿内の事情に明るい、松永殿の援軍には大きく利があります」


 信長は畳みかけるように、義昭よしあきに言う


「天下の大罪人をも許すとなれば、上様の名声は天井知らずとなるでしょう。民は慈悲深き王を求めるものです。上様はこの国の王となられるお方。是非、慎重な判断をお願いいたします」


 義昭よしあきとしても、そこまで言われて反対意見を述べるには理由が足りない。ことさら、義昭よしあきは悔しそうな表情を浮かべる。


「それならば、松永久秀まつながひさひでよ。まろにも二心がないことを証明する何かを見せるのじゃ。そうすれば、兄・義輝よしてるのことは不問にいたす」


 義昭よしあきにとっては無理難題を押し付けたつもりで、してやったりという面持である。この男にそんな証明ができるわけがないと。


 松永久秀まつながひさひでは随伴していた小姓に耳打ちする。その小姓は急いで陣幕の外に出ていく。約5分後、さきほどの小姓は陣幕に刀を二振り持ってもどってきたのだった。


「刀など持ってきてどうしようというのじゃ。切腹でもいたすというなら、介錯をしてやらんでもないでおじゃるよ」


 勝ち誇ったように義昭よしあきは言い放つ。対して、松永久秀まつながひさひでは神妙な顔つきで、その刀を袋から取り出す。勝ち誇った顔をしていた義昭よしあきの顔色がはっきりと手にとるように変わるのがわかる。


「まさか、その柄と鞘の紋様は。松永、貴様と言うやつは!」


足利義輝あしかがよしてるさまより預かっておりました、童子切安綱どうじきりやすつな鬼丸国綱おにまるくにつなの二振りでございます。どうぞ、これにて、わしゃが裏切らないと言う証明にさせていただくでござる」


 やはり、この男は面白いですね。信長はそう思った。兄から奪い取ったであろうものを恩着せがましく、返すと言い出しているのだ。この二振りの刀は足利家で代々伝わってきたもの、言わば将軍・足利家の正当なる後継者として名乗るのに、不可欠なものである。


 いま、将軍職は、異母兄の足利義栄あしかがよしひでが就いている。ここから逆転するには、喉から手が出るほどほしい刀である。勝ち誇っていた顔はいまや、すっかり渋面となっている。


「上様。この松永と言う男、上様に利するものと証明されました。上様はどうお応えになりますか」


 義昭はぐぬぬと唸る。今日、何度目の唸りとなっただろうか。渋面のまま、義昭よしあきはどかりと椅子に座る。


「くっ。その刀。足利義栄あしかがよしひでに渡さなかったこと、ありがたく思うのでおじゃる。今まで、大切に預かってもらい、感謝する」


「ははっ。義昭よしあきさまは、これで将軍・足利家の正統な後継者とならせました。将軍の家臣たる、松永久秀まつながひさひで、うれしくおもうでござる」


 義昭よしあきはぎりぎりと歯ぎしりする。白々しい台詞に腹が立って仕方ない。そんな腹の内を知ってか知らぬかわからぬが松永が続けて言う。


「ふはは、義昭よしあきさまの許しも頂けましたし、それにわしゃ、これから織田家の家臣でござる」


「な、なに、信長殿。こいつを召し上げたというのか!」


「近いうちに茶会を催しさせていただくでござる。天下の名物を眺めながら飲む茶は、さぞかしうまいものになりましょうぞ」


 義昭よしあきはきいいいと声をあげる。松永を指さし


「やはり、信長殿、こやつを斬るのでおじゃる。今、斬っておかねば、あとで足利家に障ることは必定でおじゃる!」


「落ち度もないのに、斬ることは叶いませんよ。例え、それが主君とその家臣としてもですね」


 今のところ、松永は織田に、義昭よしあきに利をもたらしている。それなのに、その功に報いず、ただ斬るというなら、この先、織田家に降伏してくる大名や将など存在しなくなるだろう。もちろん、そういうことを見越して、この松永という男はこの場にやってきたのだ。


「やれやれ、久秀くん。きみというひとは、肝が座っているというか、なんというか。ワシが助命嘆願しなければ、とっくに叩き切られていますよ」


「ふははっ、信長さまの格別のご配慮、痛み入るでござる。そんな信長さまにお仕えできて、わしゃ、幸せでござる」


 心にもないことをぽんぽんとよくもまあ、言えるものだと信長は思う。だが


「そのずる賢さがなければ、京の都では住めないということなのでしょうかね」


「その通りでござる。京の都の者は、本音をしゃべらぬもの。それを毎日、相手してきましたゆえ、性格が少々ゆがんでしまいましたでござる」


「ゆがんでおるのは元々でおじゃろうが。なにを言うに事欠いておるのでおじゃるか!」


「ふははっ、義昭よしあきさまは、わしゃのことがお嫌いのようでござるな。それでも構わぬでござる。きっとすぐに仲良くなるでござる」


「き、きさまと仲良くなどできぬでおじゃる。信長殿、せめて、こやつの口を閉じさせてくれでおじゃる。まろは頭痛がしてきたのじゃ」


 信長は思う。傍から見れば同族嫌悪のような気がしてならない。一線を越えれば、案外、気心しれた仲となるのではないかと。でも、そうなった場合は、逆に信長にとって、都合が悪い。この先、義昭よしあきに迎合するものが増えるのは好ましくないからだ。


「世の中というものは、矛盾だらけですね。許されざるものを許さなければ、立ちいかないときなど山ほどあります」


「まろは、今日ほど、そう思ったことはないのでおじゃる。兄の仇をふところに収めなければならないとは、予想もしなかったでおじゃる」


「ふはは。安心してほしいでござる。この松永久秀まつながひさひで、身を粉にして、義昭よしあきさまを将軍に押し上げてみせましょうぞ」


 さきほどまで青い顔をしていた、松永の表情は、身を保全されたゆえか、余裕の顔つきである。信長はやれやれと思う。だが、この松永と言う男を面白いと思ってしまったのは事実である。ならば、奸臣といえども使いきってみせることこそ、主君としての器量が問われると思い、気持ちを整理する信長であった。

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