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ー上洛の章15- 最臭生物兵器

 佐久間信盛さくまのぶもりは、酒のさかなにと、近江名産の鮒寿司を手に持ち、自分の席へと帰ろうとしていた。そして、ふいに必死の形相でこちらに叫びかける前田利家まえだとしいえの勢いに押され、渡してしまった。


 最臭生物兵器、鮒寿司の威力はすさまじかったらしく、利家としいえの席の面々は、直立不動のままに固まっている。その惨状に貢献してしまった佐久間信盛さくまのぶもりは言う


「ああ、ついに鮒寿司で死者がでちまったか。この責任は重いだろうな。俺と利家としいえは切腹になるかもしれん」


「え、縁起でもないッス。勝手に殺さないでくれッス。ただ単に気絶してるだけッス!」


「え、そうなの。だって、利家としいえ。お前、殺す気で喰わせたんだろ、鮒寿司」


 信盛のぶもりの言は物騒この上ない。おもしろがって言ってるッスね、このひと。人の気もしらないで。そう抗議したくなる気持ちを抑えつつ、どうしたものかと、ハラハラする利家としいえである。


「まあ、ほっときゃ、いつも通り20分もしたら、じきに目、覚ますだろ。平常運転、平常運転。うんうん」


「確かに、いつも通りと言われれば、織田家うちのいつも通りッスけど。今回は義昭よしあきさまも犠牲者ッス。お咎めが来るにちがいないッスよ」


織田家うちの正月の祝賀会は毎年、無礼講って決まってんだろ。将軍候補といえども変わらねえよ。そう心配すんなって」


 利家としいえの心配もよそに信盛のぶもりはどこ吹く風である。そんなこととは比較にならないような信長の奇行に長年、悩まされてきたんだ。いまさら鮒寿司気絶事件でどうこうなるわけがない。


「ガハハッ。利家としいえ、神妙な顔をしてなにをしておる。酒がすすんでないのではないか」


 織田家随一の脳味噌筋肉。いや、能天気な柴田勝家しばたかついえがやってくる。利家としいえの机の惨状を見るや、さらに笑い声が大きくなる。


「ガハハハハッ。利家としいえ、何をしたのだ、お主。殿とのたちが直立不動で固まってるでもうす」


 柴田勝家しばたかついえも相当、飲んでいるみたいで笑い上戸と化している。もう嫌ッス。俺の味方はどこにもいないッスか。


「まあ、飲めよ、利家としいえ。飲んで嫌なこと、忘れちまえよ」


 困り顔の利家としいえの湯飲みに信盛のぶもりはなみなみと熱燗をそそぎこむ。利家としいえ信盛のぶもり勝家かついえは、かんぱあいと言い、かちんと湯飲みを軽く当て合う。ええいままよと、利家としいえはぐいっと酒を飲む。


「ガハハッ、言い飲みっぷりでもうす。ささ、もう1杯」


 再び、信盛のぶもり利家としいえの湯飲みに酒を注ぐ。


「ういーひっく。俺は何も悪くないッス。酒乱と化したやつらが悪いんッス」


「そうだぜ、利家としいえ。酒に飲まれるやつが悪い!」


 信盛のぶもりは、手に持っていた鮒寿司に手を付け始める。


「はあああ、くっせえええ。でも、うまいわああ」


「ガハハッ、わしも少しいただくでもうす」


 勝家かついえ信盛のぶもりから鮒寿司を3きれほどいただき、口に運ぶ。その匂いと極上の味に舌鼓をうちつつ、酒を流し込む。


「ぶはああ、はあはあ。な、なんなのじゃ、この匂いは!」


「ひ、ひいいい。ここは一体どこであるか、私はなにをしていたのだ」


 直立不動で固まっていた、足利義昭あしかがよしあき細川藤孝ほそかわふじたかが再起動を果たす。


「あ、目さました。よっし、逃げよう」


 佐久間信盛さくまのぶもり柴田勝家しばたかついえはそそくさと、その場から逃げ出していく。利家としいえもつられて、逃げ出していた。


「の、信長殿!なにを固まっておるのじゃ。どういうことか説明するのじゃ」


 信長は身体を揺らされ、ようやく、気を取り戻す。


「ワ、ワシは一体、何を、ってこの匂い、鮒寿司ですね」


「ふ、ふひっ。私たちは一服もられたようでございますな」


「一体だれが、こんなことをしたのじゃ。信長殿、下手人を捕らえるのでおじゃる!」


 義昭よしあきが激昂している。だが、信長はそんな義昭よしあきを諭すように言う。


「正月の席は、無礼講です。鮒寿司を食べさせた者は良かれと思ってのことでしょうし、捕らえるようなことはしません。それにひどく酔っ払っていたワシたちにも落ち度があるのでしょう。そのための不意打ちでしょうしね」


 義昭よしあきはぐぬぬと唸る。信長が言っていることは正論である。だが、せっかくのいい気分を強烈な匂いで台無しにされてしまった。


義昭よしあきさま。いいではないですか。この鮒寿司、よく味わってください。とてもいい味でござる」


 細川藤孝ほそかわふじたか義昭よしあきに進言する。怒りおさまらぬ義昭よしあきが、口の中に残る物質を噛みしめる。そして噛みしめる回数を増やしていくと、怒りの感情が引いて行く。


「おお、確かにうまいのでおじゃる。怒りに我を忘れ、本質を見誤るとこであったのじゃ」


 義昭は口をもぐもぐさせ、酒で口の中を洗い流す。これがまた酒と合い、口の中の旨みが増す。


「おっほん。もう一切れいただこうでおじゃるかな。これはまた美味でおじゃる」


 怒りはすっかりどこかへ消え、鮒寿司に対する興味だけが残る。


「信長殿。これは一体、なんなのじゃ?初めて食すでおじゃる」


「これは近江名産の鮒寿司です。強烈な匂いですが、味は絶品。数カ月に一度、浅井殿から買い上げているのですよ」


 義昭よしあきはふむふむと頷きながら、鮒寿司を箸でつまみ、口へ持っていく。一瞬、形容しがたい顔つきになるが、それを口に放り込み、もぐもぐと噛みしめると、とろけるような顔つきに変わる。


「どうやら、気にいってもらえたようですね。よければ少し、お分けしましょうか?義昭よしあきさまの寝所に運びますよ」


「ううん。そうなると寝所が激臭で覆われそうなのである。それは少し勘弁してほしいでござるな」


 そう言うのは、細川殿である。味は気にいったが、どうしても匂いがダメだそうだ。やれやれ、いやがらせも含めての進言でしたが、うけいれられませんでしたか。信長は少し残念である。



 酔いも少し冷めた面々は改めて席に座り直し、威を正し、談笑を続ける。


「祝いの席でこんなことを聞くのは無粋かと思うのでおじゃるが、まろは心配性でおじゃってな」


「なんでございましょうか、上様。心配事がありましたら、この信長に遠慮なくおっしゃっていただければ」


 義昭よしあきは、藤孝と言い、細川藤孝ほそかわふじたかに代わりに言うように促す。


義昭よしあきさまは、信長殿が本当に上洛を為してくれるのか、心配なのでござる。朝倉、上杉、武田と断られ続け、数年を無為に過ごしてきたゆえ」


「ああ、そのようなことですか」


 信長はわざと間をあけるために、湯飲みに入った熱燗をくいっとひと口飲む。ぷはあ、胃にしみこむような感覚だ。細川はたまらず、信長殿と言ってくるが慌てることはない。信長は枝豆にも手を伸ばす。そして、充分、じらしてから次の言葉を言う。


織田家うちの準備が終わり次第、京へ向かいますよ。安心してください」


 そうそっけなく言う。細川は反発するように声を出す。


「で、ですが、信長殿。私どもが岐阜に招かれてから、はや3か月以上。三好三人衆は着々と、将軍・足利義栄あしかがよしひでの準備を進めておる。これ以上は待っておられん」


 やれやれと信長は思う。まだ時期尚早なのだ。


「光秀くん。新作の鶏のから揚げとやらが食べたいです。ちょっと、取ってきてもらえませんか」


「ふひっ。少々お待ちくだされ。義昭よしあきさまの分もとってくるでござる」


「光秀くんが戻ってきてから、話の続きをしましょう。さあ、飲んでください。せっかくの祝賀会なのですから」


 細川藤孝ほそかわふじたかはううむと唸りながら肩透かしをされたことにやきもきしている。その細川に義昭よしあきが耳打ちしている。そんな姿を見ないふりをしながら、村井貞勝むらいさだかつに酒を注がせる。


「うっほん。三河から取り寄せた銘酒なのじゃ。飲み直しまそうなのじゃ」


 村井貞勝むらいさだかつはそれぞれの湯飲みに酒を注いでいく。いつの間にやら、この机に参加している秀吉の分も注ぐ。


「あれ、秀吉くん。いつのまに来たんですか。気付きませんでしたよ」


「わ、わたしもよくわからないのですが、気付いたらここにいま、した。確か、利家としいえ殿に呼ばれたような」


 利家としいえが身代わりとばかりに秀吉をこの席に呼んだのだった。だが、利家としいえの誤算で、秀吉まで酒乱と化していたため、口に鮒寿司を突っ込み、当の本人はこの席から逃げていたのだった。


「そういえば、利家としいえくん、いなくなってますね。あとで、ここで何があったのか聞いてみますか」


 そうこうしているうちに、天麩羅てんぷら屋の新作である、鶏のから揚げを10人分ほど皿に盛った光秀が席に戻ってくる。


「ふひっ。塩かレモンの汁を振りかけて食べてみてくれとの店主の言葉です」


「レモン?この黄色い楕円形の物体ですか?」


 明智光秀は、そのレモンを小刀で4等分に切り分け、皿のスミに置く。それぞれは、鶏のから揚げを小皿に取り分け、各々、塩やレモン汁をかけていく。そして、せえので皆、鶏のから揚げにしゃぶりつく。


「おっほ。これは旨い。鳥の肉汁が、噛めば噛むほどあふれ出てきます。これは大当たりですね」


「か、皮のぱりぱりとした食感もまた、たまりま、せん。塩がよく合います」


「この小ぶりのこりこりしたのは、なんでござるか、レモン汁とよくあうでござる」


「ふひっ、その小ぶりのは、軟骨のから揚げだそうです。酒にも合うとのことです」


 細川は、軟骨のから揚げをほおばりながら、三河の銘酒を口に含む。


「ふうむ。旨い。旨いぞ」


 細川は、今まで味わったことのない食感と、その癖になる味に感動を覚える。義昭よしあき一行が岐阜に来てから一番変わったこと。それは食事だ。朝倉ではさすがに義昭よしあきは白い米のご飯を食べていたが、家臣はひえあわのメシであった。


 それが、織田領に来てからは一変した。家臣ともども白い米のご飯を毎日食べることができ、おかずも豊富で、明らかに太りだしたものたちもいる。食の質はその国の繁栄度を示すのではないかと思う、細川であった。

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