ー上洛の章14- 正月 祝賀会
1568年、正月。稲葉山城改め、岐阜城にて新年を祝う会が催されていた。この祝賀会には、足利義昭とその家臣たちも招かれ、広場や屋敷内のそこかしこで、催し物が執り行われていた。
「信長殿。こちらが、かの足利義輝さまの実弟、義昭さまにござる」
そう、細川藤孝に紹介されて現れるは、身長160センチメートルの中背中肉の青年であった。このとき、信長は数えで36歳であり、義昭は信長より2~3歳年下かと思われる容姿であった。
「まろが足利義昭なのでおじゃる。そちが信長殿であるか、やっと会えて嬉しいのでおじゃる。日々の寺での歓待はまことに満足しておるのじゃ。正月も楽しませてほしいのでおじゃる」
足利義昭は、心の裏表なく、信長の歓待に喜んでいる様子である。それを受けて信長は言う。
「上様が喜んでおられるようで、ワシとしましても、嬉しい限りでござまいます。ところで上様はお酒のほうはお強いのでしょうか」
「酒でおじゃるか。酒は飲む方なのじゃ。実はだな。寺に勤めていたときもこっそり飲んでおったのじゃ」
「はははっ、これは困った僧もいたものですな。上様のご身分上、注意できるものも少なかったでしょうに」
「それがだな。ここにおる細川藤孝なのじゃが、こいつが、口やかましくてのう。酒は飲んでものまれるな。気付けの一杯だけにしろというのでおじゃる」
「細川殿は、忠臣と聞いております。きっと、上様の体調を思ってのことでしょう」
「寺住まいのときは、酒はだめだ。女はだめだの一点張りでの、こやつ。岐阜に来てからは自由にさせてもらえて、嬉しい限りなのでおじゃる」
信長も自分の家臣の報告から、義昭が岐阜に来てから、気が緩んだか、割りと放蕩な暮らしをしてきたと知っている。それを叱る、細川殿を煙たがっているとの噂も併せてだ。
「上様はまだまだ、若いゆえ、細川殿から見たら、心配な部分があるのでしょう。決して責めないよう、お気をつけてくだされ」
「責めたところで、この口やかましさは変わらんのじゃ。なにやら、細川に礼節などを学んでいたようじゃが、そちの家臣たちは大変じゃっただろ?」
「熱烈な指導ぶりに、皆、口から泡を吹いていましたな、そういえば」
細川殿をダシに会話は弾む。細川殿のスパルタぶりは、相手が義昭でも変わらないという。
「長年、まろに仕えていただけあって、まろはいくつか藤孝の弱みを知っているのでおじゃる。それを肴に酒でも飲もうなのじゃ、信長殿」
「それはいいですね。細川殿の困り果てた顔が目にうかぶようです。細川殿もごいっしょに飲まれませんか」
「ああ、いやまあその」
「まろが飲めと言っておるのじゃ。まろの勧める酒が飲めぬのか」
半ば、威しのように義昭は細川藤孝に言い詰めよる。細川はこれはまいったと言わんばかりの顔をしている。普段、細川にスパルタでしごかれてきた織田家家臣の面々は、溜飲が下がる思いであった。
「ささっ、上様。このような場所で立ち話をしていては、身体が冷えてしまいます。どうぞ、もっと暖の取れるところにいきましょう」
「おお、それがいいのじゃ。おい、藤孝。適当に料理と酒を見繕って持ってきてくれなのじゃ。すきっ腹に酒を飲んでは、せっかくの祝賀会なのに酔いが早く回ってしまうのでおじゃる」
義昭は顎で部下を使う。重臣のなかの重臣、細川といえども扱いは同じである。さすがはやんごとなき、お方。下々の扱い方を心得ている。もちろん、悪い意味でだ。
「細川殿も、上様にかかると赤子のようでございますな」
信長がそれとなく、そういうと、一瞬、キッとした目線を細川殿が飛ばしてくる。あまり、いじりすぎると、あとあと織田家のものたちに被害が飛びそうですねと思う。だが、こんな細川殿を見られるのは滅多にないことであろう。つい、意地悪く対応してしまいそうになる。
料理が机に運ばれ、義昭勢と信長勢が互いに向き合うように座り、談笑が続けられた。
「おっと、上様。湯飲みが空いてますぞ。ささ、もう一杯いかがですかな」
「おお、これはすまないのじゃ、信長殿」
義昭は勧められるままに湯飲みに並々と酒を注がれ、目をきらきらと輝かせている。運ばれてくる料理の数々に箸をつけ、舌つづみをうちつつ、それを酒で流し込む。義昭にとっては幸せなひと時であった。
「ふひっ。義昭さまは、朝倉に居た頃、あまり歓迎されてなかったようで、このような催しにも呼ばれてなかったでござる」
「おお、明智よ。元気にしておったか。朝倉殿はまあ、寝床を貸してくれただけマシだったと思うことにしておるのじゃ。朝倉殿にも理由があろう」
「ふひっ。義昭さまは寛大なお方でございます。さすがは将軍を目指しているだけのことはあります」
明智光秀は見え見えのよいしょを行う。だが、そんな見え見えのよいしょにも関わらず、義昭は益々、上機嫌となる。
「ほっほっほ。そんなに褒めても、まろは何も出せぬでおじゃるよ」
「義昭さま、少々、飲みすぎかと思いますが」
「藤孝!正月の祝いの席に無粋なことを申すな。酒がまずくなるのでおじゃる」
義昭は、嫌そうな顔を細川に向ける。確かに、正月の祝いの席である。少々、ハメをはずしたところで何の咎があろうか。うむむと細川は唸り、矛先を信長勢のほうに向ける。
「義昭さまは、このような祝いの席に慣れておらぬゆえ、あまり飲ませ過ぎないように私からお願いいたす」
「義昭さまは楽しんでるからいいじゃないッスか。それより細川殿も眉間にしわなんか寄せておらずに飲んでくれッスよ」
前田利家が、細川の飲み進んでない杯に向かって、酒を注ぐ姿勢を見せる。細川は礼節を重んじる方だ。酒の席でもそれは変わらない。杯をぐいっと飲み干し、空いたそこに前田利家から酒を注がれる。
「それもそうでござるな。少々、私は神経質すぎるのかもしれん。これでは、信長殿のせっかくの歓待を台無しにしてしまうのである」
「ほっほっほ。ようやく、藤孝もその気になったか。ほれ、飲め、そして喰うのでおじゃる。こんな馳走、なかなか味わえぬぞ」
「はっはっは。細川殿も飲む気になられたようなので、改めて、皆で乾杯しましょうか」
それぞれは、湯飲みを片手に掲げ、乾杯と叫ぶ。カチンと互いの杯を軽くぶつけ合い、机の料理の数々に箸を伸ばすのであった。
「ういい、ひっく。信長殿、さっきは、朝倉をかばってみたのじゃが、どうにも気分がよくないのじゃ。そりゃたしかに、宿無しの身のまろらをかくまってくれた恩はある。しかし、上洛のじょの字もなかったのでおじゃる」
義昭は、酒がだいぶ回っているせいか、併せて口も軽くなっているようだ。
「それに比べて、信長殿。お主は良き方なのでおじゃる。このまろのために兵を整え、上洛の道へとちゃくちゃくと準備をしておるのじゃ」
「信長殿、ばんざあああい。義昭さま、ばんざあああい」
泥酔している細川がいきなり叫び出す。
「そもそも、義昭さまは、足利家の本流。なにゆえ、あの庶子である足利義栄なぞを朝廷は、将軍につけようというのだ。ふざけるなああああ!」
「そうなのじゃ。まろは怒りでどうにかなりそうなのじゃ。酒じゃ、酒。もっともってくるのでおじゃる」
これまでの流浪生活からの不満が溜まっていたのであろうか。それとも織田家の歓待がそれほど心地よいものだったのだろうか。義昭同様、細川も愚痴りだす。
「一番ふがいないのは、六角家のやつらだ。あいつら、義昭さまを見捨て、三好三人衆になびきおってからに」
「そうなのでおじゃる。信長殿。六角家を攻める際は、あやつらの首級、見事、あげて、まろに献上するのでおじゃる。これは主命なのじゃ」
段々、話が物騒な方向になってくる。これはさすがにまずいと、前田利家は思い始めていた。
「ちょっと。村井殿。これは飲ませすぎたッスかね」
村井貞勝は、なにやらニヤニヤとしながら、なにかを書きなぐっている。
「細川殿には、いつも歌会では散々やられているのじゃ。この痴態、目と書に焼き付けて、今度、仕返しするのじゃ!」
村井貞勝もまた、違う方向で熱を上げている。ああ、これは収拾がつかなくなってきたッスね。
「ねえ、信長さま。そろそろ、あの2人には、お酒を控えてもらったほうがいいんじゃないッスか?」
そう、前田利家が信長に進言するが、当の信長は、小声でぶつぶつと何か念仏のようなものを唱えている。利家がよくよく耳をすませて、その声を聞き取ると
「ああ、なんでわたしがこんなまぬけな義昭なんぞを奉戴して京へ上らねばならないのでしょう。不幸でたまりません」
うっわ、もっと物騒なことを呟いているひとがここに居たッス。義昭さまに聞こえてないっすよね。
「ふひっふひっふひっ!京はいいとこ、ねーちゃんはきれいだ、あっはーん!」
明智光秀が突然、歌いだした。もしかして、この席でいま、一番まともなのって、俺だけッスか?そう、疑問する利家の後ろを秀吉が通り過ぎる。しめた。ここは、秀吉と席を替わってもらって、この場から逃げ出すッス。
「お、おい、秀吉。俺、料理をとってくるから、その間、この席を温めてくれッス」
「ああん。お前、利家の分際で、なに命令口調なんだよ」
あれ。お前、秀吉っすよね。
「ういひっく。普段、猿さると呼びやがって、いい加減、俺はキレてるんだよ。わかるか、利家」
やべえ。こいつも酔い潰れてるッス。しかも、一番、めんどくさそうッス。
「てか、お前。全然、飲んでないだろ。おら、注いでやるから飲めよ」
秀吉が俺の空いた湯飲みに、こぼれんばかりに酒を注ぐ。だれでも良いから、この場を救ってほしいッス。
このまま、この混沌とかした、この机で俺は倒れてしまうのかと覚悟した利家は、偶然か、または必然だったのか、彼の視線の先に佐久間信盛を見つけたのだった。いや、正確にいうと、彼が手にしていたものをだ。
「信盛さま!その手に持っているものをこっちに投げるッス!」
「ああん。利家、どうしたんだ。コレがそんなにやみつきになっちまったのか?」
「いいから、はやく寄越すッス。それですべてが解決するッス!」
利家は、佐久間信盛からあるものを受け取り、酒乱と化した皆の口にそれを突っ込む。
「はいいいいい、なにこれ。くっさああああ、うまあああ!」
「はああああ、くっさいよおおお、でもうまいよおおお!」
そう、そのあるものとは、近江名産、鮒寿司であった。その激臭と極上の旨みは、酒乱と化したものたちの意識を飛ばすには十分であったのだ。




