ー上洛の章 7- 織田家の名将たち
秀吉は、ふと自分の名前がでたことが気になる。なぜ、わたしが村井貞勝さまの補佐になるのだろうと。
「あ、あの、信長さま。なんでわたしも村井さまの補佐になるんでしょうか。わたしはどっちかと言うと武官だと思うのですが」
秀吉はおそるおそる、信長に理由を聞く。信長は真面目な顔で秀吉に告げる。
「先生の見立てだと、秀吉くんは内政面でも才能があります。そうですね、明智くんもいっしょに混ぜましょうか」
「ふひっ、わたしが京都担当ですか。身に余る仕事。恐れ多いです」
明智光秀が丁重に辞退を申し出る。
「あなたたち2人は、自分を過小評価しすぎです。将来的には、のぶもりもりや勝家くんを超えるかもしれない逸材なのですから、行き過ぎた謙遜はいやみになりますよ」
「おいおい、そんなに殿の2人への期待値は大きいのかよ」
佐久間信盛がびっくりする。
「わたしの見る目は確かですからね。のぶもりもりは油断してたら抜かれてしまいますよ」
砦のような墨俣の小城といえども、城主に上り詰めた秀吉はともかくとして、織田に入りたての一介の兵士である光秀に対して、信長の評価はいささか高すぎる気もするがと、信盛は思う。
「だが、光秀は織田家にきたばっかりだぜ。俺たちには実力のほどもまったくわからん」
「そう言うなら、光秀くんを幹部こーす訓練に入れましょう。それで箔をつけてもらって、訓練終了後には足軽大将に任じます」
「いきなり300の兵を任せるのかよ。おう、光秀。殿の期待の高さに潰されるんじゃねえぞ」
「ふひっ。格別の厚遇、ありがたく思います。つきましては、お給金はいくらもらえるのでしょうか」
光秀は捨扶持で朝倉に仕えてきた。それゆえ、織田家では下級兵士でも給金が出るという話を聞いて、自分は一体いくらもらえるのか楽しみであった。
「光秀くんは幹部こーす訓練を受けてもらうので、最初は10人長の足軽長からです。たしか給金は」
「うっほん。月3貫(=30万円)の年収約36貫(=360万円)なのじゃ。さらに、朝と昼のメシは織田家から出るのじゃ」
村井貞勝が役目とばかりに発言する。それを聞いた光秀は驚きを隠せない
「ふ、ふひっ。朝昼と食べさせてもらえるだけでもありがたいのに、お給金まで出るのでござるか!」
「当然、明智殿の部下たちも別個で給金をもらえるのじゃ。部下を養う上での心配も、これでないのじゃ」
「ふひっ。ありがたき幸せ。朝倉家では少ない捨扶持の中から、部下たちに給金を出していたので、本当に困窮していたでござる」
朝倉家の客将だったころを光秀は思い出す。あのころは人ひとりがなんとか生きていける金を部下4人と分け合い、それでもなんとか生きてきた。今は、メシが出て、住むところもあり、さらに4人家族が生きていくくらいには十分な給金をもらえる。破格な待遇だ。
貞勝は、光秀の驚きの顔を見つつ、続けていいものか悩む。正直、足軽大将の待遇を聞いたら、泡を吹くんではないかと。
「うっほん。明智殿、続けていいかな?」
「ふひっ。まだなにかあるのですか」
とまどう光秀に対して、貞勝は、なるべくオーバーな表現にならないように注意して言う。
「足軽大将の給料じゃが、年収120貫(=1200万円)じゃ。あと、働きいかんでは領地も別で与えられるのじゃ」
それを聞いた光秀は、一瞬にして固まる。続いて、小刻みに身体が震えだしていた。
「ふっ、ふひぃぃぃぃぃ」
貞勝の予想とは反して、光秀は鼻の両穴から鼻血を吹きだした。そして、吹きだしながら机に顔を突っ伏す。
「うっわ、汚いッス!ちょっと、だれか、布巾をもってくるッスよ!」
前田利家は、椅子から飛び跳ねる。佐久間信盛も、慌てつつも冷静に対応する
「おい、やばい出血量だ。誰か止血しろ。あと、医者だ、医者を呼べ!」
会合の場は一瞬にして、密室殺人事件の現場のように様変わりしていた。明智光秀は自らの鼻血により、着物を赤く染め、鼻の穴には手ぬぐいの端を切ってできた布きれを詰めている。信長側付きの医者がやってきて、光秀を介抱する。
「一体ぜんたい、さっきから、この会合では何をやっていらっしゃるのですか。病人続出の会合なぞ、聞いたことがありませぬぞ」
医者が少々、怒りながらことの起こりを聴取する。
「ただ、お給金の話をしてただけなのですがね。先生たち、なにか悪いことしました?むしろ良いことしてましたよね」
「それがなぜ、血の海ができあがるのでございますか。ええい、とにかく気をつけてください」
医者はそういうと、血止めの塗り薬と、あと追加で胃薬と、動悸に効く薬を置いて行った。できる医者である。
10分後、血の海から復活を果たした光秀が、血まみれになった眼鏡を丁寧に吹きつつ、皆に謝る。
「ふひっ。すいません、つい、理解が追いつけず、頭が沸騰してしまいしたでござる」
「まあ、だれでも聞けば驚くだろうよ。こんな厚待遇。他じゃありえないからなあ」
信盛は顎をさすりながら、光秀に言う。
「だからと言って、その待遇に甘んじてちゃいけねえ。殿の言う通り、光秀殿には、努力してもらって上を目指してもらわないとな」
「こんなことで鼻血をだしていては務まらぬということでござるな。この不肖、光秀。精進するでござる」
「み、光秀さん。いっしょに訓練がんばりま、しょう!」
秀吉が光秀の手を取り、ぶんぶんとその手を振りながら応援する。
「秀吉殿は城主なのに幹部こーす訓練を受けるでござるか?」
「城主と言っても砦とかわらぬ小城、です。わたしは一国の城主になりたいの、です!」
「ほほう。秀吉くんもなかなか言うようになってきましたね。先生、うれしい限りです」
「は、はい!信盛さまや、勝家さまに並ぶ名将となりたい、です」
名将と言われ、信盛も勝家も悪い気がしない。
「おいおい、秀吉。もっと褒めてくれていいんだよ?天下の名将ってくらいにさ」
「ガハハッ。我輩を名将と呼んでくれるは猿くらいでありもうす。でも、その高評価はありがたくもらっておくでもうす」
「秀吉くん。あんまり馬鹿を褒めると、図に乗って失敗をするかもしれませんので、よいしょはほどほどにしてくださいね」
信長はぴしゃりと、その場をしめる。秀吉は本当のことなのになあと思いつつも、おべっかにならないよう発言には注意しようとも思った。
「秀吉くんの意思も固まったようなので、先生はもっともっと、秀吉くんをこき使ってあげますので、覚悟してください」
「は、はい!精一杯がんばりますので、今後ともよろしくおねがいします」
天下取りに向けて、有望株の秀吉くんがさらなるやる気を見せてくれるようになり、信長は本当にうれしく思っていた。
「のぶもりもり、柴田勝家、木下秀吉、明智光秀、そして、伊勢攻略中の滝川一益。この5人には、織田家を引っ張っていってもらいましょうか」
「信長さま。ひどいッス!俺のことを忘れないでほしいッス」
「ん…。信長さま、自分も活躍するので見ていてほしい」
「たーららーん。にわちゃんは、信長さまのその考えが実現するように、ぷろでゅーすは任せてください」
信長付きの側近、前田利家、佐々成政、丹羽長秀が我も我もと主張してくる。
「ふふっ。あなたたち3人は信長付きの側近たちです。かの5名たちとも遜色はありませんよ。でも、もっと期待してますので、がんばってください」
役柄は違えども、組織内で対抗意識が芽生えるのは良いことだ。それが競争を産み、出世争いを産み、織田家は発展していくのである。少々の軋轢は生じるであろうが、そこは、信長ことワシが調整していけばいいでしょう。
会合の場は、相手を褒めたたえつつも、自分の功績をアピールし、そして、上洛に関しては、俺に任せてくれと言わんばかりに熱が高まっていく。
「権威を笠にきて、名だけ借りて、直接、全国の大名に号令をかけるまでは、わかったでござる。そこまでの具体的な段取りはどうするでござるか?」
脱線していた話を戻すかのように松平家康が疑問を呈す。
「京に上ることに関してなら、三好三人衆、それと手を結ぶ南近江の六角義賢を退場させてしまいましょう」
「だが六角義賢の居城、観音寺山城は天下の堅城。そうやすやすと落とせるものでござるか?」
松平家康の疑問も最もだ。守護大名・六角家が今まで生き延びてきたのは、この名城があったからに他ならない。それをどう倒すというのか、この信長殿は。
「のぶもりもり。織田家の兵力は岐阜を含めると1年後にはどれくらいに膨れ上がっているでしょうか?」
「んー。尾張と岐阜だろ。少なく見積もっても3万。多ければ4万は超えるだろうな。それほど岐阜の地は魅力的だ」
「4万!それは1大名が動員できる兵力としては、全国で数えても織田家は1、2位を争うのではなかろうか」
家康は驚きを隠せない。三河1国の今の現状では、1万そこそこしか動員できない。
「先生、一度、大軍団を率いてみたかったんですよね。象が蟻を踏みつぶしていくような感じで。それの実験台となるのが、六角家ですか。敵ながら哀れに思います」
哀れに思うと言いながら、信長の口元は緩み、くっくっくと笑い声を出す。
「うわああ。にわちゃん思うのです。それは合戦というよりむしろ、ぱれーどなのです。信長さまは、弱兵を踏みつぶす大行進をやるんですね」
パレードとは言いえて妙だ。
「はっはっは。天下の堅城対、4万の大軍勢。果たしてどっちが勝つのでしょうか。みなさま、その日までこうご期待です」
信長の高笑いが会合の場所に響く。信長を囲む将達もそれに続きやんややんやとはやし立て、先鋒を我にと願い出るのであった。俺は織田家を敵に回さなくてよかったと心底思う、家康であった。




