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ー上洛の章 6- 胃薬はエリクサー

 村井貞勝むらいさだかつは白目をむき、口から泡を吹いて倒れた。


「おい、これはやべえぞ。だれか医者を呼べ!」


 緊急事態だ。佐久間信盛(さくまのぶもり)は、大声を出し、医者を呼ぶよう廊下にいる小姓に命じる。すぐに信長側付きの医者がやってきて、村井貞勝むらいさだかつの容態を診て皆に言う。


「精神性のすとれすでしょう。なにか、強いショックになるような辞令を与えたりしませんでしたか?」


 信長はブンブンと首を横に振る。医者はやれやれと言った表情を作る。そして


「一過性のものと思われるので、すぐ良くなるでしょう。しかし、まだまだ若いとはいえ、村井さまは年長者。あまり無理な言い分は控えてあげてください」


 信長はにこやかに、こくこくと首を縦にふる。


「ほんと、貞勝さだかつくんは、どうしたんでしょうね。こちらからも気をつけておきます。先生、ありがとうございました」


 そう言われて医者は部屋から下がっていく。念のため、胃薬と動悸に効く薬を置いて行ってくれた。察しのいい医者である。



 10分後、口から泡を吹いて倒れていた貞勝さだかつは、なんとか再起動を果たし、自分の席に座り直す。


「うっほん、みっともない姿を見せて申し訳ないのじゃ。村井貞勝むらいさだかつ、復活なのじゃ」


「まったく、話の腰を折るような真似は控えてください。全然、会議がすすんでないじゃないですか」


 そう言う信長を、貞勝さだかつはじろっと強い視線を送る。


「一体、だれのせいですじゃ。馬鹿げたことを抜かしたのは!」


 貞勝さだかつは激昂する。しかし、当の信長はどこ吹く風。斜め上方向に顔を向け、ぴいひゃららと口笛を吹く。


「そうだぞ、殿との殿とのがいくら馬鹿だからとしても、言っていいことと悪いことがある」


 佐久間信盛さくまのぶもりは、ぴしゃりと信長に言う。


「大体、話が飛躍しすぎて、頭がついていかねえ。足利家による幕府を終わらせるって一体どういうこったよ」


「そ、そうッスよ。頭のネジがついに吹っ飛んだんッスか?それとも悪いもので食べたんッスか?なんなら良い医者、紹介するッスよ」


 心配そうに信長の顔を見るのは、前田利家まえだとしいえである。うっほんと信長はひとつ咳払いをする


「頭のネジも飛んでませんし、悪いものも食べてません。至って、ワシは正常ですよ」


「じゃあ、正常に狂ってしまったんッスか。それじゃ医者でも直せないッス。困ったッス」


「おちつけ、利家としいえ。正常に狂ってるのはいつものことだ。だから、殿とのは正気で、足利家の幕府を潰すつもりなんだ」


「なんか物言いがひどくないですか、あなたたち2人。あとでお説教しますよ」


 利家としいえ信盛のぶもりの言い方に、少し怒り気味の信長である。だが、そうは言っても信長の発言の突拍子のなさのほうが問題なのだ。


「信長殿。馬鹿な俺でもわかるように説明を頼むでござる。一体、どう考えたら、将軍の傀儡かいらいと将軍足利家の終焉が結びつくでござるか」


 盟友の松平家康もちんぷんかんぷんだ。しかしながら信長の発言は、とんでもないことであることは確かだ。家康は抜け出せない泥沼に足を突っ込んでしまったのではないかと、内心ひやひやである。


「ふひっ。信長さまは凄すぎでございます。この僕、明智光秀の浅慮では到底、思いつきもしませんでした」


「謙遜はよしてください、光秀くん。きみなら、先生がこう言った時点で、すでに青写真を描き始めているのでしょ?」


 明智光秀は顔をほんのり赤くし、自分の頭を回すようになでる。


「ふひっ。考察中ゆえ、なんとも言えませんが、信長さまが偉大なことをしようとしていることだけはわかるでござる」


「偉大って、光秀。お前、何言ってんだよ。奉戴する予定の足利家を潰すって言ってんだぞ。そこらの大名じゃない。将軍家をだ」


 信盛のぶもりは堪らず声を荒くする。


「下手すりゃってか、下手をしなくても、織田家うちは逆賊になる。本当に、全国の大名が敵に回るぞ」


「もし、そうなっても、家康くんは、わたしについてきてくれますよね」


 信長が、ふっふっふと笑う。家康は状況を完全に飲み込めていない。だが、もう逃げ場がないのだけは確かだ。


「お、おう。俺は信長殿を裏切ることはしないでござる。安心してくれ」


「さすが、家康くんです。これをもし長政くんに言っていたら、即刻、同盟破棄されてたかもしれませんね」


 家康は確かにそうだと思った。利に聡い男、浅井長政。彼が将軍家に盾突くつような常識外れなことに賛同するとは到底、思えない。だからこそ、彼はこの会合から外されたのだ。


「織田家から受けた御恩を返せると言うのなら、不肖、この家康。粉となっても織田家とともに歩ませてもらうでござる」


「ありがとうございます。家康くん。後悔はさせませんので、これからもよろしくお願いします」


 信長と家康は固い握手をする。2人の絆はより深いものとなったようだ。


「さてと、一足跳びに将軍足利家の滅亡なんて言っちゃいましたが、最初からきちんと説明していきましょうか。そうでなければ、いくら織田家うちの重臣たちと言えども納得できないでしょうから」


 納得できないコンビ、貞勝さだかつ信盛のぶもりの2人を神妙な顔つきで、信長は見る。いつでも食ってかかってきそな目をしていますね。これは説明が長引きそうですと信長は思う。


「まず、将軍足利家の傀儡かいらい化についてですが、これについてわからないと言う方はいますか?」


「ん…。全然、わからない。織田家うちは三好家のように、足利義昭あしかがよしあきに政権を作らせて、そこから甘い汁を吸うってこと?」


 佐々(さっさ)成政は思ったことを素直に口にだす。彼の良い点は疑問があれば率直に発言し、人に聞けることだ。


「ふひっ。認識が間違っているでござまいます。佐々(さっさ)殿。信長さまは三好家のようなことはしないでございます」


 明智光秀がビン底眼鏡をくいっくいっと揺らす。


「ん…。甘い汁を吸わないなら傀儡かいらい政権を作る意味がないんじゃないの」


「わ、わかりました。わたし。信長さまが考えている傀儡政権の形が、お、おぼろげながら見えて、きました」


 今まで黙っていた秀吉が発言する。


「の、信長さまは、足利義昭あしかがよしあきさま自身には興味はないが、将軍としては利用価値があると、言いたいの、ですね」


「ん…。だから、みんながやってきたように管領職をもらい、利権をもらうってことじゃないの」


管領職とは、将軍家を補佐する職だ。わかりやすく言えば、大名家における家老職といったところか。管領とはそれほど、幕府にとっての最重要ポストなのである。


「い、いえ、違うんです。信長さまがやりたい、のは。信長さまは、足利義昭あしかがよしあきの名だけ借りて、直接、政治を執り行うつもり、です」


 佐々(さっさ)は目を白黒させる。


「ん…。何言ってるの、猿。そんなのさすがに将軍様が許してくれないでしょ」


「じ、実際にどうするかは、これから決めていくんだとおもい、ます。でも、大きな範疇で言えば、将軍という権威の笠の下、信長さまは直接、全国の大名に命令を出したいと思っているんだと、わたしは考え、ます」


 秀吉が今まで押し黙っていたのは、信長の考えを必死に推測するためだったのだ。部分部分で示されてきたピースを合わせて、さらにそこに信長さまならばという考えを加え、この推論に達した。


「秀吉くん、鋭いですね。そこまで考えが及ぶとは、先生、思ってもいませんでした。大体の部分では秀吉くんの言ってることに間違いはありません」


 信長がほうほうと、秀吉に感心する。前々から察しのいい男だと思ってきたが、ここらでまた、ひと皮むけそうですね。


「ん…。できるできないはともかくとして、信長さまの考えていることが分かってきた。ありがとう、秀吉」


 秀吉は、恥ずかし気に下をうつむく。こんな考え方ができるのだ、もっと堂々とすればいいのにと佐々(さっさ)は思う。


「にわちゃんは思うのです。潰すくらいなら足利義昭あしかがよしあきを将軍にぷろでゅーすして、得があるのかと思うのです。足利義栄あしかがよしひでを、三好三人衆からかっさらったほうが早いのではないのかと」


「それは無理ですね、足利義昭あしかがよしあきを奉戴しないと、そもそも京に上る大義名分がないじゃないですか」


 あ、そうだったと丹羽長秀にわながひでは、自分の頭をこつんと1回たたく。


「にわちゃんは思うのです。なんだか面倒だと」


「面倒なことは、たくさん山積みしていますよ。三好三人衆を追い出しても、京で名声を得られなければ、先生たちはそれだけでならずもの扱いです」


「うわあ、にわちゃんがぷろでゅーすしなきゃいけないことが山積みなのです」


「そうですよ。丹羽にわくん。仕事がたくさんできます。さっき倒れてた貞勝さだかつくんと頑張ってもらいますからね」


 名前を言われた貞勝さだかつがどきっとした顔をこちらに見せる。彼はさきほど医者から処方された、動悸に効く薬に手を伸ばそうとする。


貞勝さだかつくん。今からそんなんじゃ困りますよ。あなたは未来の京都所司代きょうとしょしだいなんですから」


 京都所司代きょうとしょしだいと言えば、京の都の内政や朝廷との交渉を一手に引き受ける管理職だ。


「えええ。なんで、そんな大層なものを、わたしにくれるのじゃ。なにかの奸計なのじゃな!」


「やだなあ。貞勝さだかつくんの政務能力を買ってのことです。あ、ちなみに構想では、前田玄以まえだげんいと秀吉くんがあなたの補佐に付きます」


 末席にいた、前田玄以まえだげんいが目をむく。そんな話聞いてないといばかりの表情である。


「織田家の躍進がうまく行けば、貞勝さだかつくんと玄以げんいくんは大出世を約束されているのです。もっと喜んでくださいよお」


「そ、それは、内政面から将軍家を追いやれと言っているのと同義じゃないのですか?」


「はい、そうです。さすが玄以げんいくん。わかってますね。わたしは有能な家臣を持って幸せです」


 そう言う信長とは、正反対に、なんて上司のもとで働いているんだ拙僧は、という顔を前田玄以まえだげんいはしている。


「あの、村井さま。わたしにも胃薬をわけてください」


 織田家胃薬愛好会の輪は、こうやってどんどん広がっていくのであった。

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