ー上洛の章 5- 明るい傀儡(かいらい)計画
「で、具体的にどうしたものでしょうか」
そう言うのは信長であった。
「えええ。何も考えてなかったんッスか」
前田利家は信長の発言にあきれ果てる。
「まだ、岐阜を手に入れてから一カ月しか経っていないのですよ。こんなに急に言われるとは思いませんでした。先方も大分、焦っているということなのでしょうかね」
「そうかもしれないッスね。今、京の都の事情はどうなってるッスか。浅井さまはわからないッスか?」
「私もそれほど詳しくはないぞ。持ってる情報は貴殿らとかわらんぞ。ひとつ言えることは、三好三人衆と六角家が手を結んだことだけだぞ」
「足利義輝派だった六角家が、足利義栄派の三好と組んだと言うのですか」
言わば、六角家の勢力鞍替えだ。そこから推測できることといえば
「足利義栄の将軍就任が近いと言うことですか」
信長は思う。これが事実とあらば、足利義昭が焦るのも無理がないということだ。ですが
「岐阜の改善作業がひと段落つかない以上、こちらとしても動きようがありませんね」
「信長殿。この話をなかったことにするのでござるか?」
松平家康がそう問いかける。そうではない。
「いろいろと準備を整えてからでも遅くはないと言いたいのですよ」
家康には信長の考えがいまひとつわからない。いくら、三好三人衆が足利義栄を奉戴し将軍につけたとしても、こちらには、足利義昭というカードがあるのだ。多少、無理をしてでも、ここは攻めの一手のはずである。
「まずは、この戦勝会の祭りを無事、終わらせましょう。時間はまだあります。あせらず行こうではありませんか」
「信長殿がそう申されるというのならば、こちらとしても異論はないぞ。もし、なにかあればすぐに駆けつけるゆえ、いつでも言うがいいぞ」
浅井長政はそう了承する。いまだ、納得がいかない家康は何か言いたげである。
「家康くん。そういえば、三河での木綿事業など、どうなっていますか?こちらとしても助言を与えたいと思っているのですよ」
信長殿は何を言っているのだ。そんなこと、とっくの昔に話あったではないか。と、言いかけた瞬間、家康は、はっとなる。
「そうでござるな。そういう話は祭りの席でするのもアレなので、終わりしだい、話そうでござる」
「では、3日後、三河の件について改めて協議の場をもうけますので、よろしくお願いします」
「わかりましたでござる。では、俺も残り少ない祭りを存分に楽しませてもらうでござる」
そうして、足利義昭奉戴の話は一旦、持ち越しとなったのだった。それから皆はそれぞれで祭りを楽しみ、日々は過ぎていったのであった。
3日後
「いやあ、長政くんには参りました。結局、織田では鮒寿司500口分を買わされましたよ。あのひとは商売上手ですね」
信長はやれやれと言った表情だ。岐阜城はまだ完成していない。そこで仮の会議場として、稲葉山の中ほどにある、信長の屋敷で織田家の主だった武将たちと、松平家康一行、それに明智光秀が呼ばれ、会合を開くことになった。
「徳川家では200口でござる。しかし、そうでもしなければ、まだまだ居座られていたでござろう」
「商売人というのは、利に走ります。ゆえに、慎重を期して、義理に厚い、家康くん。きみにだけ話します」
ごくりと家康は唾を飲む。それほど、この会合というのは、織田家と徳川家の未来を左右することが話される、家康にはそう予感ができた
「ちなみに、今から話すことは、最重要機密です。時がくるまで口外は一切無用です。ここまで聞いて降りると言う方は、速やかに、この会合場所から退場してください」
そして、信長は目を閉じ数分、押し黙る。皆、ひそひそと耳打ちをしあっている。しばらくして、その声もなくなり、会合のその場所は水を打ったように静まり返る。
信長は目を開ける。そして、しゃべりだす。
「1人も欠けることなく、賛同していただき、ありがとうございます。もし、この場から去るものがいたら、命を奪わねばならなかったので、ほっとしました」
「おい、それじゃ、俺たち、最初から拒否権ないじゃねえか!」
出席者の一人である、佐久間信盛は信長にするどく突っ込みを入れる。
「やだなあ、先生、よく言うでしょ。返事は、イエスか、はい、かって」
「どっちも了承じゃねえかよ!」
織田家で、信長の言うことに関して拒否権がないのは、いつものことである。反論したところで言い含められるんだ。それなら最初から、おとなしく話を聞いていた方が利口だ。
「いつものことじゃないッスか、信盛さま。信長さまは狂ってる発言は多いッスけど、間違ったことは、あんまり、うーん、そんなに少なくないっすか。とにかく、最終的には正しくなるッス」
それは擁護してるのだろうか。逆に貶めてる気がすると思う佐々成政であったが、口には出さなかった。
「ガハハッ。終わりよければ、すべて良しと言うでもうす。大船に乗ったつもりで、殿の話を聞こうでもうす」
なんか日本語の使い方がおかしい気がするが、これ以上、突っ込んでいたら、話がすすまないので、またしても佐々は黙っている。
「ん…。とりあえず、殿。続きをお願いします」
おっほんと信長は、わざとらしい咳払いをする。
「実のところ、先生、足利義昭という人間自体には興味はこれっぽちもありません」
「とんでもないことを言いやがったな。そりゃ、こんな秘密会合よろしくじゃないとこ以外では、言えんわ」
信盛は額に手を当て、やや大げさにリアクションをとって見せる。
「じゃあ、なんで、みんなの前で、足利義昭を奉戴するなんて言ったんだよ。おかしいじゃねえか」
「先生がほしいのは、義昭本人ではなく、あの方の名がほしいのですよ」
ふむふむと一同は、耳をかたむける。
「義昭くんが将軍になってくれるのは一向に構いません。それを援助する形で先生たちは京の都に上れますからね」
「義昭自身には興味がないのに、義昭が将軍になるのは手伝うのか。なんだかおかしな話でござる」
そう言うのは家康である。なんで、そんなまどろっこしい言い方をするのか不思議でならない。
「ふひっ。信長さまの考えは、僕には十分わかっております」
明智光秀がしゃべりだす。
「ほう、先生が何を言いたいか、これだけでわかったのですか?」
「ふひっ。信長さまが欲しいのは、将軍という肩書であって、中身はどうでもいい。つまり、義昭さまを傀儡にするということでござる」
信長は、ほほうと声を出す。1を聞いて10を知るというやつですか。
「光秀くん。きみ、するどいですね。細川藤孝殿から書状を託されるだけはあります」
「ふひっ、お褒めの言葉、ありがとうございます」
細川藤孝殿から将軍家に関わる重要な書状を託された以上、能力のある男と思っていたが、これは良い拾い物をしたのかもしれない。
「うっほん。足利義昭さまを傀儡にするなど、畏れ多いのじゃ!」
「こう言うひとが出るのは想像に難くないので、あの祭りの場では言えませんでした。貞勝くん。おわかりですか?」
村井貞勝は、ぐぬぬと、口から漏らす。
「それでは、織田家は三好家と変わらぬのじゃ。それでは悪名ばかりが後世に残るだけなのじゃ!」
「ふっふっふ。先生、もっと悪いこと考えていますから、気絶するなら今の内ですよ」
「信長さまは、ここ最近で一番いい笑い顔をされているのです。にわちゃんは、そんな信長さまが見れて幸せなのです」
「うっほん。丹羽長秀、きさま、この話に1枚噛んでおるのじゃろ!」
「1枚どころか、丹羽くんには、ぷろでゅーすしてほしいことが山ほどとあります。期待していますよ」
はーいと、元気よく右手を挙げて丹羽長秀は、信長に応える。
「いたた。胃が痛いのじゃ。キリキリするのじゃ」
「おーい、貞勝殿。いい胃薬あるから、あとで、わけてやろうか?」
貞勝と同じく、苦労を背負わされる信盛が彼に同情の目を向ける。
「内政組のまたとない仕事じゃないですか。将軍さまを傀儡にできる仕事ですよ、胸を張ってくださいよお」
貞勝が胃のあたりを両手でおさえ、苦々しい顔をする。それを悪魔のような笑みを浮かべて、信長がはやし立てる。家康はその光景を見て思う。違った意味で、これはよっぽど信頼できる人間じゃないと会合に招かれないなと。自由奔放すぎる。俺も胃が軽く痛くなってきたでござる。
「ああ、普段、馬鹿殿、馬鹿殿と言われて、意趣返しができて気分爽快です。笑い疲れて喉がカラカラです。だれかお茶をください」
秀吉が、どこからともなくお茶を入れたヤカンを傾け、信長の湯呑に注ぐ。彼はそのお茶をぐいっと飲み干す。
「ぷはあ。さてどこまで話しましたっけ。つい、貞勝くんをいじるのに熱が入ってしまいました」
「ふひっ。義昭さまを将軍に就けて、傀儡にするとこまででござる」
貞勝に胃薬を渡しおわった信盛が、信長の方を見て言う。
「まあ、傀儡にするって話は分かった。それで、俺たちは最終的にどうするんだよ」
「それはですね」
信長は閉じた扇子を口元にもっていく。
「足利家による幕府を終わらせます」
会合に集まった一同全員は、こればっかりは、さすがにびっくりした。開いた口がふさがらない。まさにそんな顔をしている。
対して、発言者の信長は、産まれてからこのかた、たぶん一番であろう、悪い笑顔を絶やさなかったのだった。