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ー上洛の章 4- 上洛命令

 皆は気絶した明智光秀をよそに、鮒寿司に次々と箸を進めていく。


「ほんと、くさいけど、おいしいわね、これ。やみつきになるわ」


 佐久間信盛さくまのぶもりの奥方、小春も味にはご満悦だ、味には。


「お茶漬けにしても、おいしいぞ。試してみるのだぞ」


 浅井長政にそう言われ、信長のめかけ、吉乃は、お茶漬けでいただく。お茶漬けにした分、匂いは和らぎ、幾分か口に運びやすい。


「ほんとだ、おいしい。ねえ、信長さまも食べてくださいよ」


 信長はさきほど、強烈な匂いのため失神してしまい、鮒寿司には軽くトラウマだ。それでも吉乃の勧められるままに、おそるおそる口に運ぶと


「おお、本当だ。匂いが和らいでいる。これなら、なん杯もいけますね」


「酒にも合うのだぞ、ささ、佐久間殿、柴田殿、どうぞ、食べてくれ」


 そう言われ、無碍に断るわけにも行かず、ふたりは鮒寿司の切り身を口に含み、何度か噛みつつ、酒を流し込む。


「ううむ。これは面妖な食べ物でもうす。匂いは比べるものなきほどのアレなのに、味は極上。さらに酒が臭みを洗い流してくれるでもうす」


 柴田勝家しばたかついえは、あまりの美味さに、ついつい唸る。


「なあ、これ、一匹分でいくらなんだ?そこそこの値段なら買うけど」


 信盛(のぶもり)も気にいったらしく、長政に価格について尋ねる。


「そうですな。一匹分で運送料込で100文(1万円)と言ったところであろうぞ」


「たけえな!さすが高級品だぜ。なかなか手がでないわ」


「100匹分単位で大量購入していただければ、80文に負けるでござるぞ。いかがでござるぞ。保存も効くし、皆で金を出し合えばいいぞ」


 この男は商売熱心である。近江の名産品、鮒寿司をここぞとばかりに押してくる。


「まあ、皆と相談してからだな。小口で頼まれても、逆に長政殿のほうがめんどいだろ」


「そうですな。まとめてもらったほうが良いですな。では、祭りがおわらぬうちにでも、入荷量を決めてほしいぞ」


 祭りが終われば、長政たちは国に帰ってしまう。そうなれば、商機を逃してしまう。ことなかれで、済ませてしまおうかとおもったが、逃げられそうもない。


「そうですね。わたしの奥方連中は大所帯のため、まとめるのに時間がかかり、ぎりぎりになってしまいますが、いいですか?」


 そういうのは信長である。殿(との)は買う気まんまんのようだ。吉乃が気に入ったからだろう。相変わらず、吉乃には甘々な殿(との)だ。


「あの、三河までは、輸送はやってないでござるか?俺も結構、この味が気にいったでござる」


 そういうのは、三河の領主、松平家康である。


「三河であるかぞ。ううむ。少々遠いが、承るぞ。ただ、こちらが送るのは岐阜までとさせてもらうぞ。そこからは、松平殿で運搬を頼むぞ」


「ありがたいでござる。そこまで運んでもらえれば、あとはこちらで担当するでござる。注文も、織田殿といっしょにしたほがいいでござろう」


「そうですぞ。一石二鳥で、輸送費がかさばらずに済みますぞ」


 鮒寿司をめぐっての商談がどんどん、決まっていく。大名同士の商いが進めば、近いうちに庶民たちにもおこぼれが回っていくかもしれない。嗜好品というものは、価格は最初は高いが、身分が高いものの内で愛用されれば、じきに値段も下がり、一般人にも広まっていくものである。


「鮒寿司の大量生産をしなければならなくなかもだぞ。うれしいぞ」


「あんまり一気に増産しちゃうと、なにかあった場合に大変なことになってしまうので気をつけてくださいね」


 世の中には、好景気、不景気というものがある。その辺の波を察知するのも商売の妙だ。



「ぶはあああ、はあはあ」


 失神して固まっていた明智光秀が、ようやく再起動を果たした。


「ふひっ。あまりのうまさに胃がびっくりしてしまったでござる。いつもあわひえのメシを食べて、急に米のメシを食べたときのアレでござる」


「一介の武将なのに、あわひえのメシッスか。織田家の下級兵士ですら、いまや、米と(あわ)の半々ッス。光秀殿、よっぽど主君に恵まれてないッスね」


「ふひっ。織田家がうらやましいでござる。わたしも織田家に仕えたいでござる」


「信長さま、なんだか見てるだけでかわいそうッスから、雇ってあげてくださいッスよ」


「ううん。わたしは別に構わないんですが、引き抜くとなったら朝倉殿がなにか言ってきそうで」


「朝倉殿は浅井家と親交が深いぞ。なにかあれば、こちらから口添えをしとくぞ」


 浅井長政も、光秀の境遇に同情したのか、引き抜きに関しては積極的である。


「ふひっ、ふひっ。みなさん、ありがとうでござる」


 明智光秀は、涙をはらはらと、はらはらと流している。


「あ、あの。いつも思うんですけど、このぱたーんって、初日の訓練で後悔するやつ、ですよね」


 秀吉はいらないことを言う。皆が一様に、口にひとさし指を当て、しいいいと息を吹く。


「ふひっ。初日の訓練がどうしたでござるか。受けた御恩、訓練ごときで挫ける心ではありませんでござる」


 光秀を見る皆の顔は、一様ににやにやしはじめた。ああ、いつものパターンになるのか、光秀殿がんばってくださいと心の中で祈る秀吉である。



「ところで、光秀くん。きみ、気絶する前になにか言いかけていませんでしたっけ。使者がどうたこうたら」


「ふひっ。そういえば、肝心なことを言い忘れてました。こ、これを見てください」


 光秀はそういうなり、どこから取り出したか、縦に長い桐の箱を差し出してくる。


「これは、なんですか。大層なしろものに見えますが」


「ある方からの書状です。読んでみてください」


 信長は光秀から手渡された桐の箱の蓋を開け、中にはいっていた書状を広げる。そこに書いてあったのは



 ・まずは美濃(みの)攻略、めでたき所存。ますますの貴殿の発展をお祈りする。


 ・貴殿は今や2か国を治める大大名となった。つきましては内々にお願いしたきことがある。



「なんか、やたらと上から目線ですね、この書状。一体だれからですか」


 明智光秀は、信長に続きを読むよう、促す。信長は少々、嫌気をもよおしながらも読み進める。



 ・先年、将軍・足利義輝あしかがよしてるさまが弑逆しいぎゃくされたのは知っておるはず。


 ・いまや、京は足利義栄あしかがよしひでを奉戴する、三好三人衆によって牛耳られている。


 ・だが、希望はまだある。足利義輝あしかがよしてるさまの弟君・足利義昭あしかがよしあきさまがいらっしゃる。


 ・貴殿に命ずる。足利義昭あしかがよしあきさまを奉戴し、京に上れ。


 ・足利義栄あしかがよしひでを京から追い出し、足利義昭あしかがよしあきさまを将軍職へ就けるのだ。


 ・署名 細川藤孝(ほそかわふじたか) 足利義昭(あしかがよしあき)


 信長はガタっと椅子から跳ね上がる。急激に酔いが冷めていく感覚に襲われる。


「光秀くん、これは一体、どこで手にいれたんですか!」


「ふひっ。細川藤孝ほそかわふじたかさまから直々に書状を受け取りました。今、足利義昭(あしかがよしあき)さまは、越前の地で潜伏されています」


「代々、将軍家付きのお家の細川藤孝ほそかわふじたか殿からですか。これは驚きました。きみ、鮒寿司で気絶してる場合じゃないでしょうが」


 光秀は、顔を赤くし、こりこりと頭をかく。


「の、信長さま。どうされるん、ですか。これは一大事、です」


 書状を前から覗き込んでいた秀吉までも、顔を赤くしあたふたとしている。


「ガハハッ。やっとお声がかかりましたな、殿との。2年もまたされたでもうす」


 横から覗き込んでいた柴田勝家(しばたかついえ)は、なんだかうれしそうだ。


 そうだ、2年前の1565年5月、将軍・足利義輝あしかがよしてるさまが三好三人衆と松永久秀に襲われ、弑逆しいぎゃくされた。その後、足利義昭あしかがよしあきさまは、三好三人衆の包囲網をからくもくぐり抜け、全国行脚し、自分を将軍に押し上げてくれるものを募っていた。


 当時、斉藤龍興さいとうたつおきと争っていた織田信長は、足利義昭あしかがよしあきを上洛させる旨を書状にしたため送ったのだが、返事は、冷たいものであった。要はにべもなく、拒否された。小国の大名になにができようかとのことであった。


「ふふっ、はははっ。面白い冗談ですね、このひとたち。馬鹿にするのもいい加減にしてほしいですよ」


 信長は当時のことを思い出し、吹きだしてしまう。それもそのはずである。歯牙にもかけなかった相手に、状況がかわるやいなや、いまや頼み事をしてくるのである。しかも上から目線だ。これがおかしくなくてなんであろうか。


「所詮、守護大名の家老のそのまた家老の出身相手には、下出には出れないということでしょうか」


 はっきり言って、この書状の物言いには腹ただしい。相手は将軍候補。自分は上司を隅に追いやった下剋上の大名。身分の差は天と地ほどにも差ががあるのはわかっている。


殿との。腹ただしい気持ちはわかる。けどな、これを蹴っちまったら、俺たちは京に上る大義名分を失っちまう」


 信盛のぶもりは、おそるおそる信長に進言する。


「そうだぞ、信長殿。この絶好の機会。いらぬ誇りで、みすみす逃してはいけませんぞ」


 浅井長政が信長の背中を押す。


「俺もこの話には乗ったほうがいいと思うでござる。信長殿、どうか御辛抱を!」


 松平家康も同意見のようだ。ここに集まる大名たちは、出身に傷があるものばかりだ。豪族の出である浅井家しかり、一度、今川家に従属し滅ぶ寸前までいった松平家。そのものたちから見たら、この書状は喉から手がでるほどのものだ。


 信長はふうううと長い息を吐く。


「わかりました。この信長、この話に乗りましょう。皆の者、準備を怠らないようにお願いします」


 信長を囲む一同は、わああと、そして、おおおと声を上げる。


 信長が京に上る。その日の実現はほど近いのであった。

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