ー上洛の章 3- 明智光秀 参上
信長一行は湯あみを終え、夕飯にありつこうと、祭りの会場に向かう。佐久間信盛のおごりだから、みんな、何を食べようかとわくわくしている。
「あー、わたし、鳥の丸焼き食べようかな。タレ味で一回、食べてみたかったんだ」
「えー、吉乃ちゃん、見かけによらず大食いだね。じゃあ、わたしは天麩羅5種盛り合わせでえ」
「あんたたち、いくら、うちの旦那のおごりだからっていって、残したら承知しないよ」
吉乃、梅、小春が楽しそうに、夕食でなにを食べるか談笑している。湯あみで酔いがすっかり冷めた信盛も、喜んでくれるならそれでいいかと思う。
「佐々くん。わたしは、豚の丸焼きを食べようとおもうのですよ。タレで」
「ん…。信長さま、意外と大食い。残したら大変。自分も手伝う」
こちらは、殿と佐々成政だ。こいつらの嫁をダシにからかってたら、なぜか旦那連中の分までおごるハメになったのだ。納得いかねえ。
「信長さま、佐々さん。うちのが迷惑かけた分、おもいっきり食べていいからね」
「ご相伴にあずかります。ほら、佐々くんも感謝する」
「ん…。信盛さま、ありがとうございます。自分は酒が飲みたいです」
ぐぬぬと信盛は喉をうならすが仕方ない。
「ちっ、仕方ねえ。おい、お前ら、おごりだからっていって、ハメはずしすぎんなよ」
「あ、あの。わたしたちにはなにかないの、ですか」
「そうッスよ。信長さまと佐々だけなんてずるいッスよ」
木下秀吉と前田利家が抗議する。俺らにもなんかよこせと。
「ああ、わかったわかった。今日は特別だ。お前らも好きなもの食べろ」
猿と利家は、やったぜとばかりにお互いの手を合わせ、打ち鳴らす。
「ガハハッ。してやられたりとは、このことでもうすな」
「そう思うなら、少しは出してくれよ。勝家殿」
「いやでもうす。わしも信盛殿におごってもらいたい気分でもうす」
「勝家殿におごったら、それこそ、俺の財布がすっからかんになっちまう。そんなことできるか」
集団は、信盛から100文(=1万円)づつもらい、各々、手に皿とお椀をもち、屋台へと向かって行く。信長と佐々は、まじで豚の丸焼きを食べるらしく、焼肉屋に注文しにいきやがった。
しばらくし、信長一行は、机に戦利品の料理たちをずらりと並べ、米のメシをおひつからよそい、みんなに配っていく。酒も熱燗、冷、ぬる燗と準備万端だ。さすがに豚の丸焼きは時間がかかるらしく、あとで持ってきてくれるらしい。
信長は、んんっと喉を整え言う
「さてさて、のぶもりもりくんのおごりによる、晩餐会、始めたいと思います。みなさん、乾杯の準備はよろしいですか?」
皆は湯呑に、茶や酒を注ぎ、片手にそれを持つ。よく見れば、浅井長政、松平家康も輪にはいっている。
「それでは、これからの皆さまの発展を願いまして、かんぱあああい!」
かんぱあああいと、周りのものも声を出し、湯呑を互いに、カチンと軽く合わせて音を出す。そして、みな、料理に箸をつけ、談笑を始める。
「猿。それうまそうッスね。少しよこせッス」
秀吉が茹でた枝豆に塩をふったものを、手づかみでぽりぽり食べていたのを、利家が横から手を伸ばす。
「こ、これ、お酒にあうんですよ。あそこの屋台にあるんで、足りなくなったら、また買いにいき、ますね」
「ほほう、これはいい塩梅ですね。わたしも、もっと欲しいです。お願いできますか?」
猿は、うっきいと言い、屋台にすばやく向かって行く。酒のつまみといえば、ほかに干した魚や、あつあつの餅なども合う。奥方たちも、めっぽう酒に強いものもおり、酒やつまみがどんどんなくなっていく。そのたびに秀吉が駆り出され、机に補充されていく。
「おいおい、秀吉。お前、仮にも墨俣の城主なんだ。そんな雑用、だれかに頼めよ」
「い、いえ。もてなす心を忘れてはいけないと思い、ます。これも一種の修練なの、です」
そういうもんかねと、信盛は思う。猿は出世しても頭が低い。それゆえ、上のものにも、下のものにも好まれている。まあ、惜しむは猿みたいな容姿であることだろうか。
「しかし、俺が持ち込んだ酒など、2日ももたずに飲み切ってしまうとは思わなかったでござる」
そういうのは、家康である。めでたいとのことで、三河から選別した酒を持って参上したものの、樽ごと飲む筋肉がいるわで、すぐに飲み干されてしまったのだった。
「それはうらやましいぞ。うちが持ち込んだ鮒寿司は、まだまだ大量に余っているぞ」
「あー、あれッスか。うまいんッスけど、匂いが匂いッスからね。ひとを選ぶッス」
長政は少し残念そうだ。その表情を見て、信盛の奥方、小春が言う
「そんなにすごい匂いなのかい?美味しいなら一度食べてみたいもんだけど」
「信長さまが、うまあああいと言いながら匂いで失神したッス。ほんと、味はいいんすけどね」
「なんかすさまじい光景が目にうかぶねえ。俄然、興味がわいてくるよ」
「おお、奥方どの。食べてみるがいいぞ。きっとやみつきになるぞ。お市も喜んで食べているぞ」
「ふうん。じゃあ、あとで、持ってきてくれるかい?みんなで食べてみようじゃないの」
長政は破顔し、部下を呼び出し、あとで鮒寿司を人数分、持ってくるように指示を出す。
「なんか嫌な予感がするのは、自分だけッスかね」
「いえ、利家くん。わたしもきみに同じくです」
利家と信長は少し、遠くを見るように、小春と長政のやりとりを見る。
豚の丸焼きが机に届く。みな、うわああという声をあげ、小刀で切り分けていく。タレだけじゃなく、赤みそでも試してほしいと、店主は赤みそをおいていく。
「俺、腹の部分が欲しいッス」
「わたしは、腰の部分をいただきましょうか」
「ん…。自分はモモ肉かな」
「ふひっ。僕は肩の部分をください」
みな、見慣れない声を聞き、ガタッと椅子を鳴らす。
「き、きみ。誰ですか。いきなり現れて」
「ふひっ。おいしそうな匂いにつられてやってきたでござる」
その男は、ビン底眼鏡に出っ歯。ボロの着物を着て、まるでその姿はネズミ男と言ったところだろうか。
「僕のことは置いといて、ささ、はやく切り分けましょうでござる。おなかが空きました」
「おい、お前、一体だれなんだ、名を名乗れ」
信盛は注意深く、そのビン底眼鏡の男を見る。すると後ろのほうから丹羽の声がする
「ちょっと、光秀さん。勝手にどっかいかれては、にわちゃん、困るのです」
光秀と呼ばれた、その男は丹羽長秀の方を見て言う。
「ふひっ、すいません。お腹がすいていたもので、つい、楽しそうに食べている、この方たちにまざってしまいましたでござる」
「丹羽くん。この方は誰なんですか?」
「信長さま。にわちゃんが聞いた話では、名は、明智光秀で、一乗谷からやってきたんだそうなのです」
「一乗谷といえば、朝倉家の本拠地ですが、あなたは朝倉家からの使者なのですか?」
明智光秀は、豚の丸焼きの肩の部分をタレでいただきながら、米のメシをかきこんでいる。そうとう腹が減っていたのだろう。光秀は、かきこんだ肉とメシをしっかりかみしめるように、涙を流しながら食べている。そして、おもむろに箸を箸置きの上に置き、信長のほうへ両手を合わせ一礼する。
「助かりました。お金がなく、昨日から何も食べていなかったので。生き返ります」
はらはらと、はらはらと光秀は涙を流している。よっぽどひどい境遇にあるように見える。
「あ、あの。身勝手なお願いなのですが、僕の家臣にも何か食わせてもらえませんか。彼らは、貧乏なわたしに尽くしてくれている忠実なものたちなのです」
信長は信盛に目配せする。信盛は後ろに控えていた、光秀の家臣4人に、ひとりそれぞれ100文(=1万円)を渡す。
「ありがとうござます!この御恩は一生忘れません!」
光秀の家臣たちは、屋台の中へ消えていく。
「朝倉ってのはひでえもんだ。自分とこの家臣にまともに給金を払ってねえのかよ」
「ふひっ。しょうがないのです。僕たちは困窮していたところを朝倉さまにひろってもらいました。捨扶持をもらい、末席を汚している身分です」
「それにしてもよ、扱いがひどすぎる。自分とこの使者になんていう仕打ちしてんだよ」
信盛は怒りが込み上がってくるのを抑えられない。
「ふひっ。僕のことを思い、怒ってくださるのはありがたいでござる。ですが、僕は朝倉の使者ではありません」
「朝倉の使者ではないというのですか。では、一体だれの使いで、越前くんだり、ここまできたのですか」
「そ、それはですね」
明智光秀は言いにくそうに口をもごもごしている。この男には何かある、信長の直観がそうささやく。
「おおい、信長殿。鮒寿司が届いたぞ。みんな、食べるてみるがいいぞ」
浅井長政が話の腰を折ってくる。ああ、まったく。彼ときたら、マイペースと言えば聞こえはいいが、少々過ぎる部分が多い。
「鮒寿司とは、噂に聞く、あの近江の高級食でござるか。是非、僕にも食べさせてほしいでござる!」
光秀の目がキラキラと輝いている。信長はやれやれと思う。腹が減っていては、話が続かないのであろう。少し、腹に詰めさせてから続きを聞きましょうか。
「くっさああああ!でも、うまああああいいい!」
光秀は、うまさと臭さで、涙と鼻水をたらしながら失神したのである。




