ー上洛の章 2- 裸の付き合い
祭りは3日を過ぎてもおさまる気配を見せない。昨日は武術大会が行われ、今日は今日とて、相撲大会が開かれている。若者たちがふんどし一丁の姿になり、それぞれに相撲の腕を競いあっている。
相撲のいいところは別段、武器の扱いに長けていたりしなくても、気軽にだれでもできるという点だ。
「見合って見合って、はっけよい、のこった!」
そこかしこで行司たちの声が行きかう、そのたびに、ばっちいいんと肉体と肉体がぶつかり合う音が聞こえる。
「猿、くるッス。今度こそ、俺が勝つッス!」
「とおおりゃあああ!」
前田利家が猿こと木下秀吉にぶん投げられる。彼我の身長差、20センチメートル以上なのに、猿は相撲が強い。
「あいたたた。また負けたッス。猿はなんでそんなに強いんッスか」
「はっはっは、柔よく剛を制すです。あなた、完全に呼吸を秀吉くんに読まれてますよ」
信長は豪快に投げ飛ばされる前田利家を見て、大いに笑う。
「ふ、ふうう。利家さんとの勝負は緊張してしまい、ます」
相撲をとるときの秀吉は、真剣そのものだ。相手の勢いをもって殺す。呼吸を読むことに全神経を集中しているのだ。
「利家くん。覚えておきなさい。あなたは攻めの息は確かに強いのですが、引くことの大切さも知らなければなりません。図体の大きさを笠に着て、体の使い方がぞんざいなのです。だから読まれやすい」
信長がくどくどと解説をする。そんな解説を聞きながら、利家は疑問におもった。
「そういう信長さまは、猿と戦ったら勝てるっすか?」
「いい質問ですね。では1番、とりましょうか。猿、手加減は無用です」
「え、ええ。いい、んですか?」
「はい。先生に勝てたら金一封を与えますよ。だから本気で来てください」
そういうと、おもむろに着物を脱ぎだす信長であった。信長は相撲好きで知られている。観戦するだけにこと足りず、実際にも力士たちと相撲を取っていたと言う記録がのこされている。
「やっぱり信長さまは、きれいっすね」
利家は信長のふんどし一丁の姿に、よだれをこぼしそうになる。ほどよくついた筋肉がしなやかな身体を、より美しく魅せる。そこかしこの刀傷や、矢傷もその肉体という名のキャンパスを彩るのにふさわしい。
「双方、見合って見合って、はっけよい」
行司役が進行を御する
「のこった!」
秀吉は信長の腕を取りに行く。左腕を信長の右腕に添え、右腕を浅く、腰に回そうとする。体勢としては申し分ない。あとは信長の呼吸に合わせて投げにいくだけだ。
対して、信長は脱力している。いつ、どんなことをされようが素早く対応できるように、うまく身体から緊張を抜いている。そんな信長がぴくりと動いたように見えた。
「い、いまです。てやあああ!」
しかし、投げたはずが手ごたえがない。信長は見事に、秀吉の後之先をとり、秀吉の投げをすからせ
「もらいました」
すぱああんと、信長は秀吉の足を払う。掴んでいた腕を支点にして、秀吉が宙で半回転をする。信長は秀吉が頭から落ちないように調整し、地面に落とす。
「ま、まいりました!」
「ふっふっふっ。なかなかいい線行ってましたが、まだまだですね」
「信長さま、すごいッス。なにが起きたのか、さっぱりわからなかったッス」
「行動にダマシをいれたのですよ。それに秀吉くんが引っかかって、動いてしまったところを、かうんたーを入れたまでです」
「説明されてもわからないッス」
きょとんとした顔をする利家を、やれやれと言った表情で信長は見る。
「実際の戦場でも使える技です。わからないなりにも理解しようと努力はしてくださいね。虚実を織り交ぜるのが用兵の神髄です」
「は、はい!勉強になり、ます。まだまだ、わたしは努力しないといけま、せん」
「秀吉くんは素直でよろしい。まあ、利家くんも違う意味で正直なのですが」
へへっと利家は、やったぜという顔をする。
「いや、褒めてないですからね、利家くん。あなたは要特訓ですよ」
「へいへーいッス。じゃあ、秀吉。もう1番、よろしくッス!」
「は、はい!いきま、すよ!」
相撲を取り終え、汗と砂だらけになった身体を洗い流そうということで、みなで銭湯にはいりにいこうという話になった。相撲をとっていた浅井長政と松平家康も誘い、一行は、お湯を浴びにいく。
この時代の銭湯は、サウナ風呂が一般的であり、湯がはってある銭湯は貴重であった。共同湯であるから、湯のなかには浸かれないが、浴びれるだけでも気分のやすらぎがちがう。
「いやあ、家康殿、なかなか相撲がつよいのだぞ。一体、どこで訓練しているのだぞ」
「俺は、昔、かんぷなきまでに叩きのめされたことがあったでござる。それから、ほぼ毎日かかさず、訓練を重ねているでござる」
「ほう。家康どのをそこまでさせる御仁とは一体、どなたぞ」
「信長殿が家臣。柴田勝家さまでござる。彼の筋肉は、まさに美。それ以上に表現することはできないでござる」
浅井長政と、徳川家康は、湯を浴びながら談笑を行う。
みな、短い竹の竿と手ぬぐいをつかい、身体をごりごりと洗う。
「お、そこ気持ちいいッス、もうちょっと強めにお願いするッス」
「ん…、このへん。このへんがいいの?」
佐々が利家の背中を洗っている。背中はどうしても見えないため、誰かに洗ってもらうのがいい。佐々はごしごしと、てぬぐいでその背中をこすり、湯を浴びせる。
「ふっふう。しみるッスねえ。おっし、つぎは俺が佐々の背中を洗うッス。後ろ向けッス」
「ん…。お手柔らかに」
「へへっ。槍の又左の腕を見せてやるッス」
竹の竿を巧みにつかい、垢をうきぼりにしていく。そして手ぬぐいとお湯でサッと、背中をなでキレイにしていく。その手際はよく、背中を預けている佐々の表情もくずれていく。
「ん…。いい。そこ、気持ちいい」
「へへっ。ここッスか。気持ちいいッスか?」
秀吉は、利家の手つきを見て、自分も背中を洗ってもらおうかどうか、悩んでしまう。いつもぶっきらぼうな佐々の顔が恍惚なものになっているのを見るに、相当、気持ちいいのがわかる。
「あ、あの、利家さん。わ、わたしの背中もお願いしていい、ですか?」
「お、猿。お前も俺のテクニックを味わいたいッスか?まってろッス。次にやってやるッスからね」
利家も頼まれるのは悪くない気分らしい。ふんふんと鼻を鳴らしながら、佐々の背中をきれいにしていく。
「よっし、佐々。終わりッス。あとで5文(=500円)くれッスよ」
「ん…。脱衣所で牛の乳が売ってるから、それでいい?」
「毎度ありッス!さあ、次は猿の番ッス。後ろ向けッス」
秀吉はおそるおそる、背中を利家に預ける。その後、しばらくの間、秀吉は極楽の時間を味わうのであった。
「相変わらず竹竿の使い方が絶妙ですね、利家くんは」
「そりゃ、信長さまに鍛えられたッスからね。信長さまは注文が多くて大変だったんッスから」
「今では、槍の又左と言われるほどの使い手になって良かったじゃないですか」
「人間、何が人生を左右するかわかったもんじゃないっすね。背中を洗う技術が、そのまま、槍さばきに使えるとは思わなかったッス」
はははっと信長は笑う。つられて、利家も笑いだす。本当にこの2人は仲がいい。
「ガハハッ!皆、ここに居たでもうすか。我輩も、酒を浴びすぎたゆえ、汗にして流しにきたでもうす」
「うぃい、ヒック。おう、馬鹿殿。元気でやってるか、ヒック」
銭湯にやってきたのは、柴田勝家と佐久間信盛であった。二人は飲み比べをしたらしく、酔いつぶれた信盛を勝家が担いできたようだった。
「勝家さまあ。うちの馬鹿をよろしくおねがいします」
脱衣場のほうから、信盛の奥方、小春殿の声が聞こえる。武将の奥方たちも湯あみに来たようだった。久々に顔を見せ合うものたちもいるようで、きゃっきゃと騒いでいる声が隣の浴室から聞こえてくる。
「あら、梅ちゃん、見ない間にすっかり大きくなった?胸が」
「そ、それは、なっちゃんが毎晩、もんでくるから」
「へえ。いまだにお熱いことでよろしいこと」
「そ、そういう、吉乃ちゃんこそ、子供を産んだとは思えないほどいい体型してるじゃないの」
「そ、それは、信長さまが、体型維持は大切ですとばかりに、運動をさせられるので」
「へえ、運動ねえ。お盛んなことで」
なっちゃんこと、佐々成政と、信長は顔を赤くして、下をうつむいている。
「おいおい、殿お。吉乃ちゃんはお気に入りなんでちゅかあ。これはいいこと聞きまちたでちゅねえ」
信盛はにやにやとウザい顔をしながら、言い詰めてくる。
「う、うるさいですね、のぶもりもりのくせに。あとで覚えておくといいですよ」
信長は赤い顔をさらに赤くする。こんな信長を見ることなんて滅多にない。もっといじってやらないといけないとばかりに信盛はつっかかっていく。
「おおおい、吉乃ちゃん。信長のやつが顔真っ赤にしてるぞ。もっと言ってやれ」
「え、ええ!?こっちの声聞こえてるんですか。ちょっと、聞かないでくださいよ」
「うへへ。ばっちり聞こえてますよお。佐々が意外とすけべだったってこともな」
「ちょっと、やめてください、せくはらで訴えますよ」
吉乃と梅ちゃんが必死に抗議する。だが、信盛は酔った勢いで、やめない。
「おい、信盛。調子にのってんじゃない。あんた、今夜は飯ぬきにするよ?」
信盛の奥方、小春がキレている。やべえと思った信盛は平謝りを開始する。
「す、すまねえ。ちょっと酔っ払って調子こいちまった。許してくれ、小春!」
「ああん?じゃあ、吉乃と梅に迷惑かけた分、夕飯の代金は、あんた持ちだからね」
「小春さん、わたしたちの分もおねがいします!」
信長が今が反撃の時とばかりに、小春の言に乗っかっていく。
「ああ、いいよ。みんなの分、まとめて払いな。信盛」
「ええ、殿の分まで払うのかよ。それはちょっと」
「おだまり!決まったことに文句を言わない。退き佐久間の名が泣くよ!」
「ひ、ひい。わかりました。しっかり払わせてもらいます」
あの信盛がたじたじだ。男衆の皆は思った。小春殿はキレさせないでおこうと。




