ー上洛の章 1- 美濃(みの)攻略おめでとう会
美濃攻略完了から早1カ月が経とうとしていた。岐阜城の新築、兵士用の長屋の建築は急ピッチで進められていた。
「おーい、そこの釘とってくれ」
「そこの材木、押さえておいてね」
とんてんかん、とんてんかん、ぎーこ、ぎーこと岐阜のそこかしこでトンカチ、ノコギリの音がこだまする。大工たちだけでなく、兵士たちも建築に駆り出される。彼らは軍隊というだけでなく、実際の戦場では工作兵ともなるのだ。建築における経験はどこでも生きてくる。
当然、建築作業を行っている兵士には給金にちょっとした色がつく。こういうのは他の大名家では見られない、それが織田家の特徴だ。そのため、作業への士気は1カ月経った今も高く、作業はガンガン進んでいく。
「この材木はどこに持っていけばいいッスか?」
「あー、それはあちらの第3区画のほうにおねがいします」
織田家特有と言えば、この方、織田信長自身が建築作業の指示役となり、現場にでてきていることだ。他の大名なら絶対と言っていいほどありえない。
「うっほん。わたしまで駆り出されるとは。年長者を敬ってほしいのじゃ」
「そこ、無駄口を叩かない。ひとはどれだけいても足りないくらい作業があるのです。日頃、身体を動かしてないのだから、いいではないですか」
「朝の5キロメートル競歩はやっているのじゃ。それでかんべんしてほしいのじゃ」
愚痴を言うのは村井貞勝である。彼は役人畑の人間であり、本来は指示にまわるはずなのだが、とにかく人手が足りない。城が完成してない以上、城勤めもできまいと、武将たちも駆り出される始末である。
「俺っち、本当は伊勢・志摩攻略の担当のはずなんっすけど。俺っちまで呼ばれるってどんだけ足りてないっすか」
こちらで文句を言うのは滝川一益である。彼は北伊勢を攻略し、いまは、南伊勢・志摩(三重県中部以南)の攻略担当をしていたのだが、そちらのほうが上手くいっていると言ったら、じゃあ、こちら、手伝ってくださいと駆り出された。
「一益くん、いつもひとりで寂しそうだから、岐阜改造の一大事業に呼んだんです。何か不満ですか?」
そう言われると、一益にも立つ瀬がない。山内一豊などや他の武将たちもいることにいるが、美濃攻略を行っていた主将たちとは、顔を合わす機会がほとんどなかったから、いい機会と言われれば、返す言葉もない。
「まあ、それもそうっすね。俺っちの嫁もみんなに会いたがってたし、調度いいといえばいいっすか」
滝川一益は、第1回織田家合婚をきっかけに、嫁と仕官先を手に入れた。そのとき、いっしょに出席したメンバーも、嫁を娶っている。その同期と会いたいなと、いつも嫁に愚痴られていた。岐阜に出向くことになったので、いっしょに連れてきているのである。
「ん…。一益。会えてうれしい。うちの梅ちゃんも喜んでた」
その結婚同期のひとり、佐々成政が一益に声をかける。
「お、佐々っち。お久しぶりっす。活躍のほどは聞いているっすよ」
「ん…。一益ほどじゃない。伊勢攻略が終われば、城主になるって噂は聞いてる」
「へへ。そうは言われても、まだ先の話っすよ。でも、俺っちは、最前線で戦える佐々っちのほうがうらやましいっすけどね」
佐々は美濃攻略の戦功で、近い将来、兵1千を任せされるであろう。だが、滝川一益は、すでに城代に任じられている。織田家の伊勢攻略は、この男に頼り切っていると言って過言ではない。
「あ、か、一益さん。それに、さ、佐々さん。こんにちわ、です」
「お、出世といえば、美濃攻略の一番の出世頭がきたっすよ」
「ん…。秀吉、こんにちわ。そっちの区画の進み具合はどうなの」
「は、はい!おかげさまで、納期より早くすみそうです。担当のとこが終われば、ほかのとこのお手伝いもできそう、です」
「うお、さすが、出世頭。こういう内政的な仕事をさせても、早いものっす。その手腕、うらやましいっすね」
褒められてうれしいのか、秀吉は顔を真っ赤にし、汗を手ぬぐいで拭く。
「うっほん、本当、はやいのじゃ。役人畑の自分もびっくりな成果なのじゃ、秀吉の速度は」
内政に特化する村井貞勝も褒めるほどの進行速度である。
「秀吉くん、なにか秘訣があるのですか。先生も聞いてみたいです」
興味深そうにしていた信長も話の輪に入ってくる。それほど、秀吉の手際が良いのだ。
「あ、あのですね。お給金の他にですね。その日、一番頑張った人に特別賞与をあげているの、です。そうすることによって、仲間内といえども競争が起こります。信長さまがよくやる手、です」
「はっはっは。これは一本とられました。確かに、先生、一番槍のひととかに特別賞与だしてますね。それをこういう現場にも行いますか」
「すごいっす、秀吉っち。なかなか思いつかないものっすよ」
「ん…。自分も真似しよう」
「うっほん。良いことを聞いたのじゃ。早速、試させてもらうのじゃ」
皆が秀吉の策を手放しに褒めたたえる。秀吉は赤い顔をさらに赤くする。
「きょ、恐縮、です」
「さて、皆さん。作業に戻りましょう。3日後に祝勝会やりますので、その前に一区切り、つけちゃいましょう」
おおっと皆が声をあげる。秀吉の策により、ますます作業速度は上がっていくことなるのだった。
「えー、長らくお待たせしました。それでは、織田家、美濃攻略おめでとう会を始めたいと思います。乾杯!」
かんぱあああいと、会場中の主だった将や、兵士たちも声を上げる。岐阜城は、まだ建築途中のため、今日の祝勝会は、町の広場のど真ん中だ。商売熱心な商人たちが書き入れ時とばかりに、屋台をそこらじゅうに出店している。
「お、アレ、うまそうじゃね。一個、ためしに買ってみようか」
「へへ。信長さまも太っ腹だな。特別賞与も出してくれてるから、選びたい放題だぜ」
兵士たちも、飲み会に必要な、ある程度の金は信長が支給しており、ふところは温かい。乾杯がおわった兵士たちは、皿やお椀を手に持ち、屋台へと駆けつける。特に人気なのは、天麩羅である。美濃改め、岐阜は斎藤道三が発祥と言われている、天麩羅の本場だ。もちろん天麩羅だけでなく、焼き魚や、焼き鳥の屋台などもある。
「天麩羅は、寺で発明されたって知ってるか?」
「いや、知らねえ。なんでだ?」
「南蛮語で寺は、てんぷーるって言うんだ。それが訛って、てんぷーら、てんぷらなんてな」
米のご飯と、ある程度の酒は、織田家が準備してある。屋台でおかずや他の種類の酒を買わせるのは、商人たちに金を回らすことにより、商売が回る。強いては岐阜の商業が発展するからである。あと、兵士たちに金を使わすことを覚えさせ、恒久的な商人たちのお客にするためでもある。
「兵士の皆さん、焼き魚はいらんかね。いまなら3本で5文(500円)だ!」
「焼き鳥はいらんかね。手羽先、手羽元、丸焼きもあるよ!」
「そこの奥さん。きれいな貝殻があるよ。これを身に着ければ、旦那の浮気も抑えられる!」
「おお、嬢ちゃん。果物はどうかい?餅もあるよ」
祝勝会に参加しているのは、兵士たちだけではない。その兵士の家族も招かれている。総勢2万人は超えるであろう祝勝会が今始まった。無礼講ともあり、祝勝会は祭りとなり、今や一大事業となりつつあった。
「さすがにちょっとやり過ぎた感がありますね。収集がつくんでしょうか、これ」
信長は自分が主催した身としても驚きを隠せない。それほど、祭りの熱は高いのである。
「1週間は続きそうッスね、この祝勝会。止めようとしたら逆に暴動おきそうッス」
祭りの熱の高さには、信長の善政がものを言っている部分もある。関所撤廃による重税の緩和、楽市楽座の副産物である借金帳消しなどなど、要因を挙げればきりがないほどである。
「まあ、この地でわたしたちは歓迎されていると見てよいのでしょうね」
「そりゃそうッス。俺だって、借金帳消しを前もって知ってたら、松にいい着物買ってやってたッス。とびきりの」
「あなたみたいなひとがいるから、唐突にやるのがいいのですよ」
はははっと信長と前田利家は笑いあう。
「おう、信長殿。お久しぶりでござる」
「おお、これは家康くん。お久しぶりです。息災そうでなによりです」
「ははっ。これは祝いの酒だ。みんなで飲んでくれでござる」
松平家康がそういうと、その部下たちは、荷駄車に積まれた酒樽を次々と降ろしていく。
「ありがとうございます。皆も喜びますよ」
「これはいい酒ッスね。本当、もらっていいんッスか?」
「これ、利家。はしたない真似はやめなさい」
「ははっ。三河のとびきりの酒を持ってきたでござる。喜んでもらえてうれしいでござる」
彼らが談笑していると、身長180センチメートルはあろうかという大男が、のっそりと信長に近づいていく。
「おお、お義兄さん。お久しぶりですぞ。長政です、探しましたぞ」
「おお、長政殿。ご到着されていましたか。どうぞ、こちらに。何分、祭りは無礼講ゆえ、民のものがやらかしてもおおめに見てあげてください」
「ははっ。わかっておるぞ。俺とて民に威圧高に迫る趣味はないぞ。あと、うちからも戦勝祝いの贈り物ぞ」
浅井長政はパンパンと手を打ち鳴らす。すると、こちらも荷駄車にあるものが積まれてやってきた。
「く、くさい!な、なんですか、この悪臭は!」
「ははっ、鮒寿司と言って、近江の名産品ぞ。そのまま食べてもいいし、お茶漬けにしてもいけるぞ」
「き、きみ。こんなもの、お市に食べさせてないでしょうね」
「お市も、うまいうまいと食っているぞ。今では匂いも、くせになっていいと言っているぞ」
前田利家は、こわいもの見たさにおそるおそる、鮒寿司の切り身を口に運ぶ。そしてひと噛み、ふた噛みし、なんどか噛んだあと、ご飯を口にかきこみ、三河の酒で、胃に流し込む。
「う、うめええええッス。なんだこれ、めっちゃ酒とご飯にあうッスね!」
「利家くん、きみ、そんなもの食べて大丈夫なのですか?」
「信長さまも、食べてみるッス。ほんとうまいッスから!」
いやいやする信長を後ろから長政が羽交い絞めにする。逃げれなくなった信長の口に、家康が鮒寿司の切り身をねじ込む。
「くっさああああ!でも、うまあああいい!」
信長の絶叫が、広場にこだまするのであった。