ー夢一夜の章 7- 身分の壁
織田信長は思う。身分とはなにかと。この生まれてからついて回る身分と言う壁。幾度となく、この壁に信長自身はぶつかってきた。特に痛感したのは、この前の足利義昭さま奉戴の件だ。
「正直、ここまで、にべもなく断られるとは思いませんでした」
織田信長の家は、もともと大名家ではない。守護大名の家老をつとめる、その家に仕える家老の出である。将軍家から見たら、織田信長などそのへんを飛ぶ羽虫と同程度の扱いである。それほどの身分差があるのだ。
「身分という色眼鏡でわからないというなら、わからせてあげましょう」
幸い、信長には、楽市楽座、関所撤廃、兵農分離で手に入れた、強大な富と武力を持っている。しかしこれだけでは、足りない。ひのもとを治めるための権威が足りない。
「身分、格、権威、大義。いづれもワシには足りていない」
信長は自問する。上杉謙信、武田信玄はどちらも守護大名の出だ。しかも信玄は清和源氏という、まぎれもない名門である。
「その名門達が義昭さまに何をできたというのだ、なにも出来てないではないか」
信長は、自分の生まれを呪う。ひのもとの国を武で制圧するだけなら、力のある大名ならだれでもできよう。だが、それでは駄目なのだ。真に統治者として認められなければならない。
「そのための義昭さまの奉戴依頼だったのですが、うまくいきませんね」
足利家はその権勢は衰えようとも、将軍である。その権威だけはいまだ高く、ひのもとの国を統治してよいというお墨付きをもらっている。腐っても鯛なのだ。
だからこそ、山名家、細川家、そしていま現代、三好家が足利家を傀儡として、裏から政治を牛耳る形をとっているのである。
信長は頭をぼりぼりとかく
「ふう。一歩一歩やっていかなければいけませんか」
小牧山城から外を覗く信長の目線は、稲葉山城を見ていた。
その小牧山の城下では、今日も今日とて、兵士たちの訓練が行われている。
「ふぁいと、おー」
「おーふぁい、おーふぁい!」
「竹中さんもだいぶ、訓練になれてきたっすね」
「は、はひ。もう5か月目ですからねっ」
「若いっていいっすね、順応性が高くて」
「そ、それほどでもありませんよ、いっぱいいっぱいです」
竹中半兵衛は訓練を受けつつ、同僚たちと話をしていた。最初は早朝の競歩だけでげえげえしていたのが嘘かのように、いまや立派な戦士の身体に生まれ変わってきた。
「生まれ変わった竹中半兵衛の活躍ぶりを戦で見せたいですね」
「ははは、言うじゃねえか。でも幹部こーすをこなしてきたんだ。自信をもって当然か」
竹中の華奢だった肉体には、盛り上がるような筋肉がついており、その姿はいまや、歴戦の勇士と変わりない。同僚たちも同様だ。
「配属はきまったのかい、竹中さん」
「秀吉さんとこの10人長からスタートですね。飯村彦助殿の下に就きます」
「へー。幹部こーすといっても最初はそこからかあ。現実はきびしいね」
「それでも最初から部下をもらえるのです。それだけでありがたいものですよ」
「まあ、竹中さんならすぐに出世できるさ。俺、配属変更申請して、秀吉さんの下につこうかなあ」
そういう彼は柴田勝家さまの下で50人長だ。猛将の下につくのだ、生き延びればさらなる出世は確実である。
「柴田さまの部下なのに、贅沢な悩みですね」
「鬼柴田さまの部下も子鬼にならなきゃならんからね、出世競争もはげしいんだぜ」
そんなものなのかと思う。まあ、出世のためにも合戦が起きなければ、なかなか手柄が立てにくい。柴田勝家さまが戦うのは秀吉さんとちがって最前線であろう。手柄を稼ぐ機会も多いだろう。
「秀吉さんは、この先、どうやって出世するか考えているのでしょうか」
竹中は夏空を見上げ、仕える秀吉の身を案じていた。
信長は主だった将を小牧山城の会合の場に集めさせた。
佐久間信盛、柴田勝家を筆頭に、河尻秀隆、前田利家、佐々成政、木下秀吉、丹羽長秀とそうそうたるメンバーだ。ほかにも参加者はいるが、今、名があがったものたちが、織田家の戦の主力メンバーである。
この中に滝川一益がいないのは、彼が美濃担当ではなく、伊勢担当であるからだ。彼はいま、亀山城の城代である。
「日々、兵士の訓練に付き合ってるッスけど、そろそろ戦がしたいッスよ、信長さま」
口を開くのは赤母衣衆率いる、前田利家である。
「訓練は大切ッスけど、実戦がないと、感覚が鈍ってしまうッス」
利家は、足利義昭の件があれど、それに振り回されて、織田家の美濃攻略が停滞していることに不満があった。
「ん…。自分も利家と同感。戦馬鹿ではないけど、最近、戦自体がないのも事実」
こちらは、佐々成政、黒母衣衆の一員で、いまは500人を率いる武将だ。
「ガハハッ!若い衆は血気盛んでもうす。心配せずとも、美濃攻略は織田家の必須事項。戦がなくなることはないでもうすよ」
「そうだぜ、お前ら。生き急ぎすぎだぜ。焦らなくても出番はくるぜ」
そう言うのは、柴田勝家と、佐久間信盛の織田家2枚看板である。彼らは那古野、清州の城代である。率いる兵は2千以上だ。
「信長さまには考えがあるでござる。焦らず下知を待つでござるよ」
河尻秀隆が口を開く。率いる兵は500だが、黒母衣衆筆頭であり、また信長付きの親衛隊である。戦場ではいつも信長の直属で、その腕を振るう。
「そうは言っても、にわちゃんは、暇なのです。もっと美濃兵を吊るしあげたいのです」
物騒なことを言うのは丹羽長秀だ。彼は、小荷駄隊など任されるが、決して、戦の働きで他の将と見劣りするわけではない。ただ、信長のお気に入りの将であり、側付きに任じられているため、槍働きの機会がどうしても減っているだけだ。
「の、信長さまは何かお考えあっての休戦状態だったと思い、ます」
たどたどしく言うは、今年、300人長の足軽大将に昇進した、木下秀吉である。農民の出からの異例の出世である。彼自身はもっと上をめざしているふしがあり、侮りがたい。
「大体、言いたい事はおわりましたでしょうか?良ければ、美濃攻略の話になりますけど」
信長は皆の顔を見つめる。皆、信長の次の言葉を待つかのように声をひそめる。
「さて、足利義昭さま奉戴の件は失敗しました。もし上手くいっていれば、斉藤龍興と和睦し、京へ上る予定でしたが、そんなことは起きませんでした」
信長はひとつ嘆息する
「というわけで、従来路線の美濃攻略を再開します。皆さんお待たせしました」
おお、やっとかなどと声が上がる。そんな声を信長は聞き、さらに続ける。
「そろそろ、斉藤龍興を本格的に追い込む策を実行したいと思います。この地図をご覧ください」
信長は、床に稲葉山城周辺の地図を広げさせる。そこには木曽川、長良川が合流するあたり、稲葉山城南西のとある地点に赤くバツ印がつけられていた。
「殿、これはなんの印なんだい?まさかだけど」
「のぶもりもり、察しがいいですね」
信盛は嫌な予感がぷんぷんする。
「先生ですね、ここに砦か城を立てたいのですよ。ほら、ここ、ちょうど西と東を分断するいい場所じゃないですか」
「きたよ、久しぶりの無茶振り。何年ぶりくらい?」
「ざっと2年ぶりでしょうか。先生の記憶がただしければ」
あのときは確か、2度目の大垣城攻めだ。結局、あのときも竹中半兵衛と美濃三人衆に阻まれ成功しなかったのだが。
「ここ、墨俣に城を築けば、いい加減、龍興も観念すると思うのですよね」
「簡単に言ってくれるが、敵地のど真ん中だぜ、ここ」
「それをどうにかしてくれそうな雰囲気で、しゃべってたじゃないですか、あなたたち」
「たしかに、戦がないとひまだあ。仕事くれえとは言ってたけどさ」
「ほら、仕事ですよ?」
「いやいやいや。そうは言われてもさ」
確かに墨俣に砦か城を築ければ、美濃攻略も一気に織田家優勢に傾き、1~2年で決着がつくだろう。だが、ここに城を作られると言うこと自体を斎藤家も許しはしないだろう。
「もう、のぶもりもり、できないんですかあ?」
信盛は、いらっとする心を抑え、返答する
「できないとは言ってない。でも、こっちも被害が相当でかいぞ。いいのか?」
「そういう力づくなのはダメです。ない知恵を振り絞って、被害を最小限にしたいです」
だれか提案を行えるものはいないのか。信長は皆の顔を一人づつ見ていく。目をそらすもの、口笛を吹いてごまかすもの多様である。だがひとり、顔を真っ赤にして、ふるふるしながら、信長の目をまっすぐ見返してくるものがいる。
「はい、秀吉くん。きみ、いい案もってそうですね」
秀吉は、まってましたとばかりに、うっきーと右手をまっすぐ天に向けて伸ばす。