ー夢一夜の章 6- 将軍足利家
1565年5月の初夏、ひのものとの国で激震が走る。
京の都、二条御所で室町幕府の第13代将軍、足利義輝の命運がいままさに尽きようとしていた。
「松永のところの雑兵が。この義輝に狼藉を働こうとてか。皆の者、槍をもてえ!」
松永久秀、三好三人衆が兵を集め、二条御所を囲んでいた。
「逃がすでないぞ。足利義輝の首級をあげよ。褒美は思いのままぞ」
松永らは、傀儡政権を嫌い中央集権をもくろむ義輝を疎ましく思い、従兄弟の足利義栄を次の将軍にするべく、義輝を亡き者にしようと画策した。
義輝の薙刀は折れ、弓の弦は切れ、それでも抵抗を決してやめない。
「塚原卜伝より教わりし剣術をみせてやる。死にたいやつから前にでよ!」
義輝は、敵兵に対しすごむ。床に突き刺した銘刀の数々を手に持ち、突っ込んできた敵兵をひとり、またひとり斬り殺していく。その姿、鬼神のごとくなり。
「ふはは、これは将軍様。まだ生きていらっしゃったか。存外にしぶとい」
「松永あああ、貴様あああ。よくもこの俺を!」
義輝は喉の奥から声を張り上げる。義輝には夢があった。第3代将軍、足利義満以降、権勢を奪われていた将軍家の再興を。ひのもとを再び、将軍足利家が力強く治める未来を願っていた。
「ふはは。将軍様、あなたがいけないのでござる。足利家などとっくの昔から傀儡政権でござる。今更、足利家が復興されることなど、どの大名も望んでないのでござる」
「なれど、ひのもとの国を平和にするためには必要なことであったはずだ!」
将軍足利家は呪われていると言っても過言ではない。3代目・義満は栄華の頂点に手を届きそうなときに死に、それには暗殺の噂さえある。さらに6代目・義教は、家臣に殺された。それから足利将軍家の権勢は目に見えて落ちていく。
「守護大名に力を奪われし、足利将軍家。さらにその守護大名すら戦国大名の台頭で滅んで行っているでござる」
「それがどうした。将軍家はまだ滅びておらぬぞ」
「夢は寝ているときに見るものでござる。義輝さまは夢と現もわからぬほどご乱心めされたか、おいたわしい」
「ならばこそ、将軍家が強くならねばならぬ。先祖の足利義満のようにだ」
少なくとも、銀閣寺で有名な第8代目の足利義政の時代には幕府は傀儡政権として完成していた。有名な応仁の乱は、傀儡政権をだれが主導するかの戦いなのである。
「ふはは。だからそれは夢だと言っているのでござる。傀儡は傀儡らしく、おとなしく力のあるものに政治を任せていればよかったのでござる」
「うるさい、だまれ、松永ああああ。貴様の首級を取って、俺の夢、実現してみせようぞ!」
義輝は血で刃こぼれした刀を捨て、新たに刀を畳から引き抜く。
「いまこそ見せてやろう。塚原卜伝直伝。【一の太刀】!」
義輝は刀を握り、一気に松永久秀につめよろうとする。
ぐさっと深々と刀が突き刺さる。しかし、手ごたえに違和感がある
義輝が斬ったそれは、畳であった。敵兵が畳をはがし、盾として活用しているのだった。
敵兵が畳を持ち、四方八方からじりじりと迫ってくる。義輝はその盾ごと切り倒してくれようと、太刀を振るう。しかし、無情にも太刀は、畳を斬りはぜることはできない。
「ぬぐうう、斬れよ、斬れよ。畳くらいなんだというのだ!」
畳に対し、何度も何度も太刀を叩きつける。塚原卜伝を師とし、剣術を学んできた。そして、秘伝【一の太刀】を教わるほどには腕もある。もし槍、刀相手ならば互角以上に戦えたであろう。
だが、畳ごときに勝てないではないか。おかしすぎて、義輝は笑いがこみあがってくる。
「くくく。ははは。この剣豪義輝、雑兵どもに畳で圧せられるか!」
「鉄砲が伝来したこの時代に、刀にたよる将軍。あなたのような骨董品には畳に囲まれて死ぬのがふさわしいでござる。ふはは」
松永は高笑いし、冷たい目で義輝を見る。義輝を包囲する畳の壁は、その隙間を狭めていく。だんだん、義輝の姿は見えなくなる。
「幕府よ、永遠なれ。そして、いつかきっと将軍家に権勢をとりもどしてくれ!」
ついに、義輝は畳に押しつぶされ、槍で幾度ともなく突かれる。うとも、ぐともつかない声が畳の向こうから聞こえてくる。
「足利義輝、討ち死にしました!」
兵のひとりが叫ぶ。やれやれ、やっと殺したか。無駄に抵抗され、こちらも死傷者がでた。ちっと松永久秀はひとつ、舌打ちし、部下に命じる
「義輝の躯に価値はないが、やつが残した銘刀には価値がある。大事に扱うでござる」
部下たちは畳に突き刺された銘刀を用心深く回収する。この主君にとって、これら銘刀は兵士の命の何十倍よりも重いのは確実である。
「まだほかにも名品はあろう。すべてこの松永が役に立ててやろう。皆の者、回収を急げ!」
銘刀や、茶器、価値のありそうな文化財を押収したのちに、松永久秀は、二条御所に火を放たせた。まるで足利家の存在が無価値かのごとくな扱いである。
第13代将軍・足利義輝討たれる。その報せは、全国を駆け巡る。だがこの報せを聞いたところで動き出す大名家はほぼいなかった。一番近場であった近江の守護大名の六角家は三好家に阻まれ、京にちかづくことすらできずにいたのだった。
「義輝さま、すみませぬ。この六角義賢にもっと力があれば」
六角義賢は京の方を向き、両ひざをつき、泣き崩れる。
そして大名家が動かない、一番大きな理由は、だれもかれもが、すでに足利家の権勢再興に興味などもっていなかったことである。義輝の夢などだれも顧みない。
松永と三好三人衆は、次の将軍に義輝の従兄弟、足利義栄を14代目として動き始める。それと同時に邪魔となる義輝の近親者を皆殺しにしていった。
「このままではまずい。ちかいうちにわしもきっと殺される」
足利義輝の弟、義昭は困っていた。彼は奈良の寺に僧として未来の法主となるべく入れられていた。
この時代、皇族や将軍家で跡取りになれないものたちは、寺社の跡継ぎとして、そこに送られていた。そのため、都周辺の寺社の法主は身分的には殿上人に近しいものばかりであった。
「ちっ、寺ごと焼ければ楽なものを。三好め、いまさら、さらに汚名をかぶることくらいなんだというのだ」
身分の壁というものは大きい。松永といえども、おいそれと寺社に踏み込むことはできない。国家反逆罪というようなよっぽどの罪があったとしても、松永や三好三人衆では裁くことはできない。
だが、松永はすでに義輝将軍を殺している。なにかしら理由をつけ、義昭すらも殺す可能性が高いのである。
「こ、こんなところで死ぬ気はないのじゃ、松永め。ここから逃げ出し、絶対に、将軍として返り咲いてみせるでおじゃる」
義昭は将軍になろうと覚悟する。寺はすでに松永の手の者により包囲されてようとしていた。もはや一刻の猶予もなかった。
「ふはは。義昭を逃がすな。ここで殺せ。出てくる芽はつぶしておくのだ」
寺のものたちは機転を利かし、義昭を味噌の樽の中にいれ、味噌をその中に満たし、外に運ぶ。その策は功を奏し、見事、包囲網から脱出することに成功する。
「義昭さま、ご無事でしたか!一旦逃げましょうぞ。再起を図るために各地の大名に声をかけましょう」
その逃亡劇を後押しするように、幕臣の細川藤孝たちが支援する。命からがら、逃亡を続ける義昭は北陸を通り、自分を将軍として奉ってくれる大名を募集する。
その報せを聞き、織田信長は、義昭に書状を送る。
「この織田信長が、義昭さまを将軍につけさせましょう」
しかし、その申し出はあっさりと断られる。
「尾張一国の小大名がなにをぬかすか。恥を知れ」
それが義昭一派の返答であった。信長はその返答に歯噛みする。上洛を果たすための大義名分をみすみす取り逃がしてしまう。
義昭一派は北陸をさらに北上し、越後の上杉謙信を頼る。彼は足利義輝の時代、謁見のため、上洛を果たしている。だが、あの当時とはわけが違っていた。
上杉謙信の敵はいまや、武田信玄だけではない。関東大名たちの要請を受け、関東の地を奪回するために北条ともあらそっている。
「足利義輝さまの弟、義昭さま。よくぞ参られた。ですが、この謙信、いまは動けませぬ。どうかご容赦を」
「無念でおじゃる。まろに力を貸してほしかったのじゃ」
義昭一派が次に頼ったのは武田信玄である。その上杉謙信と敵対する武田信玄も、義昭の将軍就任に興味などない。芳醇な土地、駿河を巡って、今川・北条と争っている。
仕方なく、義昭一派は来た道をもどり、朝倉の下へ身を預けることとなる。
1565年7月・夏の時点で、足利義昭を奉れる大名はひとつもなかったのであった。