ー夢一夜の章 5- 人たらし
昼食が終わり、30分休憩をはさみ、次は座学の時間である。それまでの間、竹中を始め、皆は歓談をする。
「じゃあ、竹中さんは美濃から来たんですか?」
兵士のひとりが竹中に質問する
「はい、向こうでは竹中半兵衛と呼ばれてました」
食堂にどよめきが起こる
「あの、やらしい戦法ばかり使う竹中半兵衛ってあなただったんですか!」
「昨年の合戦では危うく、あなたの隊に殲滅されそうになって焦りましたぞ」
「しかし、あなたのような方がなぜ織田家の下級兵士から再仕官を?」
元敵にやらしい戦法と言われるのは頭脳派の竹中から言わせれば褒め言葉である。しかし、織田家の下級兵士からの再仕官はなんと言ったらいいのか
「いやあ、それが斉藤龍興さまと仲たがいしてしまい、つい、かっとなって城をうばってしまって」
「ええええ。あなた、なにやってるんっすか。下手したら切腹ものですよ!」
「ええ、まあ。それが元で美濃に居られなくなりまして」
「しかし竹中半兵衛ともなるとすけーるが違いますな。主君との喧嘩で城を奪うとか」
痴情のもつれといいますか、あまり身の内はしゃべりたくないのですが
「敵であった織田家にいきなりお邪魔するのもあれなので、近江のほうへ出稼ぎにいったのですが」
「ああ、近江から京あたりは縁者がいなきゃまず仕官とかは無理だ」
「んだんだ。あそこは身内びいきだから、根無しものじゃ信用されなくて足軽にもなれやしねえ」
それにと竹中は言う。
「悪い噂というものほど、早く伝わるもので、まったくもって、お声はかけられませんでした」
思い出して、しんなりする竹中である。
「それで路銀が尽きましてですね、恥ずかしながら、お給金のいい織田家の足軽募集のちらしを見ましてですね」
気恥ずかしそうに竹中は手ぬぐいで汗をぬぐう
「ははは。そういうことでござるか。でも安心しなされ。ここにいる連中は元は農家の次男坊、3男坊以下。もともと部屋住みで行くあてもなかったものたちばかりでござる」
別の兵士がいう
「そういうこと。みんな、お給金目当てで家から飛び出してきたよ。命の保障はないけど、あのまま、腐り続けるよりましってことで、みんなここに来てるんだ」
「それにそんな俺たちでも出世できるからな!うちの隊長の秀吉さんなんて、農民から今や、300人長の足軽大将だぜ。竹中半兵衛ならその上だっていけるだろ!」
皆の励ましが素直にうれしい。こんないい人たちを敵に回していたとは、自分の見識の狭さに嫌気がさしそうになる。
「え、な、なにか、わたしの話がでてきましたが、どうかしまし、た?」
「ああ、隊長!いま、あんたのことを竹中に自慢してたとこだよ」
すでに呼び捨てにされている。親交が深まっているということで良いのだろうか。そそくさと秀吉が会話の輪のなかに入ってくる。
「恥ずかしいのであまり自慢話はやめてください、ね?」
「なにいってやがる隊長!信長さまが旗揚げした時期あたりから仕官して、あの有名な桶狭間の戦いにも参戦したくせに」
「あ、あのころは必死でし、た。まだ50人長の足軽組頭でしたか、ら」
桶狭間の戦いといえば、戦国の世を生きるものならだれでも知っている。信長4千人で、今川義元3万人を打ち破った戦いだ。
その戦は伝説となり、全国の語り部が吹聴しまくって、今では信長がどすくろい南蛮鎧と赤いびろーどのマント、そしてさらに黒いおーらを身にまとい、斬るわ斬るわで1人で1000人を斬ったという無双伝説と化している。
「か、勝家さまじゃあるまいし、信長さまでもそんなことはできませ、ん!」
柴田勝家さまなら可能性はあるのか。織田軍、おそるべし。よく斎藤家はそんな化け物相手に生き残っていますね。我事だったながら感心します。
当時から秀吉に付き従っていた飯村彦助が言う
「あの時の隊長といったら、義元の油断を誘うために俺らに農民に化けて酒ふるまってこいとか無茶振りしやがってよ」
「う、うまく行ったからいいじゃないです、か」
「俺、農家の娘役やらされたんですよ。義元の兵に尻なでまわされましたわ!」
「あ、う。そんなことありました、ね」
「さらには、義元の首級をとったあとに、死体漁りやらされましたし」
「あ、あれは、義元の首級をとった証になる物品集めです!死体漁りではありませ、ん!」
秀吉は真っ赤な顔をして、部下に抗議する。その顔は猿にそっくりである。はははとつい竹中は笑ってしまう
「んっんー、笑ってしまって失敬。ですが、彦助殿。あなたの隊長は頭の回転がすこぶる良い方です。農民に化けて酒を振る舞うなど、将上がりのものでは、思いつけません」
「ち、智将と名高い竹中さんにほめてもらえると、こそばゆいで、す」
「いえいえ、わたしのはずる賢いだけですから。実際には織田家には押されっぱなしでしたしね」
実際には少し違う。斉藤龍興が、竹中半兵衛を煙たがって進言を聞き入れてくれなかったせいもある。それに龍興寵愛の小姓たちにも目をつけられ、近年には、斎藤家に竹中の居場所はなくなりかけていたのだった。
それでも戦の腕は立つから呼び出される。ただし、兵は自給自足のものだ。竹中自身もその自領も疲弊していくばかりであった。
「秀吉さんは、信長さまに重用されているのですね」
竹中は秀吉がうらまやましく思う
「そうだぜ、前年の浅井家との同盟でお市さまを近江まで送ったのは、俺たち秀吉隊だぜ!」
彦助は胸を張り、自慢する
「ほほう。あの大垣城の合戦で浅井に援軍を頼みに行った小勢は、秀吉さんたちだったんですね」
「ああ、そうだ。戦場のど真ん中をつっぱしって、お市さまを運んでやったぜ!」
命知らずのものたちだ。あのときの小勢は100名程度だったと聞く。とんでもなく足の速いものたちだったとも。今朝の競歩を見ても、その足腰の強さからそうであったろうと想像に難くない。
「あなたたちは怖くなかったのですか?」
「そ、それは怖いにきまってま、す。ですけど、信長さまから託された命令だったので、す。命をかける価値はありま、す」
「それは何故、そこまでできるのですか?」
竹中は秀吉に問いかける。なぜ、信長にそこまで命をかけれるのかと。所詮、大名と家臣ではないか。いつ裏切り、裏切られるかわからない。
「そ、それは、信長さまがこの戦国乱世を終わらせてくれるから、です!」
竹中の胸にひとつトクンと音がする。
「戦国の世を終わらせ、民に笑顔を取り戻してくれます、信長さま、なら!」
冷めてしまった心の氷を解かす言葉を秀吉が言う
「みんなに約束してくれました、それをわたしは、しんじま、す!」
竹中はふうとひとつ嘆息する。
「参りました。わたしの負けです」
わたしの負けとはなんだろうと秀吉は不思議に思う。
「わたしにはかける思いが足りなかったのですね」
竹中は遠いほうを見るようにひとり語りだす
「わたしには大切なひとがいました。斉藤龍興さまです。ですが、重用されないばかりに、こちらも命を賭して尽くすことはしませんでした」
竹中はいまや遠くに行ってしまった元主君のことを思いながら言う
「秀吉さま。わたしはあなたが羨ましい。この戦国乱世において、信頼する、されるは得難きものです。それをあなたは両方もっている」
「た、竹中さまもそうなれ、ます!」
なれるのだろうかと、心の中で自問する
「信長さまはそういうひとになってくれるのでしょうか」
「も、もし、信長さまがそうでなくても、わたしが竹中さんを信頼し、ます!」
竹中の胸にまたひとつトクンと音がなる。
「ひょっとして、わたしは口説かれているのでしょうか」
「す、すいません。そんなつもりでは。で、も、竹中さんが良ければ、わたしの部下になってください!」
すとれーとな口説き文句だ。こんなこと、嫁にも言われたことがない。
「んっんー。考えさせてくれますか?わたしは、これでも1千人長の城代になるつもりなので」
わたしは本当に天邪鬼だ。どうも素直になれない。
「で、では、わたしが城主になれば、竹中さんは城代になれ、ます!」
ほんとうにめげず、まっすぐなお方だ、このひとは。人たらしの才能があるのかもしれない。
「ははは、秀吉さん。まだ300人長の足軽大将でしょ。あと何年かかるんですか」
「ご、5年、いや、3年でなってみせま、す!ですから」
「それに、わたしがこの幹部こーすを全うできなかったらどうするんです?」
「下級兵士から、わたしが直接やとい、ます!そこで竹中さんにがんばって出世してもらい、ます」
本当にこのひとは、わたしを逃す気はないようだ。竹中はついに観念する
「わかりました。秀吉さん。不肖の身ですが、よろしくお願いします」
秀吉は、うっきいいいと喜び跳ねる。やったじゃないですか、隊長との声をかけてもらっている。竹中はひとり言う
「わたしにも居場所があっていいんでしょうね」
「あったりまえじゃねえか、居場所のいらないやつなんていねえよ。なかったら作ってやるよ、居場所をつくってやるのが織田家の仕事だからな!」
彦助が竹中の肩に腕をまわし言う。本当にこのひとたちは
「織田家はいい人たちの集まりなのですね」
「天下全部を敵に回すかもなんだ。悪人かもしれねえぜ?」
悪人でもいい。ここは心地いい場所だ。
「悪人なら悪人らしい名前が欲しいですね」
「それは良い案だ。今度、信長さまに考えてもらおうか」
秀吉と竹中たちの歓談は続き、そのあとも厳しい訓練の日々は過ぎていくのであった。